MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
アーティスト イトウ マリ 氏

欲望の根源によって人は動き、社会がつくられ動いている

シンメトリーの構図で描かれる美しい色彩の花は、この世に存在しない想像上の植物で、その内部には人間の顔が浮かび上がる。独自の世界観で人々を魅了するアーティスト、イトウマリの根源に迫る。

(文/井上 隆文)

アーティスト イトウ マリ 氏 profile

日本画をルーツに持つ独特な作品で、世界中の人々を魅了するバルセロナ在住の日本人アーティスト

1980~ 絵を描くことが大好きだった少女時代

美しい色彩の岩絵具

 いわゆる霊感の強い子どもだった。先生や友だちの背後にオーラが見えたり、飼っていないはずの猫が家の中を歩く姿が見えたり、誰にも見えていない人にぶつかりそうになったり、目には見えないけれど存在する何かがあると、小さな頃から気付いていた。

 大好きだったのは絵を描くこと。「一緒に暮らしていた祖父は油絵が趣味で、私が学校から帰るといつも描いていたので、その影響を受けたのだと思います。小学校高学年になると、私も油絵を描きはじめ、新しい素材の香りにワクワクしたことを、今でも覚えています」とイトウマリは、幼少期を振り返る。

 いつからか将来は芸術家になりたいと考えるようになった。芸術家になるには、日本でトップの東京藝術大学(以下、東京藝大)に行かなければならないと思い込み、高校へ進学するとすぐに美大予備校にも通い、主に花や植物などで日々デッサン力と描写力を磨いた。

 日本画を選んだのは、石を砕きそのままの色を使う岩絵具に魅了されたからだ。「日本画材店に並んでいる岩絵具の入ったガラス瓶を眺めているだけで、ウットリしていました」

1999~ 空が青い地中海の街、バルセロナならいいかも

 夢の扉は固く閉ざされ、何度挑んでも開かなかった。桜の季節を何度迎えても、東京藝大から合格の知らせは届かなかった。いつしか芸術家を目指すことより、東京藝大への入学が人生の目的になっていた。

 「4浪が決まったとき、芸術家になる手段として大学受験をしていたことに、あらためて気付かされました。私が目指すのは、世界で活躍する芸術家なのだから、いつまでも足踏みしていても仕方ない。いっそ海外へ飛び出した方がいいのではないかと考えるようになりました」

 4浪の末、東京藝大を断念し、女子美術大学(以下、女子美)へ入学。挫折感に打ちのめされたが、ある人物と出会い、錆びついていた人生の歯車が回りはじめる。

 「1960年代のウィーン幻想派の作品が好きで、浪人中からウィーンへ留学したいと思っていたと、女子美の担当教授の宮城真先生に話したら、なんと先生はウィーン幻想派のアントン・レームデン氏に師事していたというのです。こんな偶然があるのかと本当にびっくりしました」

 宮城先生の後ろ盾を得てウィーン留学へと向かったが、ウィーン幻想派の担当教授はすでに退官していたうえに、ウィーンの環境が思っていたものと違ったため、突如留学をやめてしまった。すでに、女子美を休学していたので、どこにも行く当てはない。悩んだ末、親交のあった東京のギャラリー「ツァイト・フォト・サロン」の石原悦郎氏(故人)に相談したところ「マリちゃんはバルセロナかリスボンじゃない?」と、なんとも直感的で軽いアドバイスをもらった。

 「空が青い地中海の街、バルセロナならいいかも」と、これまた軽い気持ちでイトウはその言葉を真に受け、すぐバルセロナへ飛んだ。

2006~ 戦争体験者がその肉体を使って描く渾身の作品に衝撃を受ける

 2006年2月、バルセロナ大学の美術学部へ留学。バルセロナの暮らしにも慣れて来た頃、女子美の宮城先生から連絡があった。ウィーンの恩師レームデン先生を訪ねるとのことなので、イトウも同行させてもらった。レームデン先生は、オーストリア国境近くのハンガリーの城に暮らしており、戦争や生と死をテーマにした細かな描写の作品で知られていた。

