MY CHRONOLOGY~未来へ続く年表~
Sahara Force India F1 Team Chief Designer
羽下 晃生 氏

決して諦めない、 その一点だけが、 ここにいる理由

F1チームで、日本人初のチーフデザイナーとしてマシン開発を指揮する羽下晃生。世界の頂点を目指すレーシングカー・エンジニアの素顔に迫る。

(文/井上 隆文 写真/James Moy)

Sahara Force India F1 Team Chief Designer 羽下 晃生 氏 profile

1966年静岡県出身。日本人で初めてF1マシン開発のトップであるチーフデザイナーを務めるレーシングカー・エンジニア。

1966~ スーパーカーに熱狂、カーレーサーを夢見る

 1966年7月8日、羽下晃生は静岡県静岡市で生を受ける。小さい頃から車や飛行機、ロケットが好きな少年だった。1970年代中頃、いわゆる“スーパーカーブーム”が巻き起こるとその影響を受け、四六時中、学校のノートにスーパーカーの絵を描いたり、近くのデパートでスーパーカーショーが開かれると、カメラ片手に駆けつけてフェラーリやランボルギーニ、ポルシェの写真を撮りまくったりした。

 成長するにつれ、興味の対象がスーパーカーからレーシングカーへ移っていったのも、自然な成り行きだった。1976年に、日本初のF1世界選手権が富士スピードウェイで開催される。このレースがF1に興味を持つきっかけのひとつだった。

 「自動車のレーサーに憧れていましたが、地方の一都市に住んでいた私の生活とモータースポーツには何の接点もなく、どうしたらなれるのか見当も付きませんでした」

 17歳でバイクに乗りはじめ、オートバイのレーサーを目指すことも考えたが、大事故により大けがを負い、自分には才能がないと諦めた。もっと「現実的」な道を模索する中、思いついたのがレーシングカーの設計者だ。しかし、当時はその夢すら非現実的な願いだと考えていた。

1984~ F3マシンの開発プロジェクトに参加するも失敗の連続

 レーシングカーの設計者に一歩でも近づくため、東京学芸大学機械工学科へ進学。就職活動時には、大手建設機械メーカーから内定をもらったが、モータースポーツの道を諦めきれず、雑誌に掲載されていたモータースポーツ関連の求人に、手当たり次第に応募。その努力が実を結び、国内有数のレーシングカー・ファクトリーTOM’Sの内定を手に入れた。

 TOM’S入社後は、エンジニアやデザイナーの仕事をしながら、タイヤの管理係、予備部品の管理/調達者、開発作業のアシスタント、搬送時のトラック運転手など様々な経験を積み、F3マシンの開発プロ ジェクトに参加した。

 「当時の私は、関連職に就いたこともなければ、必要な実務知識もいっさい持ち合わせておらず、すぐに自分の無力さを思い知らされました。私が設計した部品はことごとく機能せず、取り付けられないことすらあり、計算をすればもれなく計算間違いをする有様で、失敗の連続、先輩から怒鳴られるのは日常茶飯事でした。今思い返すと、成功といえるものは何ひとつ手に入れられませんでした。しかし、決して諦めないという気持ちはずっと持ち続けていました」

 1993年から1994年にかけて、F3マシン「TOM’S 033F & 034F」の開発プロジェクトのメンバーとなり、初めてシャーシの設計から製造まで全工程に携わる。チームがサポートするマシンを1シーズン、フルタイムで担当した。ところが1994年後半、金銭的理由からF3マシンの設計・製造プロジェクトがすべてキャンセルされてしまう。しかし、羽下は運よく英国のTOM’Sの拠点であるTOM’S GBのプロジェクトに参加する機会を得た。

1995~ モータースポーツの本場イギリスで日本との違いを痛感

 TOM’S GBでは、設計・開発エンジニア、データ分析、レーシングカー・エンジニアとしてF3プロジェクトに参加。1996年後半には、計画立案から具体化まで携わり、フロント・ウィングからエンジンのバルクヘッド、車体まですべての責任を負う立場に昇進した。

 「イギリスと日本では、アプローチの仕方と環境がかなり違います。当時のイギリスではほぼ隔週で、工場からわずか30分の距離にあるレース場で走行試験を行える恵まれた環境がありました。モータースポーツに対する技術的アプローチや考え方も異なります。これは背景に長い歴史と伝統があり、日本と比べてモータースポーツがはるかに巨大な独立産業になっているからだと思います」

 1998年後半、TOM’S GBはアウディに買収されたが、羽下はメカニカル・デザイン・エンジニアとしてJordan Grand Prixに入社する幸運を手にした。ついにF1マシンの開発に携わるチャンスを得たのだ。

1998~ 設計主任に昇進、重圧の中、ひたむきな努力の日々

Force Indiaのファクトリー

 Jordan Grand Prixでは、Jordan 199の冷却システムと排気システムの設計を担当した。

 「Jordan Grand Prixに転職したときは30代前半でした。この年齢でも設計チームの中ではかなりの年長者でした。しかも、周りの設計者は私より若いにもかかわらず、経験豊富で能力が高い人ばかり。彼らに追いつこう、食らいつこうと毎日必死でした。はじめの数年は不安にさいなまれつつも、それでもひたむきに努力は続けていました」

