MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
株式会社 若松(東京港醸造)代表取締役 齊藤 俊一 氏
株式会社 若松(東京港醸造)取締役 杜氏 寺澤 善実 氏

100年の時を越えて大都会に復活した酒蔵

江戸後期創業の酒蔵を100年ぶりに復活させた齊藤俊一と、画期的な小規模醸造所を開発し“東京らしい酒”を醸す寺澤善実。二人の夢は歴史も国境も文化も越えて広がっていく。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

profile

酒蔵の七代目当主齊藤俊一氏 (写真右)と稀代の杜氏寺澤善実 氏(写真左)

1812 幕末の動乱期に栄えるも、維新の世を迎え廃業へ

西郷隆盛が飲み代の代わりに残したとされる書

 江戸後期1812年に創業した「若松屋」。薩摩藩の御用商人だった若松屋の奥座敷には、かの西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟らが頻繁に訪れていた。奥座敷の裏側に江戸湾へ続く堀があり、逃亡に適していたため、密談の場としてもよく利用されたという。西郷・海舟・鉄舟・泥舟と言えば、言わずと知れた江戸無血開城の功労者であることから、奥座敷でその談判が交わされたという可能性も、決して否定できない。

 江戸の世では繁盛していた若松屋だが、維新の世を迎えるとともに商いは下り坂に。四代目当主の他界や酒税法の変化などの影響を受け、創業100年を目前にした1911年に酒造業を廃業。その後、若松屋は食堂に業態を転換し、戦後は雑貨業を生業に屋号を繋いできた。

2006~ 業界の常識を覆し、100年ぶりの酒蔵復活へ

 7代目にあたる齊藤俊一は雑貨屋を継ぎ、地元商店街の役員として日々を過ごしていた。都心の好立地とはいえ、港区芝の商店街も衰退の一途を辿っており、将来への不安は拭えなかった。役員として全国の商店街へ視察に出かけるも、目にするのはシャッター商店街ばかり。「元気なのは、観光客が集まる土産物屋と酒蔵くらい。その様子を眺めながら、ふと、そういえば先祖が酒蔵をやっていたと親から聞いたことがあるぞ。東京のど真ん中で酒蔵を復活すれば、観光客を呼びこみ、地域活性化の一助になるかもしれないと思い付いたんです」と齊藤は振り返る。思い付きはしたものの、その実現は容易ではなかった。芝の土地は敷地わずか22坪、そんな狭小地で醸造している酒蔵など存在しない。解決策を探っていた矢先、お台場に小規模な日本酒醸造所があると知り、すぐ施設見学へ出向いた。

 醸造所で齊藤を案内したのが、大手酒造会社で20年以上酒造りを経験し、お台場で醸造責任者をしていた寺澤善実である。

 テナントビル内の醸造所を見学した齊藤は、その技術力と酒造りの姿勢に惚れ込み、寺澤に「酒蔵復活を手伝ってほしい」と想いをぶつけたが、「やめた方がいいですよ。絶対採算に乗りませんから」と無碍に断られた。しかし、齊藤は諦めない。何度も何度も訪問し、ついに口説き落とす。「実は、お台場の醸造所は採算が合わず、いつ閉店してもおかしくない状況でした。ただ、小規模な醸造所でもうまい酒を造れることを証明したくて、新酒鑑評会で賞を取るまでやめないと決めていたんです。その願いが叶い2008年に金賞が取れたことを機に、齊藤社長のもとでお世話になることを決めました。根拠はないけど、うまくいく自信はありましたね」

 こうして酒蔵復活に向けた二人三脚がはじまる。最初にして最大の難関が酒造免許の取得だった。免許申請には製造者の人格、知識、経営の安全性、法定最低製造量などを厳しく見られ、取得は容易ではない。日本酒業界全体が下火の中、国は新規免許を発行しないというのが、業界の常識とされていた。しかし、ここでも齊藤は諦めない。何度却下されても所轄の税務署に足を運び続け、2年後の2011年、ついに「その他醸造酒(どぶろくなど)」と「リキュール」の免許を取得することができた。

