MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
落語家 立川 志の春 氏

うまいと言われるより、消える落語家になりたい。

偶然出会った落語に衝撃を受け、イェール大卒、三井物産勤務という経歴を捨てて26歳で落語家に転身。自分を壊し、ゼロからはじめた修行の先に待っていたものとは。

(文/井上 隆文 写真/信澤 邦彦)

落語家 立川 志の春 氏 profile

1976年大阪生まれ。米国イェール大学を卒業、三井物産に勤務した後、立川志の輔に入門。2011年、二ツ目昇進。

1976~ 手袋事件で性格がねじ曲がる。“今に見てろ”をエネルギーに

 大阪府豊中で生まれた志の春は、小学生のとき父親の転勤で突如ニューヨークへ引っ越し、英語が一言も話せないのに現地の学校へ通うことになる。半年後、人生に大きな影響を与える事件が起きる。クラスの人気者の手袋が紛失、たまたま似た手袋を持っていた志の春が盗んだとクラスメイトだけではなく先生にまで疑われてしまったのだ。英語がうまく話せず、窮地に立たされ、悔し涙を流した。結局、手袋は人気者のポケットから出てきて無実は証明されたが、心にわだかまりが残った。

 「あの事件で性格がねじ曲がりましたね。英語がしゃべれないと生きていけない。大人は信用できない。自分を守るのは自分しかいない、と学びました。その後は積極的に自己主張し、ぶつかったときには喧嘩もいとわない性格になりました」

 1988年に帰国する頃には英語も上達し、“今に見てろ”をエネルギーに変える気骨のある少年に生まれ変わっていた。

1995~ Giftedに囲まれた異次元空間で自分を見失う

 高校3年、受験を意識する時期になると同級生の中に「俺は東大を目指すなどという輩」が現れてくる。これに負けじと志の春は「俺はハーバードへ行く」と口走ってしまう。

 「単に目立ちたかっただけですね。アメリカの大学といえばハーバードしか知らなかったので、どんなところか全然わからず言っていました」。きっかけは小さな対抗心だったが、何度も口にするうちに、多様な人種がいるアメリカで学びたい、新しい環境に飛び込みたいとの思いが強くなり、親の反対を押し切って留学を目指す。結果的にハーバードには受からなかったが、名門イェール大学に合格。意気揚々と海を渡った。しかし、待っていたのは異次元の世界だった。

 「同級生は、頭がいいとかそんなレベルじゃありませんでした。天からの授かりものとしかいいようのない“Gifted”の集まりで、もう会話すら成立しない。そんな連中とどう渡り合えばいいのかわからず、プライドも何もズタズタにされました。“日本人として日本を語れる”そこだけは彼らに負けないと思うことで、なんとか自分を保っていました」

 しかし、そんな小さなプライドも、友人ジャレッドに粉砕されてしまう。映画好きのジャレッドから「黒澤の映画をどう思う」「志村喬ってクールだよね」と聞かれたが、志の春は黒澤映画を観たことがなく、志村喬と志村けんの区別もつかなかった。「おまえ、全然ダメだな」と言われひどくショックを受ける。

 「自分は日本を何もわかっていなかった。抜きんでた才能のない自分が生きていくには、もっともっと日本を知らなければ」との思いを強くする。その思いをかなえるため就職先は日本を選んだ。

1999~ 巣鴨でのデート中に見つけた人生の分岐点

 帰国後、海外大生向けの採用枠で三井物産へ入社、鉄鉱石部に配属された。職場は「この鉄鉱石きれいだろ」とキラキラした目で語る先輩や、「日本の鉄鋼業は俺が背負っている」とプライドをみなぎらせる、熱い志を持った社員で溢れていた。「入社試験で見かけた人事部の女性がきれいだったから」という不純な動機で入社した志の春は、その熱さを共有できずにいた。

 仕事を続けながらも「日本を知る」という宿題は忘れなかった。休日になると歌舞伎や相撲、観劇などに通い、自分にとっての日本を探し続けた。

 2001年11月24日、運命の日が訪れる。彼女と巣鴨をデートしていたとき、ふと目にとまった「立川志の輔独演会」に当日券でふらっと入場したところ、その圧倒的な芸に心を射抜かれた。

