MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
hot rose主宰、彫金師(号:英華)、東京都伝統工芸士
坂 有利子氏

彫金は永遠に朽ちることのないキラキラ輝く宝物

日本古来の伝統工芸で江戸・明治期に確立された江戸彫金の技法を受け継ぐ彫金師・坂有利子氏(号:英華)。宝物のようにキラキラ輝き、朽ちることのない彫金に魅了され、何度も壁にぶつかりながらも鏨(たがね※)を持ち続ける、その瞳の先に見据えるものとは。

※鏨(たがね):彫金に欠かせない金属を加工する道具

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

坂 有利子(さか ゆりこ)氏 Profile

hot rose主宰、彫金師(号:英華)、東京都伝統工芸士

1976年〜 好奇心旺盛で、好きなものを見つけると時間を忘れてのめり込んだ

野山から枝や葉を拾って工作したり、お絵描きしたり、おばあちゃんと一緒に畑仕事や料理、裁縫をしたり、小さい頃から好奇心旺盛で一度ハマるとのめり込むタイプだった。文通していた友だちから便箋に描いた絵とコラージュを褒められ「すごくきれいだからおうちに飾ってある」と言われたことが、何よりうれしかった。

高校時代にのめり込んだのはロックバンド。卒業後は東京で本格的な活動をしたかったが、親から涙ながらに「お願いだからやめて」と懇願され断念。美大に行きたかったが、バンドに没頭して勉強していなかったので諦めた。何か楽しいことができる場所はないかと探し、ファッションや工芸、建築などが学べる短大の家政科生活芸術コースへ進学した。

1994年〜 伝統彫金に魅了され、谷中の工房で名工3名から手ほどきを受ける

短大時代はアクセサリーづくりにのめり込む。授業でシルバーの指輪を手づくりしたのが楽しくて工作室に入り浸っていると、先生から「そんなに好きなら彫金教室に通ってみる?」と言われ、紹介された教室へ通い始める。その教室でも楽しそうに作業していると、先生をしていた山脇美術専門学校(以下、山脇)のジュウリー・アート科科長に「そんなに楽しいならうちの学校に来れば?」とアドバイスされ、同校へ入学した。

本格的な伝統彫金に出会ったのは、山脇の授業だった。伝統彫金とは、日本古来の彫りや打ち出し、象嵌(ぞうがん※)などの加工技術で金属を装飾(彫金)する伝統工芸のことである。

「最初は、伝統彫金が大嫌いでした。道具も自分でつくらないといけないし、うまく彫れないし。でも、先生の師匠にあたる方の作品が、あまりにもすごくて、古くささは全然なく、骸骨の帯留めとか、テントウムシを打ち出し七宝をかけた作品とか、モダンで自由でかっこよくて、こういうものをつくりたいって思いました」

以来、彫金にのめり込んでいると、今度は伝統彫金の先生から「そんなに好きなら谷中の彫金工房に通ってみない?」と勧められる。そこは江戸時代から続く江戸彫金の流れを汲む名工3人が、ボランティア的に開催している小さな工房だった。

「職人は技術を教えないといわれますが、谷中の先生は何でも包み隠さず教えてくれました。通っている生徒さんも彫金が大好きな人ばかりで、居心地のいい素敵な工房でした」

こうして谷中彫金工房に通う日々がはじまった。坂は、学校で学んだアクセサリー制作のノウハウと工房で学んだ彫金技術を使ってオリジナル・ジュエリーをつくりはじめ「hot rose」というブランドを立ち上げた。

「お店に置いてもらえるというお話をいただき、ブランド名があった方が良いかなと思い、図々しくもブランドにしちゃいました」

※象嵌(ぞうがん):ひとつの素材に異質の素材をはめ込む工芸技法

1999年〜 アクセサリーの製作会社に就職したが、薬品アレルギーで体調不良に

山脇に入学したときから、彫金を仕事にしたいと思っていた。しかし、伝統彫金は、最低でも10年修行しなければ認めてもらえない厳しい世界だった。

「最初は、同じ幅の線を真っ直ぐ長く彫る練習でした。線を彫るだけなのに深さや幅が一定せず、それに合う道具もうまくつくれなくて大変でした。一年続ければ上手くなると先生方に言われ、周りの人はみんな飽きてやめてしまいましたが、私は上手になるためにやるしかないと、1年間バカ正直に線を彫り続けました」

山脇卒業時点では、彫金で食べていける技術が身に付いていなかったため、ひとまずアクセサリー製造会社に就職。仕事はおもしろかったが、薬品アレルギーで体調不良となり退職。その後、谷中の先輩の勧めでアパレルの下請けをしているアクセサリー会社に就職したが、やはり薬品アレルギーが出てしまい、医師から「原因を取り除かない限り一生治らない」と宣言され、やむなく退職した。

定職もなく、彫金も半人前、オリジナル・ジュエリーの仕事は続けていたが、アレルギーへの不安もあり転職も考えた。将来が見えない中、母親が病気になったとの報を受け、茨城へ帰郷する。

2007年〜 江戸彫金を受け継ぐ彫金師として「英華」の号を授かる

「ジュエリーメイキングの先生が産休に入るから、授業を担当してもらえない?」と、山脇から連絡を受け、「産休の間だけなら」と非常勤講師の仕事を引き受けた。その先生の産休が明けた後も、他の授業も担当してほしいと請われ、徐々に忙しくなってきた。

谷中彫金工房に通う時間もなくなってきたので「仕事が忙しくて通えなくなりそうです」と相談すると、先生方から「もう自分でできるから。作品をつくって活躍しなさい」と言われ、彫金師の証である号を授けられた。

