グーグル「シカモア」、中国「九章」 量子コンピューターの最前線を追う: Digital Finance Inspiration | NEC

サイト内の現在位置

Digital Finance Inspiration

デジタルファイナンスに新しい視点を提起するコンテンツサイト

グーグル「シカモア」、中国「九章」 量子コンピューターの最前線を追う

グーグル「シカモア」、中国「九章」 量子コンピューターの最前線を追う

<量子ビットを制する者が、未来の情報社会の覇者になる。グーグル、IBM、ベンチャー企業、中国政府......。究極の計算機「量子コンピューター」の勝者は誰になるか。いつ実用化され、世界の何を、どう変えるのか>

数学者のピーター・ショアが量子コンピューターで走らせるアルゴリズムを開発したのは1994年のこと。当時そんなマシンは黒板に書かれた数式上にしか存在していなかった。

ショアが書いたのは素因数分解のアルゴリズムだ。素因数分解はインターネットのセキュリティーのアキレス腱のようなもの。ネット上を飛び交う情報は全て、素数の掛け算による暗号化で保護されている。

桁数の多い数値の素因数分解を実行できるコンピューターがあれば、他人の個人情報を簡単に盗み取れるのだ。

もちろんショアはそんなコンピューターを発明したわけではない。いつか開発される仮説上のコンピューター用にアルゴリズムを書いただけだ。

量子コンピューターは量子力学が明らかにした原子や原子より小さい粒子の奇妙な性質を利用して、複雑な計算を瞬時にやってのけるマシンだ。従来型のコンピューター(古典コンピューター)では何万年もかかる計算、いや、それどころか宇宙の寿命より長い時間がかかるような演算処理をあっという間に実行する。

ショアが目指したのは、量子コンピューターの演算能力を理論的に探ることだった。

「問題は量子力学をコンピューターに応用することで、演算能力が上がるかどうかだ」と、彼は1994年の論文に書いている。「まだ満足のゆく答えは出ていない」

ショアの問いに「上がる!」と答えたのがグーグルの研究チームだ。2019年、独自開発した量子プロセッサー「シカモア」で実証実験を行い、「量子超越性」、言い換えれば量子コンピューターの威力を確認できたと発表した。

世界最速のスーパーコンピューターでも1万年かかる演算処理を「われわれのマシンは200秒で実行した」と、チームのジョン・マーティニスとセルジオ・ボイクソは公式ブログで誇らしげに報告している。

さらに昨年には中国科学技術大学(USTC)の潘建偉(パン・チエンウエイ)教授率いるチームが科学誌サイエンスに掲載された論文で、自分たちが開発した量子コンピューターは古典コンピューターよりも100兆倍速く演算を実行したと発表した。

これはグーグルのマシンの100億倍の演算能力に相当すると、中国国営の新華社通信は報じた。

この2つの発表はプロトタイプのマシンに演算を実行させた実証実験の報告にすぎず、実用段階には程遠い。

だが本格的な実用化に向けて既に巨額の資金が投じられ、グーグル、IBM、アマゾンなどの大企業をはじめ大学やベンチャー企業などのチームが続々と参戦、開発競争がヒートアップしている。

報道によれば、中国政府は100億ドルの予算をかけ、量子コンピューターと人工知能(AI)に特化した国立量子情報科学研究所を建設しているという。

アメリカでは連邦政府の量子コンピューター関連予算は10億ドルだが、それに加えて軍と企業が多額の投資を行っている。例えばグーグルとIBMはそれぞれ1億ドル以上を既に投入したとみられている。

量子コンピューターはただ高速の演算処理が可能なだけではない。古典コンピューターとは根底的に演算アプローチが異なるため、技術分野だけでなく社会全体を大きく変容させる可能性がある。

例えば量子コンピューターとAIを組み合わせれば、どんなことが可能になるか想像もつかない。中国がこの2つの技術を専門とする研究所を設立するのもただの偶然ではない。

「0でもあり1でもある」状態

量子技術における中国の野心的な研究の進展は、1957年に人工衛星の打ち上げでソ連に先を越されたときのようにアメリカに大きな衝撃を与えた。何年か前までは外国の先端技術をコピーするだけだと思われていた中国だが、今や堂々たる技術大国だ。