2011~ 敷地22坪のビルが世界に類を見ない醸造所へ生まれ変わる

 日本全国のどこにも、敷地22坪の狭小地で酒造りを行っている酒蔵はない。当然のごとく、そんな小さな酒蔵を設計できる人も、それに見合う設備も、そんな環境で酒造りをした人もいないと思われていた。しかし、寺澤は、それができる唯一の可能性を持つ人物だった。寺澤は、すべての知識と経験を活かし、さらに独学で建築や設備機器製造も学び、世界に類を見ない小さな日本酒醸造所を完成させた。ベランダで米を蒸し、4階の麹室で種麹を付け、3階の仕込み室で冷やしてからタンクに仕込み、2階で絞った酒を1階で瓶に詰め、火入れを行う。一切の無駄がない計算し尽くされた動線を設計し、少人数で効率的にコストを抑えた酒造りができる酒蔵をつくりあげた。

 「毎月のように業界関係者が視察に来ます。隠れて写真を撮ったり、こっそりメジャーで測ったりする人もいました。そのくらい業界人からすると、あり得ない施設なんですよ」と齊藤は笑う。

 「最初、この技術を盗用されることを恐れて、誰にも見せないようにしていたのですが、結局、真似する業者は出てきませんでした。たぶん、電卓叩いて採算が合わないって気付いたんじゃないですか」と寺澤。

 こうして幕末の志士が愛した若松屋は、100年の時を越え「東京港醸造」として大都会の真ん中に蘇ったのである。

2016~ 変化し続けることに価値がある東京らしいお酒

 齊藤は、リキュールやどぶろくではなく、やはり清酒を造らなければ、本当の酒蔵復活とはいえないと考え、再び税務署通いを続ける。その執念が実り5年後、ついに固く閉ざされていた扉が開く。

 2016年7月1日、清酒の酒造免許を取得。8月19日、純米吟醸原酒「江戸開城」を発表。このブランド名は、若松屋の奥座敷で談判されたかもしれない江戸無血開城に由来する。

 「酒蔵を復活したいと口にしたとき、誰もが絶対経営が成り立たないからやめろと言いました。しかし、私は経営に必要なのは目に見える資産だけではないとの思いがありました。資産には有形資産と無形資産がありますが、幸いにも、私には先祖が残してくれた200年を越える酒蔵という無形資産があったのです。この資産をブランド化して世に送り出す、それが私の使命ではないかと考えたのです」と齊藤は酒蔵復活にまつわる想いを語る。その想いは、「江戸開城」というブランド名に色濃く表れている。

 「東京らしいお酒にしたい。毎日のように変化し続ける東京みたいに、仕込み方や気候条件、絞り方で味が変わる、それをこのお酒の価値にしたい。都会のど真ん中に立地し、朝絞ったフレッシュなお酒をその日のうちに提供できる酒蔵なんて、うちしかありませんから。今、蔵の前にテイスティングカーを置き、お酒を提供しているので、お客さまの表情や感想を直接聞きながら、本当に飲みたいお酒を造れています。杜氏として、これほどやりがいのある環境は他にありません」と寺澤は話す。

※清酒:米を発酵させた醪(もろみ)から固形分(酒粕)をろ過したお酒。「どぶろく」は酒粕を含んだ状態のお酒。日本酒という呼びかたには、清酒もどぶろくも含まれる。

FUTURE未来へ 歴史も国境も文化も越え、地産地消の日本酒を世界へ

 清酒造りをはじめてから、2018年で3年目を迎える。現在、生産・販売しているのは純米吟醸原酒と純米大吟醸原酒とどぶろくの「江戸開城」シリーズ、「生酛×速醸」という今までにない醸造法で造られた純米吟醸原酒「Palla-Casey」、東京産米で醸した「東京あまざけ」、その他、プラム、ブルーベリー、はちみつで造ったリキュール類。販売ルートは、提携酒販店と東京港醸造での直販のみ。2018年に仕込んだ酒量は、すでに予約で完売となっており、入手困難な希少酒となっている。