 「実際にお会いして驚いたのは、右手も左手も手首から先がほとんど無く、右手にかろうじて残っている親指と小指だけで筆を持ち、絵を描いていたことです。戦争を体験した人間が残された体を使って描く渾身の作品を目の前にしたとき、当時テロや戦争を題材にした作品を描いていたので、私なんかが戦争の絵を描いても説得力がない、自分にしか描けないものを描かなくちゃと痛感させられました」。この体験がイトウにとって大きな転機となる。

2009~ すべての人にそれぞれの花が咲いてほしい

バルセロナのアトリエにて
撮影:Mihcuge

 2009年、バルセロナで「欲望の根源(Id- el origen de los deseos)」をテーマにした個展を開催。この世に存在しない美しくも生命力を感じさせる花々とその中に顔が描かれた「欲望の根源」は、それ以降イトウのライフワークとなる。

 「誰もが無意識の中に欲望の根源を持っていて、それが核となり、人は動くと思うのです。その欲望の根源も人それぞれで、人を喜ばせたいとか平和でありたいとかそういうものが根底にある人と、無意識の中に悪を持っている人がいます。そういった欲望の根源によって人は動き、今の社会がつくられ動いている。だからこそ、平和を望む人たちと戦争をしたい人たちが存在します。見えない欲望の根源そのものを視覚化することで、人間の本質的なものに問いかけられればよいなと思っています。

 目に見えない様々な性質を、子供の頃感じ見ていたオーラのようにそれぞれ違った色や形そして、花の中にいろいろな顔を描くことにより表現しています。また、すべての絵で花を題材としているのは、魅力的な人のことを話すときに『華のある人ね』と使うように、すべての人にそれぞれの花が咲いてほしいという私の希望が含まれています」とイトウは作品に込めた思いを語る。

2013~ 日本画をルーツに、独自の世界を描く「イトマリズモ」

バルセロナ大学駅
写真提供:TMB(バルセロナメトロ交通局)

 2013年、バルセロナ市内で開催した個展では、大きなギャラリースペースの壁に絵を描くインスタレーションを行った。オープニングパーティーは、壁に絵が描かれた部屋でギャラリーオーナーが招待した詩人や政治家など特別な12人の客と共に夕食会をするという一風変わったスタイルで行われた。そのパーティーに参加したアジア文化財団「カサアジア」のメネーネ氏は、作品を高く評価し、「バルセロナ市内にパブリックアートを残さないか」とオファーしてきた。

 「日本人の私がバルセロナ市内のパブリックスペースに作品を残せるというお話をいただいたときは本当にビックリしました。パブリックスペースなので、通りがかりの人が一瞬でもパッと明るい気持ちになれる空間にしたいと思い『欲望の根源-歓喜の誕生-』をテーマに生命の息吹を爆発的に感じさせる『es primavera?』(『春?』)という作品をバルセロナ地下鉄バルセロナ大学駅の柱に、渾身の力で描き上げました」

『欲望の根源-ヨロコビタイの源-』

 現在は、バルセロナの自宅兼アトリエを拠点に、ギャラリーでの個展、ヨーロッパ、アジア、アメリカ各地でのアートフェアに出品、日本でも2年に一度のペースで個展を開催している。また、スペインに本社を構え世界70カ国以上でファッションアイテムを展開するブランド「Bershka」とコラボレーションしたワッペンを制作したり、神奈川県川崎市の「ウィーン菓子工房 リリエンベルグ」の包装紙を制作したりするなど、企業からのオファーによる仕事も徐々に増えてきた。

 2017年には、バルセロナ郊外のイグアラダと東京の2都市で「イトマリズモ」という個展を開催した。

 「バルセロナに住んでいると、自然にガウディ建築やカタルーニャ地方の芸術の影響を受けます。今回のテーマ『イトマリズモ』は、カタルーニャ地方の芸術様式『モデルニスモ』からつくった言葉です。『モデルニスモ』は、19世紀末から20世紀初頭に流行したフランスのアール・ヌーボーの影響を受けつつ、伝統的なムデハル様式を加えた独特なスタイルを築いた芸術様式です。今まさに、独立運動真っ只中のカタルーニャの民族主義と芸術や伝統文化に影響を受けながら、私自身のルーツである『日本画』をもとに独自の展開を見せ、新たな世界観を表現できればよいと思っています」