2016年には量子暗号通信の実験を行うために衛星「墨子」を打ち上げた。量子暗号通信は量子コンピューターとは異なるが、やはり量子力学を応用した技術だ。

長期的には、アメリカが先端技術で中国に後れを取る可能性がある。中国は政府が率先して研究開発を進めているが、米政府の科学振興予算は減っている。

「連邦政府がイノベーションを促進するアクセルペダルから足を離したため、中国などに追い付かれてしまった」と、シンクタンク・新米国安全保障センター(CNAS)の技術・国家安全保障ディレクター、ポール・シャーレは嘆く。

気になるのはサイバーセキュリティーに与える影響だ。量子コンピューターが実用化されれば、ネットユーザーのプライバシーはどうなるのか。ある朝目が覚めたら中国政府にメールを読まれていた、などという悪夢が現実になるのだろうか。

グーグルのマーティニスが量子コンピューターに関わり始めたのは80年代。「まだ『量子ビット』という言葉もなかった」と、彼は言う。

量子ビットは量子コンピューターの基本的な情報の単位だ。古典コンピューターの基本単位である「ビット」という言葉を使っているが、ビットと量子ビットは根本的に異なる。

ビットは0か1だが、量子ビットは同時にその両方の状態にもなるし、0と1の間のあらゆる状態になり得る。これは「重ね合わせ」と呼ばれる現象だ。

量子ビットは1個の原子あるいは原子より小さい粒子で、量子力学の法則に従い、奇妙な確率的状態で情報を保存する。それは肉眼で見えるマクロな現象世界にいる私たちが体験したことのない状態だ。

1ビットは独立した情報単位だが、1量子ビットはアルバート・アインシュタインが「不気味な遠隔作用」と呼んだ「量子もつれ」の状態の一部で、他の量子ビットとペアになっている。

量子ビットは壊れやすい

マーティニスはカリフォルニア大学サンタバーバラ校で行った初期の研究で、原子や光の粒子である光子のような小さな粒子からどうやって情報を取り出すかという基本的な問題を探った。

単一の原子や光子を扱うためには、エンジニアリングの精度を極限まで高める必要があった。これらの極小粒子をそのままの状態に維持する一方で、コンピューターが演算を実行できるように他の粒子との相互作用を可能にするにはどうすればいいのか。

言い換えれば暗号化されたメッセージの解読など、大きな数を素因数分解するタスクを実行するため、「重ね合わせ」と「量子もつれ」の性質をどのように利用するのか。

「量子ビットを隔離しなければ、そのままの状態を維持できない」と、マーティニスは言う。「だが隔離してしまうと、他の量子ビットとの相互作用が不可能になる」

マーティニスはこの問題に何年も取り組み、さまざまな試行錯誤の末に、1つのコンピューターで複数の量子ビットを同時に動かすタスクに着目。最終的にグーグルとの協業にたどり着き、2019年のデモで使用された「シカモア」の開発をスタートさせた。

54の量子ビットを搭載するプロセッサーである「シカモア」は、絶対零度近くに冷却された状態でカリフォルニア州サンタバーバラ郡にあるグーグル研究所の一室に保管されている。室内には微弱なマイクロ波が放射され、これが量子ビットを「刺激」しコンピューターを動作させる。

マーティニスら量子技術者にとって大きな問題は、どうやって演算の実行に必要な時間の間、量子ビットをそのままの状態に保つかだ。

量子ビットが同時に0と1の両方になれる「重ね合わせ」の性質は量子コンピューターの動作に不可欠な要素だが、わずかな「揺らぎ」があるだけで量子ビットは1または0に決定してしまい、微妙な「量子もつれ」のシステム全体を崩壊させかねない。

極端な低温に冷却していても、量子ビットはすぐに「壊れて」しまい、多くの演算がエラーになるという厄介な性質がある。量子コンピューターの開発だけでも十分に難しいが、エラーのない量子コンピューターを作るのは今のところ技術者にとって夢のまた夢だ。

「量子ビットに演算をさせている間も、『重ね合わせ』と『量子もつれ』を維持したい」と、グーグルやその他の量子技術者と共同研究を行っている米テキサス大学オースティン校のスコット・アーロンソン教授(コンピューター科学)は言う。

「問題は量子ビットが非常に壊れやすいことだ。量子ビットが0か1かの情報が『外部に漏れる』と、すぐにシステム全体が崩壊してしまう。この『ノイズ性』が量子コンピューターを作る上での根本的課題だ」

