MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
刀剣研師 臼木 良彦 氏

日本刀に心奪われ、美の追求に人生を捧げた刀剣研師

美術品として国内外から絶大な評価を受ける日本刀。刀剣研師は、刀身の研磨を通じて深い輝きと美しい刃文を際立たせる美の職人である。刀剣研師の最高峰とされる「無鑑査」に認められた臼木良彦は、磨き上げた刀身に何を映すのか。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

臼木 良彦(うすき よしひこ) 氏 profile

刀剣研磨の最高峰である無鑑査に認定された刀剣研師。重要文化財はじめ多くの名刀を研磨。東京都江東区無形文化財指定。

1956~ 真剣に魅せられたチャンバラ少年は刀剣研師の道へ

1956年、臼木良彦は東京都深川に男四兄弟の末っ子として生まれた。父親は会社勤めだったが武道の嗜みがあったため、長男・三男には柔道を、次男には剣道を習わせた。しかし、体が弱い四男に武道を習わせるのは可哀そうと母親が主張したため、詩吟剣舞(刀剣を持ち詩吟に合わせて舞う芸道)を習わせることにした。本人は、剣舞に興味はなかったが、「習うなら刀を買ってあげる」との母親の言葉に乗せられ、チャンバラ好きの血が騒ぎ、詩吟剣舞に入門。まさかこの決断が人生を決定づけるとは、小学校3年生の臼木は知る由もなかった。

ある日、詩吟剣舞の練習後にふと道場を覗いた臼木は思わず息を呑んだ。誰もいない道場で先生が1人真剣で空気を切り裂いていたのだ。その姿があまりにもかっこよく、思わず「それは何ですか」と尋ねると「これは居合というんだ。よかったら稽古してあげようか」といわれ、小学校5年生で初めて真剣を手にした。

その時期、母の幼ななじみが住む葛飾の家を訪ねる機会があった。その家主が刀匠(刀鍛冶職人)だったのは、果たして偶然か必然か。刀剣を打つ姿を目にし、一瞬でその迫力と美しさに魅了されてしまう。それ以来、毎週土曜になると葛飾へ出かけ、刀匠の仕事を見学し、ときに手伝いもさせてもらった。この頃から将来は刀をつくりたいと考えはじめる。

高校生になった頃、「自分も刀をつくりたい」と告げるが、刀匠から「よほどの名人でなければ食っていけない」と諭され、「それほど刀が好きなら、研ぎ屋を目指してはどうか。付き合いのある研師に声をかけてあげよう」と刀剣研師の道を勧められた。

1975~ どれほど技術を磨いても美を引き出せないことに苦悩

「人生は一度きり、本人が決めた道を歩めばいい」と母親は背中を押してくれたが、父親は頑として首を縦に振らなかった。たとえ、修行に耐えて独立したところで生計を立てられるとは限らない職業である。子どもの将来を思いやるがゆえの反対だった。しかし、小さい頃から憧れてきた刀の仕事に就けるチャンスを逃したくない。臼木は、父親の反対を押し切り、高校卒業後、日本屈指の刀剣研師藤代松雄氏(後の人間国宝)に入門。実家を飛び出して師匠の家に住み込み、刀剣研師の道を歩み始める。

10年間の長い修業生活がはじまった。師匠の家には5人の兄弟子が住み込んでおり、一番下っ端の臼木は誰より早く起床し、掃除、洗濯、皿洗い、子守りなどをこなしながら修行に励む。
 「喜び勇んで入門したものの、待っていたのは別世界でした」と臼木は当時を振り返る。気づかされたのは、扱う刀剣すべてがコレクターや刀剣商からの預かり物であり、貴重な文化財かつ美術品という仕事の難しさだった。刀剣研師はこの世に2つとない文化財を削り減らす仕事であり、下手すれば美的価値を壊してしまうリスクがある。「未熟者だからしょうがない」では済まされない。この仕事に向き合うには、命をすり減らすほどの集中力が求められた。

