MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
CIRQ代表 永野 達也 氏

芸術家に表現の場を。人に美しい時間を。世界に創造を

東京・根津の廃業した銭湯「宮の湯」の火焚場に創造の火がくべられた。2020年6月にオープンした「芸術銭湯+Café」は、先鋭的な現代アートを鑑賞しながら、作家や来場者がかつての浴場で語らい、コーヒーを味わい、異空間のコミュニケーションを楽しめる今までにないアートスペースだ。楽しく美しく創造の空気を届けたいと語る永野達也は、なぜ銭湯とアートを結びつけたのだろうか。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

永野 達也(ながの たつや)氏 Profile

メディア企業の制作職、ユネスコ本部での美術展運営、オンライン学習プラットフォーム・コンテンツ開発を経てCIRQ Inc.を設立。廃業した銭湯で現代アートを楽しむ「芸術銭湯+Café」を企画・運営

1978~ 私のアートの原点は赤い弁当箱

赤い弁当箱を捨てた。おじさんをひどく傷つけることになるとわかっていて、ゴミ箱へ捨てた。

小学校に入学したばかりの頃、いじめのターゲットにされて学校で孤立。同級生に会いたくなくて裏道を選んで下校する道程にホームレスが暮らす公園があった。教室に拠り所を持たない永野少年とホームレスのおじさんの交流が始まる。おじさんはいつも赤い弁当箱を手に持って町を巡り、食料を集めていた。ついでに少年が喜びそうなものを拾っては、土産に持ち帰る。少年が喜ぶ顔をみるのが嬉しかったのだろう。

ある日、おじさんは食べ物をいっぱいに詰めた赤い弁当箱をくれた。それはおじさんにとって滅多に手に入らないごちそうだった。いちばん大切なものをくれようとしているのがわかった。でも、食べられなかった。「おなか空いてないから家で食べる」と赤い弁当箱を受け取る。しかし、町で拾い集めた食べ物を両親の待つ家に持ち帰ることなどできない。少年は赤い弁当箱をコンビニのゴミ箱へ捨てた。それから、公園には行けなくなった。学校で、現実に立ち向かった。同級生の友達ができた。おじさんのことは忘れていった。

すべて忘れてしまった数年後、公園に行った。そして、無人のベンチの上に、そこにあるはずのない物が置かれているのを見つけた。記憶が蘇る。コンビニのゴミ箱に捨てたはずの、あの赤い弁当箱だった。なぜそこにあったのかはわからない。おじさんはいなかった。ただ、空の赤い弁当箱だけが置かれていた。

その光景が今でも目に焼き付いていると現在の永野は言う。「あれがおそらく私の感じるアートの原点となっています。インスタレーションをみるとき、私はしばしばあのときの赤い弁当箱をみるようにみる」

1996年〜 仲間に叱咤され、我が道を模索

高校を中退。魂を震わされる何かを探しながら、街で知り合う仲間たちと共に目の前の刺激に流される日々。進むべき道を見出せずにいた。そんなとき、偶然目にしたサルバドール・ダリの絵に惹きこまれシュルレアリスムに興味を持つ。好奇心を手繰り寄せた先でアンドレ・ブルトンの著書「シュルレアリスム宣言」と出会う。「言葉のひとつひとつがビリビリするほどカッコよかった」と永野は語る。もっと世界のことを知りたい、勉強したいと思う。

「達也は俺たちの大切な仲間だけど、俺たちとは少し違う。お前は俺たちの気持ちもわかるし、俺たちとは違う人の気持ちもわかる。お前なら俺たちとは違う人たちにとっても、俺たちにとっても楽しい場所をつくれる。そういうやつは、そんなに沢山いるわけじゃない。そんなお前が勉強しなくてどうする」と仲間に叱咤された日のことを忘れない。永野はトラックの運転手をしながら大学入学資格検定を取得。その後、大学へ進学した。