グーグルと中国の量子コンピューターの場合、テスト方法を考案すること自体が難題だった。従来のコンピューターでは常識的な時間内に演算不可能な問題を、量子コンピューターに解かせる際にどうやって結果の正しさを確認するのか。

最も簡単な方法は、暗号化されたメッセージにショアのアルゴリズムを使うことだ。メッセージを解読できれば、量子コンピューターがきちんと動いたことが分かる。だがショアのアルゴリズムは、現段階の量子コンピューターには難し過ぎた。

2011年、アーロンソンらは光子のような素粒子が障害物で跳ね返ったときにどのように振る舞うかを予測する「ボソン・サンプリング」のアイデアを考案した。

これには量子力学に基づく多くの演算が必要になるため、古典コンピューターには難しい問題だが、量子コンピューターはそもそも量子力学に基づいて設計されているので、この種の演算は朝飯前のはずだ。

さらにアーロンソンは、古典コンピューターで問題を解かなくても統計的に結果を確認する方法も考案した。

「10年で実現したら驚き」

グーグルもUSTCも、アーロンソンのアプローチを採用した。特に潘建偉らが開発した「九章」は、ボソン(ボース粒子)の一種である光子を量子ビットとして使用する「ボソン・サンプリング」専用マシンだ。

彼らは光子のレーザービームを鏡やその他の障害物のコースに送り、あちこちに跳ね返らせた。

実験の目的はさまざまなタスクを実行可能な汎用コンピューターを作ることではない。ただ1つのタスク――光子が障害物コースを移動するときにどう振る舞うかを、光子で作られたコンピューターで演算することだった。

USTCの実験が、このような同語反復的な説明では捉え切れない成果を上げたのは確かだ。彼らは光子を制御できること、それを演算に利用できることを実証した。

それでも量子技術者の間には、このような限定的目的のために作られた「九章」に批判的な意見もある。古典コンピューターでも同じ結果が妥当な時間で得られることを示そうとしている技術者もいる。

「USTCグループが量子超越性を達成したのかどうか、どのような意味で達成したのか、議論はしばらく続きそうだ」と、アーロンソンは指摘した。

グーグルの「シカモア」も大きなニュースになったが、やはり技術者の間では批判の声が出ている。独自の量子コンピューターを開発しているIBMの技術者は、スーパーコンピューターに膨大な量のメモリを搭載すれば、理論的には「シカモア」と同様の演算が可能だと主張した。

IBMリサーチの副所長で数学者のロバート・スートルはこう批判する。「『われわれはたった2秒でできたが、出来損ないのスーパーコンピューターなら1万年はかかるだろう』と、彼らは言った。なぜスーパーコンピューターの機能の一部を使わないでおいて、自分たちは素晴らしいと主張するのか」

多くの技術者は量子超越性の実証を、重要な成果というより1つの通過点と考えている。「シカモア」と「九章」は印象的な結果を出したが、実用には程遠い。

「量子超越性が完全に達成されたとは思わない」と、アーロンソンは言う。「まだ問題がいくつかある。(だが)その答えは簡単に見つけられるだろう」

量子コンピューターで興味深いことを実行するためには、マシンにエラー訂正機能を持たせ、量子ビットの集積度を飛躍的に向上させなくてはならない。このテクノロジーがまず実用化されるのは、量子化学シミュレーションなどの領域だろう(もしそれが実現すれば、新薬開発への恩恵は計り知れない)。

「量子コンピューターが進化する過程で、やがてショアのアルゴリズムで暗号を破れる時が来るだろうが」と、アーロンソンは言う。「万一、向こう10年の間に実現するとすれば、驚きだ」

「シカモア」のデモを行った後、マーティニスはグーグルを去った。古い知人であるミシェル・シモンズがシドニーに設立した新興企業シリコン・クオンタム・コンピューティングに移籍したのだ。

同社は、シリコンとリンで量子ビットを作ろうとしている。シモンズによると、これらの材料を用いれば、ほかの材料を用いるよりも概して安定性が高く、エラー訂正の必要性が小さくなると期待される。

その上、これまでより高温の環境でも量子ビットを動作させられるので、IBMやグーグルのような超低温の環境をつくらずに済む。

しかし、マーティニスは過剰な楽観論を抱いてはいない。現在進行中の十数件のプロジェクトのうち「うまくいくのは、せいぜい1件か2件」だと予想している。「量子コンピューターを作るのは本当に難しい。一般のイメージ以上に難しい」

