MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
塩崎農園/日中花甲志願者協会 塩崎 三郎 氏

日本生まれのおいしいリンゴ「ふじ」の普及に人生を捧げた果樹農家

中国、台湾、ヨーロッパ、アメリカでも生産されている日本生まれのリンゴ「ふじ」。その普及を託された塩崎三郎は、長野県における普及に尽力した後、中国で栽培指導に携わる。中国政府は、その貢献を称えて外国人功労者に贈る最高の賞「中国国家友誼賞」を与えた。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

塩崎農園/日中花甲志願者協会 塩崎 三郎 氏 profile

長野県飯山市でリンゴ、ブドウ、桃などを生産直売する果樹農家。中国でも栽培指導に取り組み「ふじ」の普及に貢献。

1938~ 恩師から日本生まれの新品種「東北7号」の普及を託される

 1938年、長野県北端に位置する飯山市で6人兄弟の末っ子として生を受ける。実家は先祖代々続く農家で広大な土地にさまざまな作物をつくっていた。兄や姉はそれぞれの道へ進んだため、末っ子の塩崎が農家を継いだ。

 1960年、農業修行のため青森県南津軽郡藤崎町にある農林省(当時)園芸試験場東北支場に入所、園芸部果樹栽培研究室で育種栽培に取り組む。当時、日本のリンゴは米国から導入された品種「国光」と「紅玉」が市場の8割を占めていたが、いずれも消費者の嗜好性を満たすものではなく、日本の環境に適した品種の育成が課題となっていた。東北支場では、研究室長の定盛昌助が陣頭指揮を取り、十数年にわたり新品種の育種を続けていた。

 「育種は、気が遠くなるような時間と根気がいる作業で、新品種の誕生に20年以上を要することも少なくありません。ちょうど、私が研究室に入った頃、有望な品種として『東北7号』の研究が進められており、先輩諸兄の指導を受け、育種栽培を引き継ぐことになりました」と塩崎は、当時を懐かしむ。

 その頃、農林省(当時)では機構改革が進められており、東北支場を盛岡市へ移転する計画が持ち上がっていた。東北支場長だった森英男は、移転により圃場で育成栽培していた「東北7号」の個体が伐採されてしまうとの危惧を抱き、研究室に勤めていた塩崎に「これからのリンゴ栽培はこの品種が中心になります。この穂木を持ち帰り長野県に普及させることが、塩崎君に与えられた役目です」と「東北7号」の穂木を手渡す。研究室長の定盛からも「リンゴ栽培新技術を長野県に導入する前衛として頑張ってください」と力強いエールを受けた。

1961~ リンゴ離れが進む中、「ふじ」の普及に尽力

 長野へ戻った塩崎は、農協を訪問し「東北7号」の導入をお願いした。しかし、当時の長野は、キノコ栽培が盛んで、新品種のリンゴを栽培しようという人はいなかった。やむなく、実家で「東北7号」を栽培しながら、生産直売所を設けて独自で市場開拓に取り組む。

 1962年3月「東北7号」は「ふじ」と命名され、同年4月「りんご農林1号」として農林認定品種(旧:命名登録品種)に登録。この名前には、富士山のように日本を代表する存在になってほしいとの思いが込められている。

 当時、バナナの輸入自由化や高度成長期のグルメ嗜好が影響し、消費者のリンゴ離れが進んでいた。リンゴの価格が暴落し、生産者が「国光」「紅玉」を山や川に投棄する「山川市場」が発生。リンゴ産業は危機的な事態を迎えていた。

 そんな中、長野県では塩崎の普及活動に共鳴した県園芸特産課の山田と、農林課地方事務所の深沼が「ふじ」の普及活動に取り組んでいた。長野市で「えびす講」が開催されれば、三輪トラックに20~30箱の「ふじ」を積み込んで駆け付け、小学校で試食会を開催。各市町村をまわり、地道に「ふじ」のおいしさを伝えて歩いた。その努力が実り、長野県内では徐々に「ふじ」を栽培する生産者が増えていった。

