MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
浄土真宗本願寺派生田山信行寺第17世住職
寺カフェ代官山 オーナー
淺野 弘毅氏

「他力本願」な生き方を知る、お坊さんと会えるカフェ

駒沢通り沿いにテラス席を構える「寺カフェ代官山」は、おいしい料理とスイーツ、そして「坊主BAR」などのイベントで人気を集める。オーナーは、浄土真宗本願寺派の宗会議長を務めた信行寺17世住職の淺野弘毅氏。寺離れ、仏教離れが進む現代に「寺カフェ」が人々を惹きつける理由とは。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

淺野 弘毅(あさの こうき)氏 Profile

浄土真宗本願寺派生田山信行寺第17世住職。寺カフェ代官山 オーナー

1953年〜 海外留学の交換条件で得度を積むも、寺を継ぐ気はなし

文明13年(1481年)に西願法師が建立した由緒ある信行寺の住職の家系に生まれたが、淺野弘毅は寺を継ぐ気など毛頭なかった。大学在学中には反対を覚悟の上で「アメリカへ留学したい」と父親に打診すると「いいんじゃないか」と意外な返事が返ってきたが「その代わり、帰国したら京都で2週間ほど座ってくれ」と交換条件を出された。「それが得度だった。親父に騙されて仏門に足を踏み入れたのです。正直あんなに正座がきついとは思いませんでした」と淺野は、当時を思い返して豪快に笑う。

得度を積んだものの寺には入らず、大学卒業後は銀行勤務やテニスクラブ経営など、ビジネスの世界で活躍。39歳を迎えたとき、父親が急逝、信行寺を継ぐことになった。

1991年〜 巨額の借金から救われる不思議な体験を通して仏教と向き合う

遺産について弁護士、公認会計士に相談すると「夜逃げした方が早いかもしれませんよ」とアドバイスを受ける。なんと父親が100億円近い借金を遺していたのだ。

「夜逃げせざる得ない額の借金でしたが、それはできないと伝えました。なぜなら信行寺には1万人を超える方々の墓地がある、その人たちを置いて逃げるわけにはいかないと思ったからです。後から思うと、これは実に仏教的な考え方でした。いわゆる利他の精神です。若い頃はまじめに仏教を学んだわけじゃないけど、どこか意識に染みついていたんでしょうね」

自宅や墓地の一部を売り払ったが、それでも70億円の借金が残った。

「本当に不思議なことがあるものです。メインバンクが破綻して借金がなくなったんです。他人のために生きると人間の理解が及ばない功徳があると言われますが、このときそれを実感しました」

それがきっかけで仏教と向き合い、あらためて経典を読み返すと、今までは頭に入らなかった経文がスーッと頭に入ってきた。

「『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』という短いお経があります。そこには、極楽浄土は10万億仏土の先にあり、『七重羅網(しちじゅうらもう)』で空がピカピカ輝き、池には『八功徳水(はっくどくすい)』が満たされていると書かれています。最初読んだときは意味がわからなかったのですが、あらためて現代に置き換えて読み直すと、それはオーロラが輝く物理現象や化学組成に沿ったミネラル水と同義であり、空想の世界ではなく宇宙の真理を示しているのだと気付きました。通常、お釈迦さまは『対機説法(たいきせっぽう)』といって悩める人から問われたときだけ答えを示すのですが、これだけは『弟子たちよ。よく聞け』と、自らお説教したのです。要するに、真理はひとつということ。自分の中にある邪な心を断ち切れば悟りが開ける。悟った先に真理があり、『不可称不可説不可思議』なことが起きる、お釈迦さまの言ったことは、全く正しいのです」

2013年〜 現代人の駆け込み寺「寺カフェ代官山」をオープン

「しかし、その通りにはなかなかできないのが現代に生きる我々です。その証にお寺での法話会を行っていますが、お寺に来る人は年々減り続けています。寺離れ、仏教離れ、お墓離れは進む一方です。それを嘆くのではなく、来てもらえないならば、お寺が人の集まる場所へ出ればいいと考えました」と淺野は、寺カフェを始めた経緯を話す。

最初は、東京の丸の内で2週間の期間限定イベントを開催した。大した宣伝をしなかったにもかかわらず、イベントには2万人が集まり大盛況を収める。これほど多くの人が望んでいるならば、イベントではなく常設の店舗にしようと考え、物件を探した。しかし、宗教法人に物件を貸してくれる家主は少なく、ようやく見つけたのが代官山の店舗跡地だった。