 「師匠が新作落語をはじめた途端、どっかーんと会場は割れんばかりの笑いに包まれ、自分も腹をよじらせて大爆笑しました。さらに、休憩を挟んで演じた古典『井戸の茶碗』が、またすごかった。江戸時代のくず屋さんが主役の人情話ですが、途中から演者の姿が消えて、登場人物が動き出したんです。もう毛穴が開くっていうか、ゾクゾクっとして、会場を出る頃にはヨレヨレでした」

 それ以来、寄席へ通いつめ、本を読み漁り、CDを買いまくり、会社の給料を全て落語につぎこんだ。ついには落語家になりたいとの思いが抑えられなくなり、「どうしても落語家になりたい」と、狂おしいまでの思いを託した手紙を志の輔に送った。すると、「履歴書を持ってきなさい」との返事が届く。喜び勇んで会社を休みNHKのスタジオへ。履歴書に目を通した志の輔から「君の落語に対する気持ちはわかった。ただ、こんなに良い会社にいるんだから辞めることはない。仕事を続けながらアマチュアでやりなさい」と諭されてしまう。

 帰り道、志の春は悔恨の念に襲われる。「自分は会社員のまま、退路も断たず落語家になりたいなどと言ってしまった。そんなふざけた奴の言葉を信用できるはずがない。よし、今度師匠と会うまでに絶対会社を辞めてやる!」と、志の輔からかけられた言葉を完全に取り違え、正反対の方向へ猛ダッシュをはじめてしまった。

2002~ 両親の反対を押し切り、ハイリスク・ローリターンな道へ

 「あんた何を血迷うてそんなこと言い出したん?」と両親は猛反対したが、何度も何度も思いを伝え続けた結果、「自分で決めた道は自分の責任でなんとかしろ」と折れた。2002年8月には、“退路を断つ”ため三井物産に辞表を提出。引き留められたら何と言おうかビクビクしながら切り出すと、上司は「落語家?ほーう、そう来たか。おもしろいやないか。本気やったら止めてもしゃあない。俺が上に通したる」とあっさり辞表を受け取ってくれた。本部長からも「わっはっは、おまえ会社辞めて落語家になるんか。ハイリスクローリターンやのう」と温かい言葉で送り出され、無事に円満退社。

 退職から5日後、入門を直訴するべく府中の森芸術劇場の楽屋口へ。楽屋入り直前の志の輔の前に飛び出し「会社を辞めてまいりました。弟子にしてください!」と叫ぶ。すると「辞めるなと言ったじゃないか」とあきれられたが、「…辞めちまったんなら仕方ない。そこらへんをウロウロしてろ」と言われ、その日のうちに弟子入りが決まった。

2010~ 一切教えず、ただ「落語にしろ!」と言い続けてくれた師匠

 見習いの間は、師匠の身の回りのお世話が唯一最大の仕事。何をするのかというと、師匠の言う「俺を快適にしろ」を実践する、これに尽きる。一般的に使われる言い回しではないが、志の輔一門そして落語立川流において、この言葉には徒弟制度のすべてが入っている。志の春は、その意味を理解できず、車を運転しては怒られ、師匠に頼まれたチーズバーガーを買うことができず雷を落とされ、大掃除をしては師匠の財布を捨ててしまい何度も破門されそうになる。「快適に」の言葉には、相手をじっくり観察し、徹底的に相手の立場で考え、先手を打って行動する気遣いの大切さが凝縮されている。立川流の家元である談志は言った。「俺を快適にできなくて、お客さんを快適にできるか」と。

 入門から8年3カ月という長い修業を終え、2011年1月1日、ようやく二つ目に昇進。志の輔一門では、これほど昇進が遅い弟子はあまり例がない。

 「普通、入門から3年も経てば20席くらい落語ができるのですが、私は5席しかできない落ちこぼれでした。噺を覚えては、師匠に稽古をつけてもらうのですが、私の場合、何度やってもOKをもらえない。私が噺をはじめると、師匠は『そんなの落語じゃねぇ。落語にしろ!』と怒鳴るだけ、何も教えてくれません。どうしたら落語になるのか、一生懸命考えて再び稽古をつけてもらうのですが、『落語にしろと言っただろ!』と突き返される。その繰り返し。つらかったですよ。でも今思えば、一番ストレスを感じていたのは師匠なんです。だって『ここをこうしろ』と一言教えれば、早く上達するってわかっているのに我慢して教えないんですから。自分で考える機会をくれた師匠に、私は心の底から感謝しています」