「ありがたいことに、師匠は入門間もない時期から仕上げ工程に携わらせてくれました。仕上げは刀の美的価値を完成させる最重要工程なので、もちろん新入りの私にできるはずありません。しかし、師匠は2つの意図で仕上げから修行をさせてくれました。ひとつは、仕上げの砥石は非常に目が細かく、どれだけ研いでも刀身を減らす心配がないこと。もうひとつは、仕上げにより刀身に浮かび上がる刃文(はもん)の美を若いうちに覚えさせることです。刀剣研師は、美を見極める審美眼を備えていなければ良い研ぎができません。そして審美眼は一朝一夕には育ちません。だから、若いうちから仕上げに携わらせて美を見極める目を育ててくれたのです。その教えは自分の技術をつくる下地になったと思っています」

最初の3年間の修行は充実していた。覚えることがたくさんあったが、自分の成長を実感でき、楽しかった。しかし、苦悩の日々はそこからはじまる。
 「3年で仕事を覚えると同時に、目も鍛えられたので、自分が研いだ刀の幼稚さがわかってしまうのです。自分が研いだ刀は美術品には程遠く、まるで幼稚園生の落書きレベルでした。3年間必死に研鑽を積んだのに、何も身についていない事実を突きつけられ、絶望的な気持ちになりました」
 刀剣研師の世界は3年目以降が鬼門だ。大半の弟子がこの壁を乗り越えられず脱落していく。臼木は、そこから8年、9年経っても、その空虚感、絶望感に苛まれ続けた。
 「入門当初は10年を長いと感じていましたが、9年目になった頃には、こんな未熟なままでは修行を終われないと焦りを感じ、何とか延長できないかと師匠に懇願しました。しかし『教えることはもうない。あとは自分でやれ』といわれ、放り出されてしまいました」

1985年~ 不安を抱えながらも刀剣研師として独立

修行を終えて深川に戻り、自宅兼工房で刀剣研師として歩み始めた。人間国宝である藤代松雄氏の門下生という看板のおかげで、何とか仕事はもらえたが、生計を立てるのは楽ではない。とにかく名前と腕を知ってもらうため、年1回開催される日本美術刀剣保存協会主催の「現代刀職展」研磨・外装の部に参加し続けた。受賞が増えると仕事も増え、次第にメディアから取り上げられるようになった。2000年には、写真雑誌「コマーシャル・フォト」から刀の写真を撮りたいと依頼されて刀を持参してスタジオに行ったところ、なぜか休憩中に撮影した臼木が真剣を磨く写真が採用され、雑誌広告を飾ったこともある。

2001年~ 700年の時を超え、研ぐほどに美が深まる名刀「粟田口国吉」

人生の転機は突然訪れる。鎌倉末期に作刀された名刀「粟田口国吉(あわたぐちくによし)」を研ぐ機会を得た。
 「相性が良かった」と臼木は言う。研げば研ぐほど、刀身が深い光を放ち、得も言われぬ美しい刃文が浮かび上がる。「700年以上前の古刀なのに刀身は瑞々しく、一点の緩みもない。まるでバケモノです。こんな刀が世の中にあったのかと、震えました」。研ぎはじめると刀は臼木に語り掛けてくる。その声に応え、また研ぐ。研ぎを通して刀と研師が一体になっていく。何十年も刀を研いできたが、こんな感覚を味わったのは初めてだった。
 名刀の仕上がりをみた先生から「これはすごい!絶対にコンクールに出すべきだ」と勧められ、「現代刀職展」に応募したところ最高賞「木屋賞」を受賞。このとき臼木は45歳、入門から27年目の夏を迎えていた。

