MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
UAC代表 動物作家 パンク町田氏

"裸で面白いことをする動物に詳しいおじさん"が目指す「生態系医療」とは

昆虫から爬虫類、鳥類、猛獣まで、あらゆる生物を扱える動物の専門家、パンク町田氏。独特の容姿と愉快なキャラクターがうけてテレビ出演も多数。動物と会話ができるパンク町田氏が目指す、動物と人間が共存する理想の世界とは。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

パンク町田(ぱんくまちだ)氏 Profile

アルティメット・アニマル・シティ代表、NPO法人生物行動進化研究センター理事長、アジア動物医療研究センター(日本ペット診療所)センター長、テレビ出演、著作多数を誇る動物の専門家

1968年〜 小さい頃から生き物が好き、動物に関わる仕事がしたかった

小さい頃は問題児だった。保育園を抜け出してヒキガエルやミツバチを捕まえては保育士さんに怒られ、墓地で墓石を動かしてガマガエルを捕まえては和尚さんに怒られ、それでも懲りず、さまざまな動物や昆虫を追いかけた。

小学5年生のとき、お年玉を全額使ってウーパールーパーを購入。6年生のときには1万円以上するドラゴンフィッシュを購入。同じく6年生のとき、親にねだってヨークシャーテリアを買ってもらい飼い始めた。

「その犬が可愛くて、可愛くて、人混みに行くと踏まれちゃうんじゃないか、大きな犬に噛まれちゃうんじゃないかと怖くて、いつも抱えて歩いていました」と、少年時代を振り返る。

父親が飲食店を経営していた影響で将来は中華の料理人になろうと思っていたが、動物に関わる仕事を諦めきれず19歳でトリミングの専門学校へ入学、卒業後ペットショップで働き始める。

1987年〜 ジャングルで猛毒を持つコブラに噛まれ死を覚悟

ペットショップの仕事は楽しかったが、動物の種類が限られていたため「こういう動物がいればもっと売れるのに、なんで持って来ないのだろう」と考え始める。どこにも売っていないなら、自分で輸入しようと考え、21歳で動物の輸入販売業を立ち上げた。

「商売がしたかったわけではなく、単純に野生の生物を見たかった。その経験を生かす手段として輸入販売業を立ち上げたというのが、本当のところです」

図鑑でしか見たことのない動物をこの目で見たいと、単身タイやインドネシアを訪問、現地のキャッチャー(動物を捕まえる人)に依頼、生息地へと踏み込んだ。町から数時間離れた場所まで自動車で行き、原生林の中を数時間歩き回っても、目当ての動物は見つからなくて当たり前、見つかるまで何日でも歩き回る。ジャングルや山中を駆け回る過程で、生命の危機を感じたことは一度や二度ではない。

ボルネオ島では、猛毒を持つコブラに噛まれた。ジャングルで捕まえたコブラを麻袋に入れ、噛まれないように身体から離して持っていると、現地のキャッチャーから「袋に入ったコブラは噛まないから背負って歩け」と言われたので、その通りにした。

「彼らを信じて麻袋を背負ったら、5分もしないうちに背中がチクッとしました。『噛まれた!』と騒いでも、彼らは聞く耳を持ちません。毒が回って死ぬと思いましたが、結局、町に戻るまで3時間かかったけど、死なずに帰ってきました。麻袋とシャツ1枚分の厚みのおかげで、牙が貫通せず毒を流し込まれていなかったのです。毒を流し込まれたら致死率は90%以上ですから、運が良かったとしか言いようがありません」

他にも、ハブやガラガラヘビに噛まれたり、ワニに追いかけられたり、マレーバクの下敷きになりかけたり、何度も危険な目に遭っている。

1992年〜 「裸で面白いことをする動物に詳しいおじさん」としてメディアで人気沸騰

24歳の頃、動物系専門誌に依頼されて連載記事を執筆。そのとき出版社に付けられたペンネームが「パンク町田」だ。

「先住民が好きだから、彼らの真似をしてモヒカンにしていたら編集者に勝手にペンネームを付けられました。もうちょっとカッコいい名前にしておけばよかったなと、今は思っています」

1997年に初の著書『変態ペット図鑑』を出版、動物作家としてデビューした。

20代後半になるとテレビ局からのオファーが増えた。報道系番組から「公園でカエルが猫を食べたという噂があるが、そんなことはありうるのか」といった質問に専門家として答えたり、オランウータンの密輸現場へのロケに同行したり、そうこうするうちにテレビ界で認知度が高まった。

以来、「裸で面白いことをする動物に詳しいおじさん」として、報道番組やバラエティ番組に出演したり、密着取材されたり、テレビ番組やCMを監修したり、講演したり、メディアに露出するようになった。

2002年〜 鷹匠の修行を経て、動物と心を通わせる技術を高める

30歳を過ぎた頃、猛禽類を扱えるようになりたいと思い鷹匠の修行を始めた。

「鷹はイエス・ノーがはっきりしていてグレーゾーンがありません。そもそも人間は鷹の天敵ですから、安全が担保されていなければ人間の手に戻ってくることはありません。鷹に安全だと感じてもらうには、彼らが何に恐怖するかを理解し、それを取り除く必要があります。その恐怖を取り除くプロセスは鷹以外の動物にも共通する部分があります。僕はその感覚がわかるから、どんな動物とも付き合い、訓練できるのです」

