MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
安宅漆工店 代表 安宅 信太郎 氏

私が漆を選んだのではない。漆が私を選んでくれた

15歳で父親に弟子入り、この道一筋50余年、今では日本有数の建築漆工職人として長野の善光寺や鎌倉の建長寺、国立能楽堂、目黒雅叙園などの歴史的建造物の施工、修復にも携わる業界の第一人者。この仕事を続けられたのは漆に選ばれたからだと語る安宅信太郎氏の漆工に懸ける思いとは。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

安宅 信太郎(あたか しんたろう)氏 Profile

歴史的な寺院や名建築、文化財の施工、修復にも携わる国内にも数少ない建築漆工の職人。

1949年~ 学年トップクラスの成績を収めながら3カ月で高校中退

漆工職人である安宅儀一の長男として東京都墨田区に生まれる。自宅に見習いの弟子4〜5人が住み込む賑やかな家庭で育つ。小さい頃は手や服が漆でよごれるのがいやで将来はサラリーマンになりたいと考えていた。

人生の転機は15歳で訪れる。進学した高校は教育困難校で勉強に集中できる状態ではなかった。中学まで勉強嫌いだったが、この状況に置かれて「勉強したい」と意欲が高まり、英語と数学を中心に毎日5~6時間、自宅で勉強に励む。その結果、1学期の期末テストで学年トップクラスの成績を収める。勉強のおもしろさに目覚めた矢先、突然、父親が結核で入院。弟子が一人辞め二人辞め、誰もいなくなり、家計はひっ迫し、高校中退を余儀なくされた。

1965年 父親に弟子入り。昼間は修行、夜は学業の日々

父親の結核は完治したが、弟子がおらず仕事が回らないため、安宅が弟子入りすることになった。それでも勉強を続けたかった安宅は、先輩の薦めもあり、定時制高校に入学。昼間は修行、夜は学業、二足のわらじを履き、20歳で高校を卒業した。

漆塗は下地、下塗り、中塗り、上塗りと順に仕上げていく作業。下塗りがしっかりしていなければ、決して良い仕上がりにならない。職人にとって修行期間は下塗りと同じ、ここで手を抜いたら良い職人にはなれない。しかし、経験がものをいう世界だけに何度やってもうまくいかず失敗を繰り返した。父親は何度失敗しても怒らなかった。チャレンジするから失敗するのであり、失敗した分だけ成長するとわかっていたからだ。逃げずに全力で取り組めば必ず道は開けると、この時期に体で学んだ。

仕事も学業も全力で取り組んでいたある日、安宅自身も結核を患ってしまう。退院後、同級生が結核になった自分を嫌がると思い、教室では息を潜めるように過ごした。その日々が、あまりにつらく、何度「明日こそ学校を辞めよう」と思ったかわからない。安宅を見かねた先輩や友だちに励まされ、ようやく気持ちを切り替え、前向きになれた。

「多くの方と接し、自分の経験だけで物事を判断してはいけないと気付かされました。もっと“自己を磨く”ために学び続けなければならないと思いました。それ以来、どんなに忙しくても美術館や展覧会に足を運び、自分を磨き続けることを習慣としてきました」と安宅は話す。

1973年 父親が他界、23歳で安宅漆工店を継ぐ

再び、父親が入院し、仕事を1人でこなさなければならなくなる。そんなときに限って、高価な無垢の欅の木目を生かして仕上げる「拭き漆」の仕事が舞い込む。入院中の父親に相談すると「もう俺は教えられない。仕事をやるかやらないか自分で判断しろ」と言われ、悩んだ末「ここで逃げてはいけないと、親父の教えを思い出しながら小さな板の見本をつくり、病院に持っていきました。それを見た親父が『これでいい』と言ってくれたのです。その言葉を聞いたとき、はじめて『この仕事で生きていける』と思いました」

父親は肺がんを患いほどなく他界。その後、親方の訃報を聞いた一番弟子が戻ったので、その兄弟子とともに家業を継いだ。

1979年 売上げの低迷を受けて守りから攻めの商売へ転向

1979年に結婚し、公私ともに充実していた。しかし、その後、漆塗の代用塗料をつかった安価な建材が出回り、徐々に仕事が減っていく。「これまでは得意先に寄りかかる大名商売をしていたのではないか」と反省、普通免許を取得して2万円の軽トラックを購入し営業を開始。待ちの商売から攻めの商売へ転向した。

誠心誠意仕事をこなす中、全国に支店を持つ大手企業の松本営業所長が、「安宅の仕事は良い、流石本漆は良い」と本社の営業所長会で紹介してくれたことを機に、他の営業所からも注文が来るようになった。どんな小さな補修でも丁寧な仕事を続けているうちに「メンテナンスも対応してくれる安宅は良い」と評価が高まり、さらに仕事が増えた。

「施主、設計士の気持ちを考え、相手の立場に立ってつくり上げる。納期を守るのは当たり前ですが、それだけではなく銘木の種類、壁の色まで考えて色や艶をつくり、漆塗だけが目立つのではなく、建築物全体の調和を考えて仕上げることを心がけてきました」

40歳を過ぎたある時期、自分の仕事が兄弟子を抜いたとはっきり自覚した。同じ仕事をしても明らかに仕上がりが違うのだ。兄弟子もそれを認識し、以降、良い仕事の仕上げはすべて安宅が手がけるようになった。

