MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
公益財団法人日本盲導犬協会/常任理事 多和田 悟 氏

見えない私が手を伸ばしたとき、そこにいる。それが盲導犬の一番大切な仕事だと思う。

“魔術師と呼ばれる盲導犬訓練士”多和田 悟。テレビや映画で話題となった「クイール」を含め、200頭以上の盲導犬を世に送り出してきた多和田は、過去に何度も訓練士を辞めようと考えたという。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

公益財団法人日本盲導犬協会/常任理事 多和田 悟 氏 profile

日本の盲導犬訓練士の第一人者。現在は、日本盲導犬訓練士学校で後進の指導にあたっている。

1952~ 点字本に魅了され、盲目の牧師に師事し、盲導犬と出会う

 生まれ育った近江八幡市は、建築家であり、キリスト教の伝道者であり、外皮用薬メンタームで知られる近江兄弟社の設立者ウィリアム・メレル・ヴォーリズの影響を強く受けた街である。多和田の父も近江兄弟社で働き、自身も幼稚園から小学校まで近江兄弟社学園(現・ヴォーリズ学園)に通った。「キリスト教の学校で朝晩礼拝があり、聖書の言葉を道徳本のように受け入れて育ちました。神学では“預言”と言いますが、自分の中に神の言葉が蓄えられた時期といえます。聖書が示すように未来がすべて決められているならば、人は一生懸命生きるしかありません。では、なぜ生きるのか、それは義務です。義務とは良い務めという意味です。そういう根本的な考え方は、あの頃身に付いたのだと思います」と多和田は振り返る。

 小学校6年のとき、児童室にある本を完全制覇し、そのご褒美として図書館の先生に点字室を案内してもらった。

 「初めて手にした点字本は、ポチポチが影になってすごくきれいでした。これで本が読める人はすごい!」と衝撃を受けた。その後、点字のことはしばらく忘れていたが、高校1年のときに思い出し、図書館の点字室へ駆け込んだ、そこには訳・二宮邦彦と書かれた800タイトルの点字本があった。点字に興味を持った多和田は、二宮と手紙でのやりとりをはじめ、やがて、点訳のボランティアをはじめる。点字の師となった二宮が、殺人の罪で福岡拘置所に収監されている死刑囚だと知るのは、後の話だ。この点訳ボランティアがきっかけで、京都で開拓伝道に勤めていた盲目の牧師、塩見三雄と知り合う。多和田は、塩見牧師の元に足繁く通い、点字を習いながら教会や保育園の建設計画を手伝った。その塩見牧師が、1969年にアメリカで訓練を受け、盲導犬を連れて帰国した。これが多和田と盲導犬のファースト・コンタクトである。

1971~ 大学紛争の最中、アパートを訪問した全盲の友人に衝撃を受ける

 青山学院大学文学部神学科へ進学したが、大学紛争の影響で授業が受けられない日々が続いた。そんなある日、アパートの部屋にノックの音が響く。ドアの前に立っていたのは、高校時代に盲学校で知り合った松本正巳だった。多和田は一瞬、何が起きたのか分からなかった。なにしろ、全盲の松本が電話一本入れず、杖一本を頼りに彦根から新幹線と中央線を乗り継ぎ、一人で訪ねてきて「遊びに来た」とケロリと言うのである。「人は目が見えなくてもどこへでも行ける、そこに不可能はないと、彼が実践してみせてくれたんです」

 その後も大学紛争は激化する一方で埒が明かないと考えた多和田は、大学をやめる決心をする。そのとき、頭に浮かんだのがアパートを訪ねてきた松本と、盲導犬を連れてさっそうと歩く塩見牧師の姿だった。「自分に犬の訓練ができるとは思わなかったのですが、他の選択肢を思いつかなかったんです。もし、あのとき杖の歩行指導員を知っていたら、そっちを選んでいました。これもあらかじめ決められたことだったのかもしれませんね」

1974~ 人の役に立てず絶望し、盲導犬訓練士を辞めようと決意

 日本盲導犬協会の小金井訓練センターで盲導犬訓練士としての第一歩を踏み出す。しかし、力づくで犬に服従を求める訓練方法には違和感を禁じ得なかった。この方法では、訓練士の言うことは聞いても、使用者に服従せず盲導犬として役に立たないのではないかと考えた。相手のために何かをなすことが生きる義務だと考える多和田にとって、人の役に立てないことは、自分が存在しないも同然だった。新天地で再出発するべく、富山の北陸盲導犬訓練所へ移ったが、結果は同じ。懸命に仕事をしても、使用者の役に立てず、その上、薄給で家族にも苦労をかけ続け、精神的に追い込まれ、訓練士を辞める決意を固めた。