2005年~ 刀剣研師の最高峰「無鑑査」に認定される

「粟田口国吉」を研いでから何かが変わった。次に研いだ刀は、国宝に指定されている「へし切長谷部」と同じ作者による名刀。まるで刀が刀を呼び寄せるように、名刀を研ぐ機会に恵まれ、それを研ぐことで臼木は別次元へ足を踏み入れていく。
 3年連続で「現代刀職展」の日本一を飾り、ついに2005年、国内最高の刀剣研師に与えられる「無鑑査」の称号を得た。この称号は研ぎの技術だけではなく、実績、人となり、協会の推薦がなければ与えられない。
 「いつかは選ばれたいと目標にしていましたが、60歳で取れればいいと思っていたので、正直驚きでしたね」
 誰もが認める日本最高の刀剣研師となり、新たな目標が芽生えた。それは後進の育成である。
 「師匠から教えていただき、磨いてきた技術も、何ひとつあの世には持っていけません。これを後進に伝えなければ罪になると思い、53歳で初めて弟子を取りました」
 今、臼木のもとには、入門5年目の多田芳徳と、初の女性刀剣研師として独立した神山貴恵という2人の弟子がいる。
 「私が知っていることは100%教えたい。研ぎの技術が継承されないと刀剣という日本が世界に誇る文化が廃れてしまうので、後進育成は責務だと思っています」

未来へ 日本人の魂である美しき日本刀を後世に残し伝えるために

「日本刀には『神様の器』『美術品』『刃物』という3つの要素が必要で、そのどれかひとつがかけても刀とはいえません。刀は武器だと思っている方が多いようですが、実はそうではありません。そもそも数百年前の刀が今も残る理由は、使われていなかったからなのです。そもそも武器ならば、美しい刃文を浮かび上がらせる化粧研ぎなど必要ないはずです。昔から刀はアートであり、守り神としてすべての家庭にあり、大事に保管されてきました。日本人の魂、世界に誇る美術品、刀の素晴らしさを一人でも多くの人に伝え、文化を守り伝えていくこと、それが刀剣研師の使命です」と臼木は、日本刀に対する思いを語る。
 最後に「刀研ぎとは何か」と問うと、臼木は「人生ですね。それしかいいようがない」と答え、「小学校3年で刀に魅せられ、好きなことを仕事にできたのは親のおかげと感謝しています。これからはその恩返しとして後進を育て、刀の文化を広めていきたい」と話してくれた。
 日本刀の最大の魅力は、機能の追求により研ぎ澄まされたフォルムと光の加減ひとつで表情を変える刃文の美しさにある。その深淵なる美は、刀剣研師がいなければ決して生み出すことはできない。だから、今日も臼木は心を研ぎ澄まして日本刀と対峙し、その美しさを引き出し続ける。

年表

  • 臼木の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1956

    東京都深川に生まれる

    豊臣秀吉が所有したとされる無銘義弘「名物富田江」国宝に指定

  • 1975

    都立墨田工業高等学校を卒業後、刀剣研師で人間国宝の故藤代松雄師に入門

    「銘豊後国行平作」重要文化財に指定

  • 1985

    10年間の修行の後、独立

    室町時代の山城国信国の金造亀甲繋文腰刀拵「中身銘信国」重要文化財に指定

  • 1987

    全国刀剣商業協同組合設立

  • 1988

    美術刀剣研磨技術保存会会員

  • 2000

    写真雑誌「コマーシャル・フォト」の広告にモデルとして出演

  • 2001

    江東区無形文化財に指定
    名刀「粟田口国吉」を研ぎ、刀剣研磨の最高賞「木屋賞」受賞

    坂城町 「鉄の展示館」開館

  • 2002

    映画「たそがれ清兵衛」上映

  • 2005

    刀剣研磨で無鑑査に認定される

    映画「蝉しぐれ」公開

  • 2009

    初弟子を取る

    メトロポリタン美術館(ニューヨーク)で「侍の芸術:日本の武器、武具、1156-1868 展」開催

  • 2019

    初弟子神山貴恵が独立する

    「刀剣乱舞」が実写映画化される