量子コンピューターを作るには、莫大な資金が必要だ。グーグルの量子コンピューター部門を率いるハートマット・ネブンが2020年1月に戦略国際問題研究所(CSIS)で行った講演によると、エラー訂正ができる量子コンピューターを作るためには30億ドル以上かかるという。

現時点でグーグルはプロジェクトをやり遂げると約束しているが、会社の方針が変わって、量子コンピューター開発の優先順位が下がれば、その約束が守られる保証はない。

そこで、アメリカが世界の先頭を走り続けるためには「政府が巨大な購買力を活用し、早期にリスクを伴う行動に踏み出した企業に報いる必要がある」と、ネブンは語った。

別の暗号システムの追求も

「九章」には不十分な点も多いが、このプロジェクトにより、中国の強力なイノベーション能力が実証されたことは間違いない。

ネブンはこう述べている。「私たちが恐れているのは......開発競争でアメリカが未知の中国企業に敗れることだ。中国は、戦略的に重要と見なした分野に途方もない資源を投入できる」

中国の野心が膨らむ一方で、アメリカの意欲が減退したように見えると、CNASのエルサ・カニア上級研究員は言う。

「市場に全てを委ねておけば十分で、政府が首を突っ込む必要はない、という発想が根を張り、それがイデオロギーのようになっている。科学や教育に投資することへの反発も強い。本来は、たとえ中国が量子科学の研究を推進していなくても、アメリカは基礎科学にもっと投資して......未来の人材を育成しなくてはならない」

アメリカで量子コンピューター研究にどのくらいの資金が投じられているかは、はっきり分からない。研究開発支出に占める政府の割合は以前より低下しているが、「民間部門を含めれば、アメリカの研究開発支出は世界のどの国よりも多い」と、CSISの国防予算分析部門の責任者トッド・ハリソンは言う。

ただし、民間企業の研究に基礎研究はあまり含まれていない(長期的に見て最も大きな恩恵をもたらすのは、しばしば基礎研究なのだが)。

結局、量子コンピューター研究でも、軍が中心的な役割を担うことになるのかもしれない。軍は、これまでもインターネットなどの画期的なテクノロジーを生み出してきた。

機密扱いではない研究開発への軍の資金拠出はおおむね減っていないと、ハリソンは言う。国防総省はそのほかに、機密扱いの量子コンピューター研究にも資金を投じている可能性が高い。

ワシントン・ポスト紙は、元国家安全保障局(NSA)職員のエドワード・スノーデンによる内部告発に基づいて、NSAが「暗号面で有益な量子コンピューター」の開発に約8000万ドルを費やしていると報じている。

量子コンピューターの実用化にはまだ時間がかかりそうだが、秘密保持について心配するのに早過ぎるということはない。

NSAなどの情報機関は、膨大な量の暗号化データを収集していると考えられている。いずれ量子コンピューターによって解読できると期待してのことだ。そして、これらの機関は、敵対勢力が暗号を破れるようになることを恐れ始めている。

そうした懸念を受けて、アメリカでは新しい暗号システムを導入する計画が持ち上がっている。NSAは2015年、量子コンピューターでも解読できない暗号システムへの転換を目指す方針を打ち出した。

「量子コンピューターによりコンピューターの能力が高まったとき、既存のインターネット・セキュリティーと暗号技術では対処できないことが明らかになった」と、NSAの広報担当者は科学ジャーナリストのナタリー・ウォルチョバに語っている。

米国立標準技術研究所(NIST)は2017年、量子コンピューターによっても破られない暗号方式の公募を開始。2020年には、その候補を15まで絞り込んだ。

現在、最も人気があるのは「格子暗号」と呼ばれる方式だ。これは、既存の公開鍵暗号とは数学的基盤が全く異なる方式である。

もっとも、政府機関などの組織に、新しい暗号方式への移行を受け入れさせるのは簡単ではない。脅威が差し迫っていなければ、人はどうしても現状でよしとしてしまう。

「人々はいまだに、90年代に破られた暗号技術に基づいたブラウザを使い続けている」と、アーロンソンは言う。「悲しいことだ」

この記事は、CCCメディアハウス『ニューズウィーク日本版/執筆:フレッド・グタール』(初出日:2021年2月13日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、licensed_content@amana.jpにお願いいたします。

シェアする