MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
Fugee代表 鞄職人 藤井 幸弘 氏

鞄が朽ち果てるまで責任を持つのが、職人の仕事

皮革の仕入れから設計、試作、型紙、縫製、金具まで手づくりにこだわる国内屈指の鞄職人。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

藤井 幸弘(ふじい ゆきひろ)氏 Profile

オーダーメイド鞄メーカー「Fugee」代表。世界でも数少ないハンドメイド革鞄職人

1949~ 好奇心・探求心が旺盛な少年を開花させた先生の一言

1949年1月、江戸川区で次男として生まれる。小学校2年生まで成績はオール1、人と話すのも苦手で周りから“とろっこい子”と称された。しかし、好奇心と探求心は旺盛で小学校3年生のとき、生活の中で気付いたふとした疑問を理科の先生に質問すると「よく気が付いた!」と褒められ、それから勉強が楽しくなり、成績はグングン伸び、高校入試では全科目90点以上とトップクラスの成績で合格。大学は、数学が得意だったという理由で、群馬大学工学部機械工学科へ進学した。

1972〜 人生を変えた一冊の雑誌。はじめての鞄づくりに心が震える

大学卒業後、自動車メーカーの製造子会社に就職。設計部門に配属され、自動車部品の図面を描く仕事を任された。図面を描くには機械だけではなく、金属やコストも知らなければならず、日々勉強だったが、モノづくりは楽しかった。6年半続けたが本社の指示に従うだけの仕事に未来を感じられなかった。

その時期、人生を変える一冊と出会う。兄の嫁から「幸ちゃん、こういうおもしろい本があるよ」と生活美術雑誌『銀花』(文化出版局)を手渡された。何気なくページをめくっていると、ある記事で目が釘付けになった。一人の革鞄職人の仕事ぶりや鞄製作の工程、オーダーメイド鞄の魅力を紹介する「かばんの男」と題された記事だった。

「その記事で紹介されていた鞄がどうしてもつくりたくなって、写真から寸法を類推して1分の1の図面を起こしました。電話帳に革と書いてあるお店に片っ端から電話して『鞄をつくりたいので革を売ってほしい』とお願いしました」と、藤井は当時のことを今も鮮明に覚えている。

浅草橋の手芸屋を探し当て、大きなヌメ革と染料、刷毛を購入し、見様見真似で鞄をつくりあげた。その体験が、藤井の中の何かを目覚めさせた。

「自分の手の中でゼロからモノが生み出され完結することが、本当に気持ち良かった」と話す藤井は、その後、会社に退職願を提出する。

1979~ 鞄メーカーに入社。伝説の名人からモノづくりの極意を授けられる

食費を稼ぐためグラフィックデザイナーをしていた兄の仕事を手伝いながら、空いた時間に革でいろいろなものをつくりはじめる。ある日、大手鞄メーカーの社長の記事を見つけ、いきなり電話をかけて「自分がつくった鞄を見てほしい」とお願いする。すると、懐の広い社長が会ってくれるというので、鞄を見せに行った。社長は、その熱意を褒め「何かつくったらまた見せにおいで」と言ってくれた。その言葉を真に受け、何かつくるたびに訪問していたら、「そんなに好きならうちに来るか?」と誘われた。

入社して社長の手ほどきを受け、鞄職人への第一歩を踏み出す。さらに、社内で荷造りの仕事をしていた高齢の社員が、実は、日本を代表する高級店に手づくりの革小物を納品していた伝説の名人だとわかり、その人から教えを乞うチャンスにも恵まれた。しかし、教えてもらえたのは月1~2回、しかも半年間という短い期間だった。

「名人は、『モノをつくるときは絶対手を抜くな。一度手を抜いたら職人は二度と這い上がれなくなる』と教えてくれました。その言葉は、今も自分のモノづくりの基本姿勢となっています」と藤井は話す。