「先生方の号には『照』という字が入っているので、私の号にも入れようという話がありましたが、『照子』や『照美』じゃパッとしないから『英華』でどう?と言われ、『ま、ええか』という意味なのかなと思い、私らしくていいと思いました」

谷中彫金工房では総勢数十人が彫金を学んでいたが、号をもらったのは後にも先にも坂しかいない。こうして坂は、日本古来の伝統工芸である「江戸彫金」の正式な継承者となった。

2014年〜 何もかも忘れてものづくりに没頭できる天国のような場所

楽しくて仕方がなかった彫金を、初めて怖いと思ったのは30歳を過ぎた頃だった。

「彫金は、技術だけではなく、絵も描けなければいけません。谷中で国宝級の絵や意匠を見ていると、私に描けるだろうかと不安が募り、日本画や書道を習いに行きましたが、知れば知るほど奥深さがわかり、これは100歳までがんばっても描けないかもしれない。一生を費やして素敵な作品をひとつもつくれないのかと思ったら、怖くて描けなくなってしまいました」

絶望に打ちひしがれていたとき、米国のペンランド工芸学校(Penland School of Craft)がスカラーシップを募集していることを知り「気分転換になるかも」と応募。選抜審査に合格し、ワークショップを受けるため渡米した。

「世界中から工芸職人が集まる学校で、共同生活をしながら好きなだけ工芸に没頭できました。24時間使えるスタジオがあり、みんな寝る間も惜しんで作品を創っていて、悩みが消えたわけではないけど、私もどんどん楽しくなってきました」

滞在中、日本の彫金を知ってもらう良い機会だからデモンストレーションをやってほしいと請われ、簡単なデモをやったらみんなから「すごくキレイ!」「感動した!」「やってみたい」と、大歓声が上がった。

「ジャンルを超えてクリエイター同士が助け合ったり、作品を見せ合ったり、技術を交換したり、みんなが繋がっている感覚があり、それが楽しくて楽しくて。本当にペンランドは天国みたいな場所でした」

2019年、ボブ先生が主催するLost & Foundというワークショップに参加した。ゴミでも何でも、おもしろそうなものを拾ってきて作品をつくる、自由で楽しいワークショップだった。

「何も考えず枝や葉っぱで工作していた子どもの頃を思い出しました。ボブ先生に、伝統技術に縛られて作品をつくる窮屈さや、上手な絵を描かなければいけないという重圧に苦しんでいると話したら、『その気持ちはわかるよ。でも、うまくいくかどうかなんて気にしなくていいんだよ。とにかくやってみれば結果は後からついてくるから』みたいに言ってくれて、なんか大泣きしちゃいました」

ワークショップを終えた坂は、帰国後、創作意欲を取り戻す。ペンランドでのワークショップには、2014年、2015年、2019年と計3回参加し、その都度、自分を成長させてきた。

FUTURE  最高の作品ができたら満足して死んじゃうかも知れない

現在は自宅兼工房でオーダーメイドのジュエリーやカトラリー、展覧会用の彫金作品を制作したり、電鋳品製造会社からの依頼で五月人形の兜や鎧に使う部品の原板制作の仕事などをこなしている。

「やっぱり人に喜んでいただけるのが、うれしいですね。オーダーメイドの結婚指輪をつくらせていただいたときも、すごく喜んでいただけてうれしかったです。今も忘れられないのは、幼馴染の娘さんが遊びに来たときのことです。私がつくった彫金のブックマーク(栞)を見た娘さんが突然泣き出したんです。『どうしたの?』と聞いたら『あまりにも綺麗で』と言ってくれて、私は『ありがとう』と言ったきり、何も言えなくなっちゃいました。私も本当に良い作品を見ると泣いちゃうことがあるので、その姿を見て昔の自分を思い出しました」

彫金の魅力は、朽ちることのない美だと坂は言う。「彫金は溶かさない限り永遠に残り、キラキラしていて宝物みたいなところが、とても好きです」

今後やってみたいことを質問すると「90歳で亡くなった先生が『まだまだつくりたいものがある』とおっしゃりながら亡くなりました。もう1人の先生にその話をしたら『そりゃそうよ、職人だもの』と言うんです。そのときにならないとわかりませんが、私もこれで満足と思ったら彫金をやめちゃうかもしれません。でも、今は、常につくっていたい、その欲求があるだけです。

実は、ペンランドからワークショップで日本の伝統彫金を教えないかとオファーをいただいているので、条件が整えば受けたいと思っています。今まで親をはじめたくさんの方のお世話になってきたので、今度は私が恩返しする番だと思っているんです。日本でも海外でも彫金の魅力と技術を伝えること、それが恩返しになるんじゃないか、そう思っています」と、坂は将来の展望と、大好きな彫金への思いを、そう表現する。

年表

  • 坂氏の
    年表

    社会の
    年表

  • 1975

     

    會田富康著「鋳金・彫金・鍛金」(理工学社)より刊行

  • 1976

    茨城県に生まれる

     

  • 1996

    hot roseブランドを立ち上げ

    彫金師レナード・カムホート氏「LONE ONES」設立

  • 1999

    谷中彫金工房で本格的に伝統彫金を学ぶ

    彫金作家・鴨下春明氏、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定

  • 2007

    山脇美術専門学校 ジュエリーデザイン科 非常勤講師(2019退職)

    セイコーインスツルの彫金師・照井清氏が黄綬褒章を受章

  • 2009

    第31回 日本彫金会展 新人賞受賞

    重要無形文化財保持者(人間国宝)の彫金家・増田三男氏没

  • 2014

    Penland summer workshopに参加

    金工彫金作家・山本晃氏、重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定

  • 2019

    東京都伝統工芸士に認定

    彫金後藤家関係資料、重要文化財に指定