 「ああ、これで私もひとつの役目を果たすことができた」と塩崎は当時の思いを振り返る。

1997~ 果樹栽培指導を通じて貧困に苦しむ村の経済発展に貢献

 長野県日中友好協会に入会している友人に勧められ、塩崎は日本シルバーボランティアズ(JSV)に入会。JSVは、アジア開発銀行初代総裁である渡邊武氏が発起人となり1977年に設立された公益財団法人で、日本の定年退職者の技術・知識・経験を開発途上地域の自立援助に役立てたいとの構想が活動の原点となっている。塩崎は、JSVの「魚を与えて一日を養い、漁法を伝えて一生を養う(魚を与えれば一日の空腹を満たすことができるが、魚を獲る方法を教えればその後一生にわたって自活して行くことができる)」との理念に賛同して入会を決意。JSVは農業、工業、教育等、さまざまな専門家をアジア地域へ派遣しており、塩崎は落葉果樹の専門家として中国を担当することになった。

 1998年1月、郵政省(当時)国際ボランティア貯金寄付金の配分を受け、「貧困民自立のための果樹園開発事業」を実施するため、中国山東省済南市石門村で現地調査を開始。事業の目的は、荒れ果てた原野を拓き20haの果樹園を造園して村民の生活水準を改善し、貧困から脱却させること。急斜面に石垣を積み、1年がかりで段々畑をつくりあげ、リンゴ14,000本、桜桃2,800本を植樹。灌水施設をつくり、防除器具を設置した。

 当時、中国の農民は、村長から『あなたはリンゴをつくりなさい』といわれたからやっているだけで、剪定もできず、どこに実がなるのかもわからないくらい素人同然だった。そのため、一生懸命栽培指導をしても理解してもらえず、空回りの日々が続いた。それでも辛抱強く、現地での指導に取り組んだ。

 「はじめて訪れた村で先生ぶって『ああしなさい』『こうしなさい』といっても、誰も聞いてくれません。ですから、私は最初に皆さんの前に立ったとき『私は日本へ帰れば皆さんと同じ1人の農民です。リンゴや桃、ブドウをたくさんつくり観光農園をやっています』とお話しし、とにかく地元の人の意見を聞くだけ聞いて、そういう方法もいいけど、こうしたらもっと良くなるという指導をしていきました。それを繰り返していたら、徐々にみんなの顔つきが変わってきました」

中国のスーパーに並ぶ「ふじ(紅富士)」

■中国全土で栽培指導を行い「ふじ」を普及させた功労者

 このプロジェクトのおかげで石門村は、一大果樹産地として発展し、村民の生活は大幅に改善された。2年後、長野県日中友好協会のメンバーと共に石門村を訪れると、塩崎は経済発展の功労者として大歓迎を受けた。

 その後も毎年5~6回、北は河北省から南は江西省まで中国各地を飛び回り、栽培指導を続けた。特に河南省蘭考県は、塩崎が訪れた1998年には「中国で一番貧しい村」と通訳が紹介するほどだったが、3年にわたる指導により、果樹栽培が生活の糧となり、今ではビルが立ち並ぶ都市へと変貌を遂げた。2017年春、蘭考県は長年の貧困から脱出したと宣言をした。その際の経済発展過程の説明資料には、トピックスとして塩崎による果樹栽培指導が写真入りで紹介されている。

 今、中国国内のスーパーでは、果物売り場の一番目立つところに「ふじ」が大量に並べられている。病虫害に強く栽培が容易で、蜜がたっぷりでおいしく、貯蔵にも向いている特性が評価され、生産者からも消費者からも人気を得ている。中国で「ふじ」栽培が注目されはじめたのは、1980年に来日した中国政府の視察団が持ち帰った頃からだといわれているが、農民に栽培指導を行い、中国各地で普及させたのは塩崎だといっても過言ではない。今、塩崎は、中国国内で「ふじ」を普及させた功労者として広くその名を知られ、「塩崎先生が○○を訪問した」とニュースで流れるほどの存在となっている。