1986~ 最初の店をオープン。売上げは伸びなくても、納得できる鞄しかつくりたくない

4年ほど働いた後、独立したいと相談すると「下請になってくれれば、君がつくった鞄を買ってあげるよ」と社長に言われて退職。国立市に念願のオーダーメイド鞄店「Fugee」をオープンした。最初の3~4カ月間、寝る間を惜しんでトランクとアタッシュケース、パイロットケースを完成させて会社に持ち込むと、買取額は1個3万円だった。家賃だけで6万円かかるうえ、手縫いなので数はつくれない。これでは食べていけないと判断し下請け仕事を辞退、個人客を相手にするオーダーメイド鞄に専念する。

しかし、知名度のない「Fugee」に客は来なかった。ときどき持ち込まれる鞄の修理や、レザークラフト教室を開いて、なんとか食いつないだ。

仕事がない時間は鞄づくりの勉強に費やした。アンティーク鞄を購入しては、それをバラしてその構造を徹底的に解き明かした。

「ゾクゾクするような鞄がいっぱいありました。すごい鞄は、つくる段階から10年後、20年後の経年変化を見越して仕立てにいろいろな工夫を凝らしているんです。そういう鞄に出会うたび、自分もそういう職人主導の鞄をつくりたいという想いを強くしました」

「Fugee」の鞄はスタンダードなデザインが多いが、内部は常に新しいアイデアや工夫が注ぎ込まれ、ひとつとして同じものはない。だから、納品するときに必ず「3年に一度でいいから里帰りさせて欲しい」と客にお願いする。もちろん、きちんとメンテナンスしたいという意味もあるが、それ以上に、自身が施したアイデアや工夫が数年後どのような経年変化を起こしているか自分の目で見たいという理由の方が大きい。

どれだけ良い鞄をつくっても、相変わらず客足は伸びない。そんなある日、教室の生徒から「こんな人目に付かないところでお店をやっていないで、たくさんのお客さんに見てもらえる場所へいかないとダメですよ」とアドバイスを受け、9年目に移転を決意する。

1994~ 渋谷に移転。エルメスの職人やファッション誌に鞄の品質を認められる

渋谷駅と代官山の真ん中あたりに店舗を移転。瀟洒な街で物の価値がわかる人が多く、ショーウィンドーに目を留めた人がふらりと訪れることが増える。それでも知名度がないため「良さそうな鞄だけど、なんでこんなに高額なの?」と質問されることが多かった。その都度、最高の素材を使っていることや手づくりで何カ月もかかることを説明したが、売上げは思ったほど伸びなかった。

同年、日本橋髙島屋で「エルメス展」が開催され、アンティーク鞄とともに本店の職人が来日。藤井はまたしても「僕がつくった鞄を見てください」とエルメスの職人に鞄を差し出した。若い職人がこの鞄を気に入ってくれ、翌日には渋谷のショップまで足を運んでくれた。それ以来意気投合し、その交流は今も続いている。

1995年には、国立時代に教室に通っていた金原リエが「Fugee」に参加。これにより、つくれる鞄の数は増えたが、それでも2人がかりで1カ月に1個が限界。商売としてはギリギリの状態が続く。

渋谷に来てから10年が過ぎた頃、ファッション誌が「Fugee」の鞄を取り上げてくれた。デザインも機能も素材も最高級であることと、手づくりにこだわる藤井の姿勢が評判となり、鞄を買い求める客が増えはじめる。その後も、毎月何らかの雑誌やメディアに紹介されるようになり、ようやく経営は軌道に乗りはじめた。「Fugee」のオーダーメイド鞄は現在納期5年待ちだが、それでも注文客が増えていった。