2000年 放浪し人と出会い、仕事にのめりこみ、誰かの役に立つ喜びを知る

永野には放浪癖がある。小学校高学年のとき、片道15時間自転車を漕ぎ、釣りへ出かけたこともある。その癖は、きっと生涯治らない。大学在学中、宗谷岬から樺太を目にし「ロシアへ行きたい」と思いつき、パスポートを取った。しかし、テレビ番組で見たモン・サン=ミシェルに心惹かれ、行先をフランスに変更、海を渡った。言葉もしゃべれない、知り合いもいない。空港が近づくと不安で心臓が張り裂けそうになったが、パリの街に着いた瞬間、風来坊気質が炸裂。パリにじっとしていることができず、フランスからスペイン、モロッコまで旅した。この旅を皮切りに各地を放浪。生涯忘れることのできない人との出会いを得る。しかし、資金の枯渇には太刀打ちできない。イスタンブールで銀行残高が底をつきそうになっていることに気づき、慌てて帰国した。

次の旅行資金を稼ぐため、メディア企業に就職。ディレクター兼コピーライターとして求⼈広告制作に携わる。未経験にもかかわらず「制作なら負けない」と高を括っていたが、現実は⽢くない。真夏の炎天下に⽴並ぶビルすべての扉をノックして歩く強靭な営業、夜な夜なダンボールを頭からかぶり⾔葉をひねり出す繊細なコピーライター、実⼒者がゴロゴロいて⻭が⽴たなかった。でも、創る仕事の⾯⽩さに心が躍る。永野がつくる求人広告は、次第に高い効果を上げるようになり、仲間とクライアントの強い信頼を得ていく。「自分の仕事を望んでくれる人がいて、誰かの役に立てることが、うれしかった」。根無し草のように生きてきた永野が、はじめて大地に根を伸ばした。

2008年 感動できなかったピカソから考える、本物の芸術とはどういうものか

2008年、フランスに転居。ユネスコ本部で美術展運営に携わる。各国の外交官が訪れるベルニサージュ(美術展のオープニング)で、国際政治・経済の舞台で機能するアートを目の当たりにする。

ユネスコ本部のホールには、パブロ・ピカソによる壁画「イカロスの墜落」があった。

「ピカソ美術館で見たピカソはすごかった。しかし、あの壁画には感じなかった。それがきっかけで本物とは何かと考えるようになりました。極論、著名な作家のサインが記されていれば作品は観られるし、売れてもいきます、たとえそれが贋作であっても。一方で、今を生きる多くのアーティストたちの作品はまだ無名であるがゆえに売れないし、そもそも観られていない。しかし、彼らの中にこれからピカソのようになっていく者がいるのです。いま観るべき本物とはどのような芸術なのか」と永野は話す。その思考の一つの帰着点として、アートの価値を証券化(分割)しWeb 取引する事業のアイデアを思いつく。

著名な芸術作品の所有権を分割することで、無名作家の作品と購入額を同額にし、同じ土俵にのせるという大胆な発想。同額になれば、無名作家の作品も歴史的な名画も、同じ土俵で観賞者の評価を受ける。「著名な作家とは観られ方が違うから」という逃げ場はなくなる一方で、チャンスは増す。観賞者は観賞者で、真の鑑賞眼が問われ、鍛えられていく。観者が作家を育み、作家が観者を育む。創造の発掘・キュレーションゲーム。しかしこれを始めるならば、その前にまず生で面白さを伝えられる場を用意したいと考えた。この発想が後に芸術銭湯の構想につながっていく。

2011年 人の可能性を切り拓きたい

日本に帰国し、オンライン学習プラットフォーム・コンテンツ開発に携わる。当初は、キュレーションゲーム構想を念頭にプラットフォーム開発の知見を備えておきたいという考えがあったが、実際に教育事業の現場に立って、その重要性に目覚める。⽬指すのは、いつでも、どこでも、だれでも、最⾼の教育を受けられる仕組みをつくること。ネットがあれば壁の向こうにも、国境の向こうにも、あらゆる障壁を超えて教育を届けられる。思えば、自分も仲間に叱咤されて大学へ進み、可能性を拓くことができた。学びを通じて、人の可能性を切り拓きたい、懸命に仕事と向き合った。教育の仕事を通じて、人の可能性を拓くというのがどういうことか深く考えるようになる。同時に、教育・学びと真剣に向き合うほどに改めて創造性を育むことの大切さを思うようにもなる。ここまではやると決めていたプロジェクトの節目を機に、退職。自分だからこそできる仕事に挑戦する決意を新たにする。