 「『ふじ』を生産するようになったおかげで、貧困から脱出してみちがえるようになった村がたくさんあります。その姿を見ることは、私にとって本当にうれしいことです」と塩崎は笑う。

2013~ 中国政府が贈る外国人功労者への最高賞「中国国家友誼賞」を受賞

「中国国家友誼賞」受賞時に贈られた勲章

 2013年には、中国の社会、産業および教育文化の発展に貢献した外国人専門家に対して、中国政府が贈る最高の賞「中国国家友誼賞」を受賞。日本の国会議事堂に相当する人民大会堂で行われた授賞式に招かれた。李克強首相も出席した式に塩崎は妻と共に参加し、緊張した面持ちで賞状を受け取った。

 「自分としては当たり前のことをしただけだと思っていますが、日本の最高の技術を中国に教えることができたという満足感はあります」と受賞の感想を話す。

FUTURE未来へ たくさんの人の思いが詰まった「ふじ」を世界に広めたい

 数年前まで、中国のスーパーに並んでいる「ふじ」は、日本より小粒サイズのものばかりだった。

 「中国の農民は、質より量を重視するので、花が咲いても間引きしないんです。だから、いっぱい実を付けるけれど、大きくならないし、味も良くなりません。たくさん収穫できた方がお金になるという意識が拭えないんですね。そこは何度指導しても直らなかったのですが、最近は中国も経済が発展し、お金持ちが増えたこともあり、量より質が求められるようになってきました。ですから、最近は今まで以上に『きちんと間引きして、大きくておいしい、質の良いリンゴをつくることに専念しなさい』と指導するようにしています」こうした塩崎の指導もあり、近年は日本同様の大きくておいしい「ふじ」がスーパーに並ぶようになってきた。

 「振り返ってみれば、青森の園芸試験場で『東北7号』と出会い、森先生や定盛先生ら先輩方の指導を受け、長野県では山田さんや深沼さんの協力を得て普及に尽力し、今も中国の方々と一緒に栽培指導に携わっているわけで、私は60年近く『ふじ』と一緒に過ごしてきたことになります。私はこれからも普及に尽力し、日本や中国だけではなく、世界中の人に『ふじ』を食べてもらいたいと思っています」

 多くの人の思いが詰まった日本生まれのリンゴ「ふじ」の物語は、国境を越え、文化を越え、今、世界へ広がっています。

塩崎農園(長野県飯山市): 園内でリンゴ狩り、ブドウ狩りが楽しめる他、地方発送も。

http://shiozakinouen.com/

年表

  • 塩崎の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1938

    長野県飯山市に生まれる

    青森県南津軽郡藤崎町に
    農林省(当時)
    園芸試験場東北支場が
    開設される

  • 1958

    園芸学会春季大会で
    「東北7号」が発表される

  • 1960

    農林省(当時)
    園芸試験場東北支場に入り、
    育種を担当する

  • 1961

    長野県に戻り
    「東北7号」の
    普及活動をはじめる

  • 1962

    「東北7号」が
    「ふじ」と命名される

  • 1968

    生産者が売れ残ったリンゴを
    山や川に投棄する
    「山川市場」が出現

  • 1969

    塩崎農園で
    生産直売をはじめる

  • 1971

    リンゴ生果の輸入自由化

  • 1982

    「ふじ」が
    リンゴ生産量1位になる

  • 1990

    青森県産リンゴの
    販売額が初めて
    1千億円の大台を突破

  • 1997

    日本シルバーボランティアズ
    に入会

    フランス産リンゴ輸入解禁

  • 1998

    中国山東省済南市石門村で
    「貧困民自立のための
    果樹園開発事業」に参加
    以降、年5~6回、中国に渡り
    果樹園指導に従事

  • 2000

    中国山東省済南市石門村で
    村長から歓待を受ける

    ふじ発祥の地・藤崎町で
    「ふじ生誕60周年感謝祭」を挙行

  • 2013

    「中国国家友誼賞」受賞

  • 2015

    青森県産リンゴの販売額、
    16年ぶりに1千億円の大台突破

(コンセンサス 2017年11月-12月号 掲載)