2012~ 国境を超え、人種を超え、世界に通じるRAKUGO

 落語家は二つ目になってからが大変といわれるが、まさにその通り。お客様から喜ばれ、声のかかる存在にならなければ食べていけない。二つ目になってから1年が過ぎるも、あまり仕事が増えない中、変わり種の仕事が舞い込む。シンガポールで「英語落語」を演じてほしいとの依頼である。実は、前座時代に一度だけ英語落語を演じ、十分な実力もないのに会場が爆笑の渦となり勘違いしかけたことがある。「そのとき、あぶないな。これで調子に乗ると自分がダメになると思った」という。志の輔からも“英語落語の志の春”というラベルを貼られると抜け出すのが大変だから気を付けろとアドバイスされ、それ以来英語落語を封印していた。

 しかし、プロモーターから、かつてアメリカで暮らし、自身で翻訳するからこそできる芸だと持ち上げられ、シンガポールで何度も演じるうちに考え方が変わってきた。今では、これも自分の役割と考え、日本語の落語に軸足を置きながら英語の『RAKUGO』も楽しんで演じられるようになった。

 「アメリカンジョークとか日本で聞いてもおもしろくないですよね。でも、落語は世界中のみんなが笑ってくれる、唯一ともいえる話芸です。300年以上生き残ってきた噺の中に、国境や人種を超えた人間の本質が描かれているからだと思います。だから、古典落語は永遠に新しいままです。一方の新作落語は時事ネタが入りやすいから時間が経つと古ぼけちゃうんです。でも、私はいつか“永遠に新しいままの新作落語”をつくりたいと思っているんですよ」

FUTURE未来へ 高座から演者が消え、情景が浮かび、人物が動き出す

 演者の姿が消え、情景が浮かび、舞台で登場人物が動き出す、そんな落語ができるようになりたい。それは初めて落語に出会い、衝撃を受けたあの日の志の輔の姿そのものだ。

 「偉そうなことを言える立場ではありませんが、『うまいね』って言われるうちはまだまだだと思うんです。その言葉の裏には『誰それは』という主語が付きますから。演者が見えているうちは、本物じゃないと思うんです。演者の技術なんか気にならなくなるくらい噺の世界に没頭してもらえる、そんな落語家になりたいですね」と志の春は目標を話す。

年表

  • 立川志の春の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1976

    大阪府豊中市で生まれる

    アントニオ猪木対
    モハメド・アリの異種格闘技戦

  • 1978

    落語協会分裂騒動

  • 1985

    父親の転勤でニューヨークへ
    手袋事件が発生。性格がねじ曲がる

    大相撲初のニューヨーク場所開催

  • 1988

    帰国

    青函トンネル開業

  • 1995

    イェール大学入学

    野茂が米大リーグで活躍 新人王獲得

  • 1999

    三井物産入社

    だんご3兄弟が大ヒット

  • 2001

    立川志の輔独演会を観て
    衝撃を受ける

    日本のH-IIAロケット
    試験機1号機が打ち上げられる

  • 2002

    ・三井物産退社
    ・志の輔一門入門

    サッカーワールドカップ日本初開催

  • 2003

    「志の春」と名前がつく

    宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」が
    米国アカデミー賞の
    長編アニメーション部門受賞

  • 2011

    ・二つ目昇進
    ・シンガポールで英語落語を披露

    立川流家元 立川談志が死去

  • 2013

    NHK新人演芸大賞 本戦進出

    東京銀座に新歌舞伎座開場

  • 2015

    著書「自分を壊す勇気」発刊
    出版社:
    クロスメディア・パブリッシング

    又吉直樹氏の『火花』が
    芥川賞受賞

(コンセンサス 2016年11月-12月号 掲載)