2017年 CIRQ Inc. 設⽴。⾃由に楽しく美しく

2017年にCIRQ Inc.を設⽴。東京の下町・根津にある廃業した銭湯「宮の湯」に出会う。ライトを点けた瞬間、天井高5mを超える空間が闇に浮かび上がる。火焚場に入った瞬間、何かが宿っているかのような異空間にワクワクし、あらゆる企画のイメージが浮かぶ。そこから奔走が始まる。最初に手掛けたのは2017年4月22日から5月6日まで開催したアートイベント『浴場とヒタキバを巡る小さな冒険(HiTAKiBA)』だった。

銭湯の造作そのままの脱衣場に、浴槽に、火焚場に、透明なクジラや花に囲まれた黄金の便器などのアート作品が並ぶ。はじめて会った人同士が湯のない浴槽で話し込み、なぜだか涙が止まらなくなってしまう人がいた。お風呂と間違えてタオル片手に入ってきて、そのまま何時間も過ごす人もいた。アートの場でありながら沢山の笑顔があった。「世界で一番落ち着く場所」という来場者の言葉がイベントを象徴していた。

永野は「銭湯の空間は不思議なくらい落ち着きます。だから来場者は肩肘張らずにアート作品と向き合えるのかもしれません。展示されているアート作品は作家が命がけで表現しているものです。素のままで向き合う来場者に強く響いたことでしょう。湯のない浴槽で、普段は言えないような話を吐露する来場者の方が多くいたのは、この空間と作品に触発されて感性が開いていたからではないかと感じています。アートは誰かが感じてはじめて完成していくものです。この空間で、私たちは作品が完成していく瞬間を体感しています」と振り返る。

FUTURE ⽬指すのは、⽣きていたくなる⾯⽩くて美しい世界

2020年6月、「芸術銭湯+Café 宮の湯」オープン。

「私が愛する芸術家たちの表現がここにあります。アートに馴染みのない方にもアート好きにも楽しめるよう、多層的なコンテンツを企画しているので、どなたでも気軽にきていただきたいと思っています。私の役割は楽しく美しく創造の空気を届けること。そうして、沢山の可能性を蒔き散らしたい。⽬指すのは、⽣きていたくなる⾯⽩くて美しい世界です」

「芸術銭湯+café」の作家の出展料はその時点での有名無名にかかわらず一律で1円。売上の大半を入場料から得ており、来場者が作家を支えるモデルとも言える。この事業を継続していく難しさは、永野が一番よくわかっている。

「理想主義者だと言われることはあります。事業を手がける以上もちろん現実を見なければなりませんが、根本的には理想主義でいたいと思っています」と永野は言う。「シリアで、破壊し尽くされた街をみて、辛かった。人間は創造するが、破壊もします。それでも、現実にいまここに根津の街があるように、美しい街や芸術が存在し続けている。破壊する力よりも創造する力の方が強いからです。これは人を信じる根拠たりえると思っています。私は沢山つまずいてきました。でもそこから前に進むたびに必ず世界は拓けた。世界はいじわるなときもあるけど、諦めずに前に進む者を決して⾒捨てない、私はそう信じています」

永野の挑戦は、まだ始まったばかり。キュレーションゲームをはじめ、あたためている構想が沢山ある。世界中の人を驚かせたい、楽しく美しく。人を信じ、捨てようとしない、永野の原点は、やはりあの”赤い弁当箱“にあるのかもしれない。

年表

  • 永野氏の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1978

    千葉県に生まれる

    ひろしま美術館開館

  • 1985

    赤い弁当箱をもらう

    第1回具象絵画ビエンナーレ開催

  • 1996

    高校を中退する

    芸術家岡本太郎逝去

  • 1997

    大学入学資格検定を取得

    第1回文化庁メディア芸術祭開催

  • 2004

    メディア企業に就職

    金沢21世紀美術館開館

  • 2008

    フランスに転居、ユネスコ本部で美術展運営に携わる

    十和田市現代美術館開館

  • 2011

    オンライン学習プラットフォーム・コンテンツ開発に携わる

    第1回太平洋文化芸術祭開催

  • 2017

    CIRQ Inc.設立、HiTAKiBA開催

    草間彌生美術館開館

  • 2020

    「芸術銭湯+ Café 宮の湯」 オープン

    ラファエロ・サンツィオ没後500年回顧展各地で開催