FUTURE未来へ やりたいことがいっぱいありすぎて、長生きしなくちゃ

 「こだわっているのは色です。風邪気味のときは食材を派手な色のお皿に盛ったり、元気が足りないときに明るい洋服を選んだり、私は日常生活でも色の持つパワーに助けられています。私が真っ黒いファッションのときは絶好調のときですね(笑)。天然の岩絵具は石を砕いたもので、そのままでも美しいので混色をせず、色そのものの力を最大限綺麗に見せたいと意識しています。色の持つパワーやエネルギーが作品をより強くしてくれると思います。色を決めるのはすべて感覚に任せていますので、絵を描くときは常にリラックスしてニュートラルな状態でいたいと思っています」

 今後の展望を聞くと、「今まで描いたことのない大きな作品や立体作品、インスタレーション、ビデオ作品などにチャレンジしたいですね。アーティストとして生きていくということは、金銭的に大変なときがあったり、苦労や心配がたくさんあったり、毎日、毎月がサバイバルで『ああ今日も生きてるな』って実感することが多く、それはそれで楽しいです。未来を考えるとやりたいことがいっぱいありすぎて、健康で長生きしなくちゃと思います」と楽しそうに話す。

 最後の質問として絵を描く(作品を創る)とは何かと尋ねると「カタツムリが歩いた後にちょっと残る跡みたいに、私が生きた足跡みたいなものでしょうか」と答えてくれた。

 イトウの描く絵は、色彩の美しさとシンメトリーな構図が見る人の心をつかむが、その絵を深く見つめれば見つめるほど、その奥にうごめく何かに心を乱され、目が離せなくなる。独特の世界観を持つ作品は、国境を越え、世界中の人々を惹きつける。

イトウマリ

http://www.itomari.com/

年表

  • イトウの
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1980

    東京都に生まれる

  • 1985

    フランスで「グラン・ルーブル」
    プロジェクト(ルーブル美術館大改築)
    開始

  • 1996

    高校進学・美大予備校へ
    通いはじめる

    第6回
    建築ヴェネツィア・ビエンナーレで
    日本館が金獅子賞受賞

  • 1999

    東京藝術大学を
    受験するも不合格

    セゾン美術館、三越美術館など
    デパート美術館が相次いで閉館

  • 2003

    ・女子美術大学に入学
    ・Key Gallery 東京でグループ展
    「Work 2003」参加

    「千と千尋の神隠し」が
    第75回アカデミー賞
    長編アニメ映画賞を受賞

  • 2006

    バルセロナ大学へ留学

    モーツァルト生誕250周年を記念し
    ウィーン少年合唱団による
    記念公演開催

  • 2008

    バルセロナのZENBU Gallaryで
    個展「Mari Ito」開催

    サザビーズで村上隆氏作の
    等身大フィギュアが約16億円で落札

  • 2009

    Kannon Gyo & Wa gallery(バルセロナ)
    で個展「Id- el origen de los deseos
    (Id- 欲望の根源)」開催

    ブレラ美術館で修復が完了した
    ラファエロの『聖母の結婚』一般公開

  • 2011

    グループ展のオープニングに
    出席するため帰国した際、
    東日本大震災に遭遇

    中国人画家、斉白石の絵画が
    近現代中国絵画の最高落札額
    約54億円で落札

  • 2012

    ツァイト・フォト・サロン(東京)で
    個展「欲望の根源」開催

    作者不明だった
    クレラー・ミュラー美術館所蔵の
    「野花とバラの静物画」が
    ゴッホの作品と判明

  • 2013

    TK Galeria d’Art(バルセロナ)で
    個展「El origen del deseo
    (欲望の根源)」開催

  • 2014

    ・ツァイト・フォト・サロン(東京)で
    個展「ヨクボウの庭」開催
    ・nap gallery アーツ千代田3331
    (東京)で個展「invisible」開催

  • 2017

    ・バルセロナ大学駅に恒久的な
    パブリックアート作品を制作
    ・ファッションブランド「Bershka」
    とのコラボレーションにより
    ワッペンを制作
    ・東京とバルセロナで
    個展「イトマリズモ」開催

    レオナルド・ダ・ヴィンチの
    新作とされた作品が絵画としては
    史上最高の約510億円で落札

(コンセンサス 2018年1月-2月号 掲載)