鷹匠の修行の一つに毎晩8時間鷹を手に乗せて過ごす訓練がある。通常は一睡もせず鷹と一緒に過ごすのだが、パンクはあえて手に乗せたまま寝たという。

「本当に仲のいい友だちなら、お互いに目を瞑って眠りますよね。だから、僕が心を開けば、鷹も安心してくれると思ったんです。鷹も初めは目を瞑るだけでしたが、4日目には背中に頭を傾けてぐっすり眠ってくれました。それからは明るいところで手に乗せても暴れなくなりました。そのときは気持ちが伝わったという喜びがありましたね」

その後、パンクは鷹匠の大会で3連覇を果たし、日本の第一人者になる。

2008年〜 無知な動物愛護活動を改善するため動物研究施設を設立

2008年、草ぼうぼうの野原を自らショベルカーで整地し、動物研究施設アルティメット・アニマル・シティ(UAC)を開設した。

「なぜ、施設をつくったかというと、あまりにも無知な愛護活動がまかり通っていると感じたからです。例えば、『狭いところで飼われてかわいそう』『繋がれているなんてかわいそう』『森から雛や仔をつれてくるなんてひどい』などと動物愛護家を名乗る人は言いますが、本来動物の種類や個体、状態によって判断は異なり、一概にそのようなことは言えないはずです。しかし、適切な知識を持つはずの動物園関係者さえ、間違った飼育法や対処法を行っているのが現実です。そうした状況を改善したい。動物の本当の姿を知ってほしい。動物とちゃんと話ができる人を増やしたい、その一心でUACを立ち上げました」

ここでは、パンクが代表を務めるUACと、動物園や水族館向けの動物を輸出入する有限会社バーデンがあり、2社共同事業としてアジア動物医療研究センター(日本ペット診療所含む)とNPO法人生物行動進化研究センターが運営されている。

UACおよびバーデンは、輸入された野生動物の怪我や病気を処置し、動物園等の飼育環境に適合できるように訓練できる、日本で唯一の施設として、業界で広く認知されている。

FUTURE 生態系医療

パンクの一日は、大半の時間を専門家からの電話相談に費やす。空港におけるバード・ストライク対策から動物園や水族館オーナー、犬や鷹の訓練施設、獣医師からの相談など、その内容は多岐にわたる。こうした相談に乗る一方テレビ出演も続け、最近は「パンク町田のアニマルTV」というYouTube番組の配信にも乗り出した。

「テレビだと制作サイドの都合により、発言や行動を加工されて言いたいことが伝わらないことがあります。だから、本当に自分が言いたいことを伝えるためにYouTubeを始めたのです」

パンクが伝えたいこととは、動物と人間が平和的に共存できる町づくり、環境づくりである。

「最近、鹿や猪、熊、猿が山から下りてきて問題視されることが多いですよね。そもそも山を拓いて道路をつくれば、野生動物が下りてくるのは当たり前です。それは自然環境や動植物のことを考えず、人間本位に開発をしたことが原因なのです。僕はそれを改善したいのです。

僕たちは、動物の研究をもとに生態系のバランスを保つ、あるいは改善することを『生態系医療』と呼んでいます。『生態系医療』とは、一個体にとらわれず生物、風土まで視野に入れた環境保全を"治療"とみなし、生命全体を含む地球の生態系を健康に保つことを目指す概念です。僕はUACをベースに、仲間たちと動植物の研究ならびに環境づくりに取り組み、人間と動物が理想的に共存できる世界をつくる、その夢をこれからも追い続けたいと思っています」

国連が採択した持続可能な開発目標SDGsは「誰一人取り残さない」ことを誓う。しかし、パンク町田は人間だけにとどまらず、動植物や自然さえも取り残さない。その深く大きな愛を胸に、今日も「生態系医療」の実現に挑む。

年表

  • パンク町田氏の
    年表

    社会の
    年表

  • 1968

    東京都中野区に生まれる

    上野動物園のゾウ舎が完成

  • 1993

    インドネシアのスラウェシ島で原住民と生活する

    国際動物園長連盟が「世界動物園保全戦略」を発表

  • 1997

    初の著書『変態ペット図鑑』を出版

    京都市動物園で国内初のコフラミンゴ人工孵化に成功

  • 2001

    『飼ってはいけない○禁ペット』がベストセラーに

    一般社団法人全国ペット協会が発足

  • 2004

    英国で猛禽類の繁殖技術や放鷹技術を学ぶ

    旭山動物園7月の月間入園者数が上野動物園を抜き国内1位になる

  • 2008

    動物研究施設「アルティメット・アニマル・シティ」を開設

    多摩動物公園が開園50周年を迎える

  • 2017

    『子供に言えない動物のヤバい話』を出版

    上野動物園でジャイアントパンダのシャンシャンが生まれる