歴史的な名建造物を任される喜びと難しさ

建築漆工の仕事において最も難しいのが、歴史的な名建造物の修復作業だ。なぜなら建造当時の資料が残っていないため、原料も漆塗の手法もわからず、手探りで同じ色艶の漆塗を施さなければならないからだ。

「漆は時の経過とともに透明感が増して色彩が浮かび上がり、深みを帯びます。その色艶の出方は現場の温度・湿度に影響されるので、数年後にどのような色になるかわかりません。その変化を予想して仕上げなければならないところが、最大の難しさです」

歴史的な名建造物の漆塗を任せられる職人は、今では数えるほど。都内に限れば安宅を含め2~3人しかいない。

忘れられない仕事のひとつが竹下夢二伊香保記念館の特別室だ。
もとより夢二の大ファンだったので、依頼が来たときは心が躍った。上り框から床の間の框、地板まで一式任された安宅。この記念室に飾られる名画「黒船屋」に思いを馳せ大正ロマンをイメージして赤目の春慶塗を施した。「最終日に仕上がった床の間に黒船屋の実物が掛かったときには、本物の迫力に圧倒され感動しました」

1985年 日本建築と伝統美の最高峰「百段階段」を二代に亘り手がける

ある日、目黒雅叙園(現・ホテル雅叙園東京)の修理・修復の依頼が舞い込んだ。最初は小さな修復作業だったが、その仕事ぶりが評価され「百段階段もお願いできますか?」と頼まれた。

通称「百段階段」は、“昭和の竜宮城”と呼ばれた目黒雅叙園の中でも、現存する唯一の貴重な木造建造物。99段の階段と7つの部屋からなり、各部屋の天井や欄間は著名な画家たちが創り上げた国宝級の作品で飾られており、東京都有形文化財に指定されている。

「百段階段は、父親が若い頃手掛け、凄い建物だとは聞いていましたが、目の前にしたとき、これを自分が直すのかと思うと、正直気後れしました」と百戦錬磨の安宅でさえ怯んだ百段階段。「通常の営業をする中で修復するので、お客さまがかぶれないよう配慮して手早くしかも丁寧に作業しなければなりません。補修した部分は年月の経過とともに色艶が変化しますから、数年後になじむよう仕上げなければならず技術と経験を試されます」

二代に亘り名建築に携わった漆工は、記録に残る限り安宅親子しかいない。きっと安宅が百段階段を修復する姿を、儀一は誇らしく見守っているに違いない。

FUTURE 漆、麗し、古代からのロマン

「若い頃は、いつも漆と格闘していましたが、今は漆を尊敬して奉っています。漆の良さを最大限に引き出すよう努める、それが私たち塗師屋(ぬしや)の仕事ですから」

安宅が、そこまで達観したのは10年前に手掛けた作品の影響が大きかった。墨田区伝統工芸保存会が開催した「葛飾北斎見立て」の作品展に参加したときである。凱風快晴(赤富士)を漆で表現する作品に挑戦したものの、展示会に間に合いそうもない。「締め切りが近づいて焦り、透き漆を色が濃く出るとわかっていながら、必要以上に早く乾かそうとしてしまいました。翌朝、作品を見て蒼ざめました。赤富士が見えなくなっていたのです。もちろん出品は諦めました。ところが、1年後手にしたときに、漆が透けて見事な金色が出ていました。慌てて仕上げて小布施の展覧会に持っていくと高い評価をいただき、町長から小布施の町にぜひとも置いてほしいと懇願されました。あのとき、塗師屋は影、主役は漆だと痛感しました」

日本を代表する伝統工芸、漆のルーツは縄文時代に遡る。出土した漆器は1万年の時を経ても色褪せておらず、麗しさを保ち、古代からのロマンを伝える。

しかし、安宅は「伝統と伝承は違う」と言い切る。「伝統は革新し続けなければ守れません。だから、我々が現代の漆工を表現しなければ、後世に残せないと思っています。その想いから、今は若いデザイナーや建築家の方とコラボレーションしたり、花器や碗、カップ、アクセサリーなど小さなキャンバスの作品づくりをしたり、漆の新たな魅力の表現にもチャレンジしています」

最後に安宅は、漆工としての矜持を「私が漆を選んだのではなく、漆が私を選んでくれたから、この仕事を続けてこられました。漆から選ばれた以上、その魅力を世に知らしめることは、私の使命です」と話してくれた。

年表

  • 安宅氏の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1949

    東京都墨田区に生まれる

    八橋蒔絵螺鈿硯箱〈尾形光琳作〉国重要文化財指定、
    その後1967年に国宝指定

  • 1965

    父親に弟子入り。高校を中退し、定時制高校に入学。

    善光寺三門 国重要文化財指定

  • 1972

    観世能楽堂 渋谷区松濤へ移転

  • 1973

    父親が他界。安宅漆工店を継ぐ

  • 1979

    結婚

    鎌倉彫 国伝統的工芸品指定

  • 1985

    目黒雅叙園「百段階段」の修復を開始

    玉虫塗 宮城県伝統的工芸品指定

  • 2007

    墨田区録無形文化財認定

    成田山新勝寺 総門落慶、総門を建立

  • 2010

    東京マイスター認定

    比良山蒔絵硯箱 国重要文化財指定

  • 2011

    墨田区伝統的工芸技術保持者認定

    平泉 世界遺産登録