 「今思えば、目の見えない人が、この犬を使ってどうなるのかという、肝心な視点が欠けていた。それがすべてでした」多和田を盲導犬訓練士にとどまらせたのは、1枚の古新聞だった。同じ県営住宅に住む自治会長の奥さんから「慣れないひとり暮らしは大変でしょう」と新聞紙にくるまれた夕食のおかずをもらった。くるんでいた新聞紙を開き、箸を伸ばした先に見慣れた顔があった。「京都に盲導犬を」との記事に写っていたのは、あの塩見牧師だった。記事を読み終えるや否や、電話機をつかんだ。なぜか10年以上かけていなかったはずの番号が咄嗟に浮かび、指が勝手にダイヤルを回していた。電話を受けた塩見牧師は、「その件で一度京都に来ないか」と誘った。京都を訪れた多和田は、関西盲導犬協会設立準備委員会の責任者に会い「盲導犬訓練士として、ぜひ来てほしい」との依頼を受けたが、訓練士を辞めるつもりだったため、この誘いを辞退してしまう。塩見牧師にその旨を報告すると「『人はパンのみに生きるにあらず、だよ』と声をかけてくれました。僕が『パンも食べたいじゃないですか』と反論すると、『別に食べるなとは言っていない。パンも大事だよ』とやさしく懐柔されて、結局、関西盲導犬協会で再出発することになりました」

1982~ 「お前が捜しているのは俺だよ」とツィードは話しかけた

  関西盲導犬協会の仕事をはじめる前に、多和田はイギリスへ飛んだ。その目的は、これまでの経験から導き出した『盲導犬になるべくして生まれる犬がいるのではないか』という仮説を検証するためだった。英国盲導犬協会にコンタクトし、盲導犬繁殖センターを見学させてもらうことができた。ある犬舎を訪れたとき、一匹のゴールデン・レトリーバーが多和田に話しかけてきた。

 「『お前が探しているのは俺だよ』って目で言うんですよ。そこに英国盲導犬協会で伝説の人物といわれるデレク・フリーマンが通りかかり、『お前なぜその犬を選んだんだ』と言うわけです。デレクによれば、そのツィードという犬は、生まれた子の8割が盲導犬になる最高の繁殖犬とのこと。ツィードを見初めたことが気に入られ、デレクは僕にいろいろ教えてくれました。デレクの持論は『良い盲導犬は良い繁殖によってのみ生まれる』でした」

 帰国後、デレクは多和田に一頭の子犬、ツィードの娘マギーを送った。初めてマギーを見た関西盲導犬協会の関係者は、誰もが「これは犬じゃない。人間だ。人間の話が分かっている」と口を揃えたという。日本では「良い盲導犬は、良い訓練から生まれる」と信じられてきたが、その定説はこのとき覆された。

 「良い盲導犬とは、人間と暮らすのが苦にならず、むしろ楽しめる犬のことです。犬の世界には段差があるから止まるなんてルールはありませんが、でも、人間は止まるんだよと教えたら『うん、それなら止まろうか』と思える犬が、盲導犬になれるのです」

 これ以降、盲導犬訓練の在り方が根本から変わった。

 「僕が目指したのは教育です。教育とは、教え育むことですから、必要なのは自発です。段差や障害物、角を使用者に伝えることを教え、できたら『えらかったね、さぁ次も探してみよう』とやっていくと、どんどん自発が出てくるんです。ただし、自発を生むには、動機の達成が必要です。犬にとっての動機は『グッド』という褒め言葉です。犬に考えさせるというのは、右か左か、行くか行かないかを選ばせることです。犬は、どちらが楽しいかなって一生懸命考えて選択します。正しい選択をしたら『グッド』って褒めてやる。そうすれば、犬はハッピーなので、どんどん良い仕事をしてくれます」

 盲導犬というとおとなしく生真面目なイメージがあるが、多和田が指導に関わった犬は、仕事中も楽しそうにしっぽを振っている。それは、使用者と一緒に歩き、正しい選択をして『グッド』をもらうことが、犬にとって最高に楽しいことだからである。

1995~ セルフエスティームの回復に盲導犬を役立てたい

 オーストラリアにあるクイーンズランド盲導犬協会から「新しい盲導犬訓練センターの責任者になってほしい」とのオファーを受けて、多和田は家族とともにオーストラリアへ移住した。