「資料を見て驚きました。以前運営されていた店舗の名前が『ガゼーボ』だったからです。それはアメリカ留学時、ホストファミリーが経営していたレストランの名前と同じでした。30年前のことですが、そこの娘さんからお母さんが危篤だと連絡をもらい、病床で『南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土で仏になれるよ』と伝えたことがありました。お母さんは、病床で2回『南無阿弥陀仏』を唱えた後、亡くなりました。店名を見たとき、その記憶が蘇り、これもお導きだと思い、ここに寺カフェを開こうと思いました」

「寺カフェ代官山」は、コーヒーを飲みながらお坊さんと話したり、朝粥を食べながら法話を聞いたり、お坊さんとの飲み会「坊主BAR」などのイベントが開催され、誰でも気軽に仏教と触れ合える場である。

「誰もが妬みや嫉み、対抗心など、さまざまな悩みを抱えています。それは煩悩のなせる技であり、特別なことではありません。あの親鸞聖人でさえ、お弟子さんから『煩悩を断ち切れない』と相談され、『お前もか、実は私もだ』と言ったくらいです。人間とは、そういうものなのです。煩悩は理屈で考えても断ち切れません。ですが、『南無阿弥陀仏』と唱えれば、阿弥陀さまが煩悩を一括して引き受けてくれます。それがお慈悲です。そういうことがわかれば、心は平らかになります。修行したり、仏教を学ばなくても、コーヒーやお酒を飲みながら、お坊さんと話すだけで真理に近づける、それが寺カフェです」

FUTURE 末法の時代をよりよく生きるために「孤独に強くなろう」

「お釈迦さまは、亡くなる前に、私が死んだ後の千年は『正法(しょうほう)』、次の千年は『像法(ぞうほう)』、その後は『末法(まっぽう)』の時代になると言いました。『末法』とは、人々が悟りも法もわからない時代を言います。日本では平安時代末から『末法』を迎え、その流れの中から道元禅師や日蓮聖人が現れて民衆救済という思想が広まりました。浄土真宗は『南無阿弥陀仏』、日蓮宗は『南無妙法蓮華経』を唱えれば仏の心境に近づけるとの宗派が生まれ、仏教の門戸が民衆に開かれたのです。現代の皆さんが煩悩にまみれ、それを断ち切れないのは『末法』の世を生きる以上、仕方のないことです。それは修行しても断ち切れるものではないので、もっと大きな力に縋ってごらんなさいと。これを『他力本願』と言います。現代では、この言葉は人に頼ってはいけないというマイナスイメージの俗語として使われていますが、本来の意味はそうではありません。『他力』とは阿弥陀さまの働きを、『本願』は阿弥陀さまの願いを指します。つまり、阿弥陀さまを信じて大事に思えば、いつか悟りを得られる、そういう意味なのです。それは阿弥陀さまの力であり、お坊さんの力ではありません。皆さんの周りで起こる不思議なこと、それは全部阿弥陀さまの力だと区別がつくようになるのです。その区別がつき、阿弥陀さまというありがたい存在を信じられたとき、『正定聚(しょうじょうしゅ)』という仏さまの一歩手前の精神的な位につくことができます。言うなれば、それが浄土真宗の本質です」

「寺カフェ代官山」の店内には「寺カフェで孤独に強くなろう」と書かれたポスターが貼られている。地獄で最も辛いのは「孤独地獄」だと淺野は言う。孤独に強くなるとは、自分自身を受け入れてしなやかに生きる力を持つこと。おいしい料理とスイーツをいただきながら孤独に強くなれる「寺カフェ代官山」は、現代の駆け込み寺である。

年表

  • 淺野氏の
    年表

    社会の
    年表

  • 1953

    東京都に生まれる

    NHKが日本で初のテレビジョン本放送を東京で開始

  • 1991

    浄土真宗本願寺派四州教区宗会議員初当選

    雲仙普賢岳で大火砕流発生

  • 2001

    浄土真宗本願寺派総務を務める

    アメリカ同時多発テロ事件発生

  • 2012

    著書『下手な説法も数々説けば』(角川学芸出版)を出版

    東京スカイツリーが開業

  • 2013

    寺カフェ代官山をオープン

    富士山が世界文化遺産に登録される

  • 2016

    浄土真宗本願寺派宗会議長を務める

    18歳選挙権施行

  • 2018

    共著『「他力本願」マネジメント』(アスコム)を出版

    築地市場が83年の歴史に幕を閉じ豊洲市場へ移転