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JAXA GCOMプロジェクトマネージャ 中川敬三 氏 インタビュー 宙から視る水の行方

「しずく」の忘れえぬ日々

  • 小笠原:中川さん、「しずく」の成功おめでとうございます。まずは4日に行われた初画像の取得から公開にかけてのお話を伺いたいと思います。
  • 中川:4日のトークショーへの登壇はすでに打上げ前から予定されていたので、この日までに「しずく」の画像を公表するのは正直スケジュール的に無理かなと思っていました。本来だったら観測軌道投入が7月1日頃の予定でしたから。打ち上げ後「しずく」は大変順調で、観測軌道投入、AMSR2の回転数アップ(40rpm:1分間に40回転する)までとんとん拍子に進んだのです。

    3日にAMSR2受信機の電源を入れるということになりました。この日の朝、筑波のデータ処理設備の前に立つと、スバルバード局(ノルウエー)から命令が送られてすぐ、画像がリアルタイムで降りてきたのです。集まった衛星やAMSR2担当が皆で「ちゃんと撮れている!全てのチャネルが完全に生きている!」と口々に興奮して言い合っていましたね。
  • 小笠原:その時の中川さんのお気持ちは?
  • 中川:「ほっとした」、「言葉では言い表せない」そんな気持ちでした。その日から翌4日朝までに地球全体のデータが得られたので、急遽4日夕方のシンポジウムで公表することになったのです。私は「データが十分得られなかったらこの日の公表はあきらめてもいいよ」そんな風に思っていたのに、「しずく」は本当に打ち上げ後とんとん拍子にいったというのが実感です。
  • 小笠原:そうだったのですね、では時間を少し戻して、5月18日の打ち上げ当日のことをお聞きします。この時はどうでしたか?
  • 中川:打ち上げは深夜(日本時間:午前1時39分)だったのですが、私は前の日からずっと種子島の管制センターに詰めて、打ち上げの進行を見守っていました。衛星の打ち上げ準備完了のボタンも押して(これはプロマネの仕事なのです)後は待つだけになりました。ここまでは結構平常心でした。
    打ち上げが成功、韓国の「アリラン3号」(「しずく」と同時に打ち上げた衛星)が分離、そこからですね、種子島からはロケットの軌跡が見えなくなって管制室が静かになったのです。これと反比例して「自分の衛星はどうなんだろう・・・と心臓がドキドキしてきたのを覚えています」
    「8分間でした、長かったですね、まるで体が硬くなったように感じた8分間でした」ようやく筑波から衛星が無事ロケットから分離したことの連絡が聞こえて「やった、これで土俵入りだ」そんな風に感じました。

写真:「しずく」分離後の種子島RCC(総合指令棟)の様子 後列、左から4人目(白い作業服)が中川プロマネ「しずく」分離後の種子島RCC(総合指令棟)の様子
後列、左から4人目(白い作業服)が中川プロマネ

  • 小笠原:「しずく」は土俵入り前に5年にわたる開発期間があったわけですが、その中で特に印象に残ったことが何かありますか、お話し下さい。
  • 中川:開発期間中はいろいろありましたが、私にはどうしても忘れられない日があります、2011年3月11日、そう東日本大地震のその日です。
    私は地震の瞬間はここ茨城県つくば市の宇宙センター内で会議中でした。地震後すぐに試験中の衛星のことが気になって現場に聞くと「大変です!」というので、すぐ現場に駆けつけました。すると衛星を置いた場所のすぐ近くの壁が落ちていたのです。衛星の脇にそのガレキが積もっていたのです。
    電気がとまってクレーンも何も使えず衛星を運び出すことも叶いません、どうするか、周囲のほこりから衛星を守るために、まず衛星をビニールシートで包んで保管することをしました。ぐるぐる巻きです。それがその時出来たことの全てでした。これから1ヶ月、建屋が一部壊れているので現場に立ち入ることすら出来ず、随分いらいらした不安な時間をすごしました。
    ようやく1ヶ月後、立ち入り安全も確認されて、電気も使えるようなって、ビニールのぐるぐる巻きを外して真空掃除機でまず全ての部分のほこりを取り去ることから始めました。大変な作業でした。でもこれが功を奏して、衛星電源の再投入以降、この一連のアクシデントによる不具合は見つかりませんでした。これらのことは本当に誰も経験したことの無い事態でしたね。
  • 小笠原:このような状況で、開発/試験スケジュールに大きな影響があったのではないですか?
  • 中川:スケジュールはその前から、前倒しで動いていたのでかなり余裕がありました。でも、今度は筑波の真空チャンバーが使えるまで待つ必要がありました。筑波での一連の試験が終了すると、他の衛星が試験をするスペースをあけるため、予定を早めて衛星を種子島に持っていくことにしました。種子島の落ち着いた環境での試験は安心でした。
  • 小笠原:「しずく」開発、試験で一番大変だったことは、あるいは難しかった機器は何でしたか?
  • 中川:やはりAMSR2でしょうか。単体ではこれまでのAMSR/AMSR-Eの経験が活きて何とか行けたのですが、システムに載せて試験するのは大変でした。2mのアンテナを地上で空気の力、重力をキャンセルしながら40rpm(1分間に40回転する)で試験することは不可能。したがって、アンテナ部を外した状態で、本体箱部のみをAMSR2単体で回転させて試験をしました。大型の展開物の地上試験の難しさを教えられました。

画像:水循環変動観測衛星「しずく」(GCOM-W1)上部の円盤が、AMSR2アンテナ部、この部分と下部の箱部分が1.5秒で1回転する水循環変動観測衛星「しずく」(GCOM-W1)
上部の円盤が、AMSR2アンテナ部、この部分と下部の箱部分が1.5秒で1回転する

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