 多和田流の盲導犬育成法を目の当たりにした現地の職員は、驚嘆し「これはオビディエンス(服従訓練)ではない、ドッグ・エデュケーションだ」と育成法に名前を付けた。

 「クイーンズランド時代の僕のテーマは、セルフエスティームの回復でした。セルフエスティームとは、自分は大切な存在だと自分自身で思うことです。失明によって人は視力、経済力、仕事などいろいろ失いますが、一番のダメージはセルフエスティームを失うことです。日本のリハビリは『失明したけど、私は以前のようにできる』ことを重視しますが、オーストラリアでは『失明した私も失明する前の私も、どちらも私だ』と考えられることをゴールと考えます。盲導犬の使用が、セルフエスティームの回復に役立つならば、私はこれほどうれしいことはありません」

FUTURE未来へ 人間も犬も存在していることに価値がある

 盲導犬は手段に過ぎず目的ではないと多和田は言う。A地点からB地点まで歩けるようになることは、盲導犬を使用する目的ではないと。

 「英語で人間をヒューマン・ビーイングと言いますよね。もしも、何かできることが人間の定義ならば、ヒューマン・ドゥーイングと言うべきです。でも、人間は存在すること(being)自体に価値があるんです。失明して何かができなくなっても、存在は損なわれません。できなくなったことは何らかの手段で補えばいいんです。盲導犬は、その手段のひとつです。ただし、人間がビーイングであるように盲導犬もビーイングであることに価値があります。見えない私が手を伸ばしたとき、温かな体温とともに常にそこに存在する、その安心感こそ、盲導犬の一番大切な仕事ではないかと思うんです」

 あらためて半生を振り返った多和田は、「近江八幡で育ったこと、点字を知ったこと、塩見牧師と出会ったこと、デレクに認められツィードに会えたこと、すべてがラッキーでした。でも、あらためて考えてみると、幼少期に英語と親しんでいなかったら、そのラッキーを引き寄せられなかったかもしれません。そうであるならば、ラッキーと思ったことすべて、つまり僕の人生のすべては準備されていたことだと思えるんです」と、生きることの不思議と意義について話してくれた。

NEC盲導犬キャラバン : 視覚障がいのある方にやさしい社会環境づくりを目的に、2006年より、公益財団法人 日本盲導犬協会と協働し行っているプログラムです。全国各地の小中学校に出向き、盲導犬の役割や仕事、視覚障がいについてのお話しや、盲導犬PR犬との歩行体験を取り入れた出前授業を行っています。

※盲導犬の普及啓発を専門におこなう犬。学校での出前授業や街のイベント、募金活動などで活躍している。

公益財団法人日本盲導犬協会

http://www.moudouken.net/

年表

  • 多和田の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1952

    滋賀県近江八幡市に生まれる

    黒澤明監督の映画『生きる』封切り

  • 1964

    点字に出会う

    東京オリンピック開催

  • 1971

    青山学院大学文学部神学科入学

    国際連合が
    「知的障害者の権利宣言」を採択

  • 1974

    (財)日本盲導犬協会の
    小金井訓練所に入る

    『かもめのジョナサン』が
    ベストセラーに

  • 1982

    ・イギリスでデレク・フリーマンと会う
    ・(財)関西盲導犬協会の設立に参加

    国際連合、「障害者に関する
    世界行動計画」を採択

  • 1987

    盲導犬クイールを訓練

    「身体障害者雇用促進法」が
    「障害者の雇用の
    促進等に関する法律」に改名

  • 1995

    クイーンズランド
    盲導犬協会に招聘される

    「高齢社会対策基本法」を施行

  • 2001

    (財)関西盲導犬協会の
    シニア・コーディネーターに就任

    世界保健機関が
    国際生活機能分類(ICF)を採択

  • 2003

    ・NHKドラマ「盲導犬クイールの一生」で
    盲導犬指導を監修
    ・松竹映画「クイール」の盲導犬指導を監修

    「身体障害者補助犬法」完全施行

  • 2004

    日本初の盲導犬訓練士学校
    (財)日本盲導犬協会付設
    盲導犬訓練士学校の教務長に就任

    「障害者基本法」改正

  • 2012

    (公財)日本盲導犬協会の理事に就任

    「障害者総合支援法」施行

  • (コンセンサス 2017年7月-8月号 掲載)