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スポーツ選手は20〜30代で競技からの引退を迎えることが多く、そこで第二の人生のスタートを迫られます。大きな国際大会のある年は、選手にとって目標であり、節目にもなる年。このタイミングで現役引退を決断するケースも珍しくありません。未経験の仕事に転じる苦労は、社員として会社に残る選択をした企業スポーツの選手が通る道。一方で、そうやって新しいキャリアに挑戦する人に活躍する場を提供できるのもNECグループの強みです。NECだからできる、元選手たちの多様なセカンドキャリアと挑戦を紹介します。
選手時代から「社員」 引退後には幅広い職種で活躍
NECでは、かつてはチームの選手だった社員たちが、営業やマーケティングなど幅広い分野で活躍しています。主な出身母体は、女子バレーボールの「NECレッドロケッツ川崎」とラグビーの「NECグリーンロケッツ東葛」。現在両チームは、プロ選手を抱えつつも、多くの選手を正社員として雇用しています。
いずれのチームの選手も選手として活躍したのちに引退し、9割以上が社員として会社に残り、次のキャリアをスタートします。選手のその選択を受け入れ、応援しているのは、NECグループが多様な人材と挑戦を大切にしているからです。
引退後に会社に残った元選手たちは、具体的にどんな道を歩んでいるのでしょうか。
「新人」は元ラグビーチームの中核 「敢えて営業職にチャレンジ」
今年5月、36歳でラグビーから引退し、第二の人生を歩み始めた細田佳也。グリーンロケッツで2011年から13シーズンにわたり活躍した中心選手です。「ラグビーはやりきった」として6月からNECで営業職の「新人」として奮闘中です。
グリーンロケッツでは、現役選手が週に数日は「社業」と呼ばれる仕事、つまり選手以外の社員に交じってオフィスなどで働いています。引退後の配属先については、引退する選手から希望を聞いて決めます。細田は「将来、選択肢を広げたくて」、選手時代に経験した「社業」とは敢えて違う営業職にチャレンジすることを選びました。

年下の社員から教えてもらうことも多いものの、「ラグビーは色んな世代や人種が集まるスポーツなので、歳の差は気にならない」といいます。新しい職場で選手時代に鍛えた粘り強さを発揮するのはこれから。「まずは組織に貢献できるようになりたい」と意気込みます。

細田が、かつて複数のオファーの中からグリーンロケッツを選んだのは、社員の人柄に好感をもったから。そして引退を考えたとき、希望する職種の先輩から話を聞く機会をチームと会社につくってもらい、「人」に導かれてキャリアを選んできました。今の現役選手に伝えたいことは「社員として競技に励めて、恵まれていたと感じる。思い残すことがないから第二の人生に行くことができたので、まずは競技をやりきってほしい」。完全燃焼したから次の挑戦ができると語ります。
企業スポーツ発展のために─引退、NEC退社、留学、そして再入社
一度はNECを飛び出して学んだことを活かし、チャレンジを続ける社員もいます。
NECレッドロケッツ川崎でチームの運営やマーケティングを担当する岡田理恵は、1998年から2001年までは選手として所属していました。引退は22歳。「とりあえず会社に残った」ものの「仕事をゼロから教えてもらい会社の温かさを感じた」と振り返ります。

スポーツマネジメントを志すようになった原点は、2009年頃、男子バレーボール部、NECブルーロケッツの休部を目の当たりにした時の「会社の経営に左右されてしまう」もどかしさでした。NECを退社し、30代でスポーツマネジメントを学ぶために米国へ留学。帰国後、日本スポーツ振興センターを経てNECに再入社しました。

戻ってきて気づいたことがあります。かつては「温かい」という印象だけだった古巣は、「変化を受け入れる会社」でもあったということ。自分だけでなく多様なキャリアをもつ社員が増加。そして、企業スポーツも、自立運営によるビジネス化をめざして変化が求められる中、「まだどこも成功していない企業スポーツのマネジメントの発展をめざしたい」といいます。
マネジメント側も選手の立場も経験した存在として両者をつなぐ役割も担っている岡田は現役選手に「他の競技の選手や他の社員などいろいろな人と話して視野を広げてほしい」と語ります。岡田自身の多彩な経験が視野を広げる糧になっているという実感があるからです。
スポーツチームを擁する企業として選手の第二の人生を応援し続けるのは、NECグループ全体に挑戦と多様なキャリアを応援する姿勢が背景にあります。セカンドキャリアの支援もPurposeに掲げる「安全・安心・公平・効率という社会価値を創造し、誰もが人間性を十分に発揮できる持続可能な社会」の実現に向けた取り組みの一つの現れともいえます。