渋谷に来てから18年が過ぎ、街の空気が変わったと感じ、鞄づくりに集中できる場所へ移転することを決意。

2012~ 豊島区に移転。鞄が朽ち果てるまで責任を持つのが職人の仕事

豊島区要町にアトリエ兼ショールームを開設、鞄づくりに集中できる広々としたアトリエを手に入れた。藤井は鞄づくりのおもしろさを、以下のように話す。

「同じ手づくりの革製品でも靴は木型があり、部品も決まっているから、それほど突飛なものはできません。それに比べて鞄は正解なんてないし、本当に自由です。その分、間の抜けたものになるリスクは大きい。僕はかれこれ40年以上つくっていますけど、今もつくっている途中で次々にアイデアが浮かんできて試したくて仕方がないんです」

しかし、オーダーメイド鞄づくりは、なかなか藤井の思い通りには進まない。なぜならお客さまの要望に応えるため、ときにはポリシーを曲げなければいけないからだ。

「僕は革の質感がわかるシンプルな形状が一番美しいと思っています。でも、お客さまはスマホを入れるポケットが欲しいとか、ショルダーをつけて欲しいとか、いろいろ要望されます。そういう余計な細工をすると美しさが損なわれるので、本当はやりたくない。だから『それをつけると、ここがダメになりますよ』とお話ししたり、図案を描いたり、試作品を見せたりしながら、納得していただけるように進めていきます。もちろん、お客さまの要望を叶えることも大事ですが、つくり手として主張するべきところはしなければいけない。なぜなら、その鞄が朽ち果てるまで責任を持つのが職人の仕事ですから」

FUTURE 一人の職人が考え続け悩みながらつくる、それがモノづくりというもの

最近の鞄は、職人主導ではなくデザイナー主導でつくられることが多いと藤井は嘆く。

「デザイナーは大量生産に適した形を考える人なので、鞄づくりの神髄をわかっていない人が多いんですよ。縫い目とか磨き、金具とかディテールはきれいだけど、全体のバランスが整っていない。ディテールがきれいなのも結構だけど、やっぱり全体が美しくなければ意味がないんです。だから、究極的には、素材も仕立ても理解し、美意識も備えた個人がつくる鞄が一番だと思います。職人が、もっといいモノをつくるにはどうしたらいいか、考え続け悩みながらつくる、それがモノづくりというものです」

世界的にも希少な手縫いの鞄職人である藤井のもとには「弟子になりたい」と連絡してくる人も少なくない。
しかし、藤井は「独立して鞄屋になりたいなら習ってはダメです。この仕事は画家と同じで、人と同じ絵は絶対に描けないから習ってもモノになりません。でも、『俺は藤井につくれない鞄をつくる』と断言するくらいの美意識を持つ人には、ちょっと興味ありますけどね」と話す。

今後の展望を問うと、今まで通り何も変えるつもりはない。モノづくり以外のことでは、自分がつくった鞄を集めて展覧会を開催したいと話す。

「お客さまのために丹精込めてつくった鞄が5年後、10年後、20年後、どのように経年変化したのか、それぞれの鞄に凝らしたアイデアや仕立ての説明を加え、一堂に並べて見ていただけたら楽しいですね」と藤井は夢を語る。

年表

  • 藤井氏の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1949

    東京都江戸川区に生まれる

    イタリアの鞄メーカー「BERTONI 1949」創業

  • 1968

    群馬大学工学部機械工学科入学

    エースの「マジソンバッグ」が大ヒット

  • 1972

    自動車メーカー子会社に入社

    日本イケテイが紳士用鞄「CÄSAR」を販売

  • 1979

    鞄メーカーに入社

    英国GLENROYAL創業

  • 1986

    国立市にオーダーメイド鞄店「Fugee」オープン

    一般社団法人 日本皮革産業連合会設立

  • 1994

    渋谷区鶯谷町に移転

    ディオールからクラシックシリーズ「The Lady Dior」発売

  • 1995

    鞄職人 金原リエが参加

    モンブラン「Montblanc Meisterstück Large Leather Collection」を発売

  • 2012

    豊島区要町に移転

    LOUIS VUITTON×草間彌生 コラボコレクション公開