 「何しろ規模が小さくて生産量に限界があるため、受注分を仕込むだけで手一杯です。正直に言うと、まだ採算が取れるレベルに達していないので、設備を拡張して増産する計画はありません。まず、今の生産規模でより質の良いお酒を造り、当初から考えていたように地域に貢献したいと思っています。その先の展望として考えているのは、寺澤の夢を叶えることですね」と齊藤は今後の展望を話す。

 寺澤の夢とは、東京港醸造で磨き上げた超コンパクトな日本酒醸造設備(ミニブリュワリ―)をパッケージ化して国内外に提供し、地産地消の日本酒を世界に広めることだという。

 「絞りたて、汲みたての原酒を味わえる環境が増えれば、日本酒の価値をもっと多くの人に広められると思うんですよ。日本食が世界遺産になり、日本酒への興味も高まっていますから、今後、海外でミニブリュワリーのニーズは高まると思います。プラントそのものを提供するのか、ノウハウを輸出するのか、やり方はいろいろあると思いますが、過去30年以上にわたり培ってきた醸造技術とミニブリュワリーの生産・運営のノウハウを使って、世界に挑戦してみたいですね」と寺澤は、無限に広がる夢を披露してくれた。

 100年の時を経て蘇った東京港醸造の物語は、まだ序章がはじまったばかり。大都会のど真ん中にある世界に類を見ない小規模な酒蔵は、歴史も国境も文化も越えた新たな価値を生み出す可能性にあふれている。

東京港醸造の情報はこちらを参照ください

http://tokyoportbrewery.wkmty.com/

年表

  • 東京港醸造の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1812

    造り酒屋「若松屋」開業

    長崎・出島のオランダ商館長
    ドゥーフが日本国内初の
    ビール醸造を試みる

  • 1862

    二代目齊藤茂七が店を継ぐ

    横浜の居酒屋「伊勢熊」、
    日本で初めて牛鍋を提供する

  • 1868

    江戸無血開城

  • 1879

    三代目齊藤茂吉が店を継ぐ

    東京・芝に設立された醗酵社が
    「桜田ビール」発売

  • 1884

    三代目茂吉没、妻のしもが後を継ぐ

    森鴎外が留学のためドイツへ渡る。
    留学中に「ビールの利尿作用について」
    の研究を行う

  • 1911

    しもの没後、
    後継者や酒税法の問題もあり、
    酒造業を廃業

    第一回全国新酒鑑評会開催
    (醸造試験所)

  • 2006

    七代目齊藤俊一と
    杜氏の寺澤善実が出会う

    酒税法改正で酒類を4分類に簡素化

  • 2008

    ・寺澤善実の造った酒が
    全国新酒鑑評会で金賞受賞
    ・寺澤が株式会社若松に入社

    日本初「糖質ゼロ」の日本酒発売

  • 2011

    どぶろく・リキュールの酒造免許取得、
    「東京港醸造」開設

    酒造好適米の生産量が増産に転じる

  • 2016

    ・清酒の酒造免許取得
    ・純米吟醸酒「江戸開城」発売開始

    44年ぶりに大阪府堺市で酒蔵復活

  • 2017

    独自の「生酛×速醸」で醸造した
    JUNMAIGINJO GENSHU Palla-Casey
    発売

    純米吟醸酒の出荷量が
    初めて本醸造酒を上回る

  • 2018

    酒蔵ビル内に居酒屋オープン予定

    北区の酒造会社が廃業し、
    若松屋が東京23区唯一の酒蔵となる

(コンセンサス 2018年9月-10月号 掲載)