 1999年、シニア設計技師になり、リア・サスペンションの設計全体を担当。2005年には8部門のメンバーを管理するメカニカル・デザイン・グループ長に就任。2007年にはカー・プロジェクトのリーダーに指名されるなど、順調に階段を登っていく。

 「設計主任への昇進話は、青天の霹靂で、なぜ私なのかと驚きましたが、この人生唯一であろう好機にノーとは言えませんでした。しかし、昇進により重圧はさらに大きくなり、それでもさらにひたむきに、必死に努力し続ける日々を送るようになりました」

 Jordan Grand Prixはその後何度かオーナーとチーム名が変わり、2007年にはインドの実業家ヴィジェイ・マリアにより買収され、インド国籍の「Force India F1チーム」に名称が変更された。しかし羽下はこれまでの実績を買われ、そのままチームに残留した。

2008~ 快進撃を続けるForce India、2015年は世界ランキング5位の快挙達成

 Force Indiaは、2つの開発チームが1年ごとにマシンの開発・設計を担当するツインシフト制を採用しており、羽下はもうひとりのデザイナーであるイアン・ホールとともにチーフデザイナーとして開発プロジェクトを任されることになった。

 「このシステムは、主に設計と開発という2つの工程において有用です。設計段階では、車の設計、特に初期の設計工程により時間をかけることができ、開発段階では、各車種に時間をかけられるため、開発期間を長くとれるからです」

 ツインシフト制のもとでForce Indiaは徐々に成績を伸ばし、2009年ベルギーGPではポールポジションを獲得、決勝でも準優勝の快挙を成し遂げた。2011年は年間コンストラクターズ・ランキング(チーム順位)で6位に食い込み、以降も7位(2012年)、6位(2013、2014年)と好位置をキープ。2015年シーズンは、ベルギーGP以降全戦で入賞、ロシアGPでは3位の表彰台に立ち、最終ランキングで5位とチーム史上最高の結果を達成した。

 この好成績を受けて2016年シーズンのForce Indiaは、今まで以上の注目が集まっている。今シーズンのマシン「VJM09」は、羽下のチームが開発を担当。「VJM09」は昨シーズン好成績を残した「VJM08」をベースに、ダウンフォースを強める改良を加え完成度を高めている。

 「カギとなるのは空気力学的な改良ですが、これは近代レーシングカーの設計においては常に優先度の高い課題であり、F1もその例外ではありません」と羽下は「VJM09」の改良ポイントについて話す。

FUTURE未来へ 世界一タフな鈴鹿サーキットで成績を残したい

2016モナコGPで3位入賞した「VJM09」

 2016年10月、羽下の手掛けた「VJM09」が日本の鈴鹿サーキットにその勇姿を現す。

 「鈴鹿は世界一タフな高速サーキットで、最高のパフォーマンスを発揮しなければ成績を残せません。これまで我々のチームにとって鈴鹿は得意な場所とはいえないサーキットでしたが、今年は良い成績を残せる自信があります。

 また、鈴鹿は、私が初めてF3に関わった場所であり、F1マシンが火花を散らしながら走り抜けるのを初めて見た場所であり、個人的にも思い入れの強いサーキットです。鈴鹿のバックストレートのピットを通り過ぎるたびに、私は自分が歩んできた長い道程を思い返します」

 最後に、子どもの頃の夢だったF1という舞台でチーフデザイナーになれた理由を尋ねると「50年たった今も、私は自分の強みが何かはっきりわかりません。おそらく、決して諦めなかったという、その一点だけがここにいる理由ではないかと思っています」と答えてくれた。

 チーフデザイナーとして、日本人の誰も到達できなかった世界最高峰の舞台に到達した羽下だが、まだまだ夢を実現した満足感はない。その視線の先にある世界の頂点を目指し、これからも羽下のチャレンジは続く。

NECおよびNECメキシコは、羽下氏が所属するSahara Force India F1 TeamのプレミアムICTパートナーになり、同チームの活躍を応援しています。
10月6日から鈴鹿サーキットで開催される「2016 F1日本グランプリ」で、NECロゴの入った羽下氏デザインのマシンが、レーシングコースを疾駆する姿にぜひご期待ください。
※現在のチーム名は、スポートペサ・レーシングポイントF1です。

年表

  • 羽下の
    出来事

    社会の
    出来事

  • 1966

    静岡市で生まれる

    ビートルズ来日

  • 1974

    スーパーカーブーム

  • 1976

    F1世界選手権イン・ジャパン開催
    翌年には日本グランプリ開催

  • 1985

    オートバイ事故で大けが

  • 1987

    東京学芸大学入学

  • 1991

    ・TOM’S入社
    ・F3マシンの
    開発プロジェクトに参加

    ソビエト連邦崩壊

  • 1993

    Jリーグ開幕

  • 1995

    TOM’S GBに移籍し渡英

    阪神大震災

  • 1998

    Jordan Grand Prix入社
    F1開発に参加

    長野オリンピック開催

  • 2007

    カー・プロジェクト・リーダーに
    指名される

  • 2008

    ・チームが買収され
    Force Indiaに変わる
    ・ツインシフト制の1チームで
    チーフデザイナー就任

    北京オリンピック開催

  • 2015

    チームがF1世界選手権
    ランキングで
    過去最高の5位を獲得

    ラグビーW杯で
    日本が歴史的快挙

  • 2016

    開発を指揮した「VJM09」で
    世界に挑む

(コンセンサス 2016年9月-10月号 掲載)