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EpisodeⅠ 犯人の視点
秘伝のサイバー捜査術3.胸騒ぎ
さっそく会社から提出を受けたメールのメールヘッダーを解析した。犯人がメールを送信した際に使用したIPアドレスはすぐに判明した。whois検索サイトでは、「IPアドレスを管理しているプロバイダや団体はどこか」を簡単に調べることができる。
IPアドレスは、被害者が通っている大学が管理するものであり、インターネットへの接続は大学が学生向けに発行したアカウント(IDとパスワード)が使われていた。部下は得意げだった。
「ほら、楽勝だったでしょ?きっと、大学で何かトラぶったんですよ。」
私は、部下の報告を聞き、胸騒ぎを覚えた。あまりにも簡単すぎる。犯人が自分自身のアカウントを犯行に使うだろうか?大学のアカウントの管理は杜撰なことが多い。アカウントの名義人が犯人だとは限らないのだ。ふと脳裏をよぎったこと、それは捜査では危険信号だ。疑問点は、絶対にスルーしてはいけない。納得出来るまで徹底的に潰しておくこと、これは捜査の鉄則だ。
不安は的中した。アカウントの学生は、2年前に大学を卒業していた。
4.犯人の前足

捜査は早くも暗礁に乗り上げた。その卒業生から事情聴取するか・・。しかし、犯人の目星もつかないまま、犯人か被害者かさえ分からない相手から事情聴取するのは無謀というものだ。それは捜査とは言い難い、丁か半かの博打の類(たぐい)だ。また、警察の捜査が入っていることが知れれば、通謀や証拠隠滅、または被害者への新たな嫌がらせも懸念される。さて、どうしたものか・・・。部下も最初の思惑が外れて、すっかりしょげ返っていた。
「大胆不敵な手口から見て、おそらく犯人にとっては他人のアカウントを盗むくらい、朝飯前でしょうね。しかし、こんな手の込んだことをよく思い付いたものですね。相当練習したんだろうなぁ。」
「え?練習・・?」
私は、部下の何気ない言葉にハッとさせられた。犯人はメールを送り付けるだけで、被害者と内定先の人事担当者の双方を騙す必要があった。もしかすると、犯人は自分が送りつけたメールがいかにも本物らしく見えるかどうか犯行前に確認したのではないだろうか。では、それを一番安全かつ簡単に行う方法は何か?
自分ならどうするか・・?
そうだ!なりすましメールを自分自身に送信して見ることだ!
直ちに犯行直前の犯人の行動、すなわち「犯人の前足」を洗ってみることにした。
5.悲惨な結末

早速、送信サーバのログを調べてみた。すると、犯行直前、問題のメールと同じバイト数のメールが、あるメールアドレスに送信されていることが判明した。しかも、会社の人事担当者になりすましたメールも、犯行直前に同じメールアドレスに送信されていたのだ。被害者になりすましたメールと会社の人事担当者になりすましたメールの両方を犯行直前に受信している人物とは何者なのか。犯人以外には考えられないではないか。
部下はさっそくメールアドレスから容疑者を割り出し、顔写真を入手してきた。
「もっと悪そうな顔を想像していましたが、普通の学生っぽくて、なんだか拍子抜けですね。」
私はそれを見て愕然となった。署前で被害者を待っていた男の子ではないか!
犯人は大学の先輩のパスワードを窃用した不正アクセス禁止法違反で逮捕された。犯行の動機は、就職で彼女と遠距離恋愛になるのが怖かったという。なんと子供じみた身勝手な理由だろうか。逮捕後、すぐに彼女に真相を話した。彼女は長い間、ただ泣くばかりだった。その複雑な胸の内は痛いほど分かった。別れ際に、彼女は意を決したように、小さな声を絞り出した。
「お世話になりました。やっぱり、私は彼を許すべきではないと思います。」
捜査が終結し、恒例の捜査員同士の打ち上げ会が開かれた。捜査員にいつもの笑顔はなかった。事件捜査に勝者はいない。人の道を踏み外した犯人と心に深い傷を負った被害者、そして粛々と真相に迫ろうとする我々捜査員がいるだけだ。
唯一の心の救いは、後日、彼女のもとに就職の内定通知が届いたことだった。
出典:「警察公論(立花書房)」より