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第2回 たくさんの手に導かれて
「はやぶさ2」を小惑星に導き、地球へ帰還させる原動力となるイオンエンジン。NECはJAXA指導のもと、この製造を担当した。そして、その中心にいたのが碓井である。幼いころの父の導き、学生時代の学び、入社後の先輩からの期待、ピンチに陥った時の上司や仲間の助け、それらを受けてここまでやってきたその年月を振り返り、「はやぶさ2」の現状も聞いた。
碓井 美由紀
NEC宇宙システム事業部 主任
イオンエンジンとの出会い
Q:イオンエンジンには、いつから関わってきたのですか?
私は大学院の修士課程の2年間を、JAXA宇宙科学研究所(以下、JAXA宇宙研)で過ごし、そこでイオンエンジンに出会いました。現「はやぶさ2」プロジェクトマネージャの國中先生の研究室でした。
大学院に入った時は電気推進について、名前を知っているぐらいで、どういう種類があって、どんな原理なのかについてはよく分かっていませんでした。2006年頃です。当時、國中先生は「はやぶさ」のイオンエンジン担当。それまで遠い存在だった「はやぶさ」が身近な存在になったのはこの時からでした。
Q:NECに入社後、すぐに「はやぶさ」のイオンエンジンに関わったのですか?
いえ、「はやぶさ」には直接は関わっていません。2008年に入社してからの数年は研究開発として、JAXA宇宙研と共同でイオンエンジンの改良、特に推力増強と、長寿命化に取り組んでいました。この時の成果がしっかりと「はやぶさ2」に活きています。
「はやぶさ2」には、プロジェクトスタート時点から関与してきました。
エンジン推力を増強せよ
Q:「はやぶさ2」のイオンエンジンは、「はやぶさ」のものから改良されたと聞いていますが、その点についてお聞かせください。
「はやぶさ」の経験を活かしたいくつかの改良が施されています。しかし、改良といっても、仕組みを大きく変えてしまうことは、かえって探査機の信頼度を下げることになりかねません。そのため、開発主体であるJAXAの方々とともに、できるだけ大きな変更をせずにより良い機能、性能を手に入れる方法などを検討しました。
まず、イオンエンジンの大きな改良は推力が増強されたことです。具体的には推進剤であるキセノンガスを導入する場所や導入方法に工夫が加えられています。実はこの工夫には、私の学生時代の研究内容も活かされているんです。
また、「はやぶさ」以上の長寿命化、高信頼性も改良が求められた部分でした。長寿命化のためには中和器の寿命が短いことが課題でした。JAXAが中心となって中和器の改良を行い、JAXA宇宙研のチャンバーに入れて1万時間以上(1年以上)の試験を行いました。そうやって、確かな性能が確認されていきました。
Q:開発の段階で一番大変だったことは?
例えば、ごく微量なガスが残留して内部に残っているだけで、スラスタが放電して働かなくなります。その対策のためには多くのノウハウが必要でした。このあたりではJAXAのイオンエンジン担当の皆さんの他、「はやぶさ」のイオンエンジン担当だった会社の先輩にもずいぶん助けてもらいました。一言伝えれば十を理解してもらえたのは心強かったです。ただ先輩からは、「調整役は手伝えても、それをきちんとスケジューリングして周りを巻き込んで進めるのは君だから・・・」と言われ続けました。これが私を育てるやり方だったのでしょう。
開発が山場に差し掛かった時は、社内も一丸となってサポートしてくれました。とはいえ、社の中でその先頭に居続けなければいけなかったのは私にとって大きなプレッシャーでした。
でもこの経験は貴重で、どういった場面ではどの部門にたのむか、作業の割り振りをどうするか、そんなことを身に染みて覚えていく機会になりました。
こうしたなかで思ったことがあります。さまざまな分野ごとに担当を割り振って専門家の力を結集していく中で、それを自分の力にしていくことが大事だと。
打ち上げに寄せる想い、2020年への想い
Q:打ち上げの時を種子島で迎えたのですか
いえ、私は種子島には何度か試験で行きましたが、打ち上げは相模原のJAXA宇宙研の管制室で迎えました。
Q:打ち上げ日時が2度ほど延びましたが、どんな気持ちでしたか?
天候を含めて最善な日に上げて欲しかったので、ただその日を待っていました。でも、打ち上げを楽しみに、種子島まで見に行った私の両親には申し訳なかったなとは思いました。
打ち上げが延びてしまったので、両親は帰京の途中、鹿児島から遠くに打ち上げを見たようです。
父は幼い私に望遠鏡を見せてくれたり、プラネタリウムに連れて行ってくれたりして、こういった分野に進むきっかけを作ってくれました。私が宇宙工学を勉強したいと言ったときに一番後押ししてくれたのは父でした。仕事に宇宙を選んだ時も応援してくれました。私に大きな影響を与えてくれた人です。
母も種子島で打ち上げを見ることをすごく楽しみにしていたようです。娘の仕事の集大成と考えていたのでしょうか。「はやぶさ2」が2020年東京オリンピックの年に戻ってくるのを今からとても楽しみにしているようです。私は絶対この思いに応えなくちゃ、と思っています。
Q:今「はやぶさ2」は初期運用中ですね。
はい。イオンエンジン1台ずつの運用、そして3台運用もうまくいきました。動いた時の感動はひとしおです。
JAXA宇宙研で苦労を一緒にした方々と、エンジンの動作具合が送られてくる画面を食い入るように見ていました。正常に動作していることが分かったときには、一同から「おっ!動いた!」と大きなどよめきがあがりました、何度も。
今回順調にここまでこられたのは「はやぶさ」で積んだ経験を、先輩たちがlessons learned(レッスンズラーンド)※として残してくれたおかげだと思っています。イオンエンジンは自分の子供のように思っているので、うまく動いて今は本当にほっとした感じです。
- ※lessons learned(レッスンズラーンド):経験によって得た教訓
- *取材から約1ヶ月後、初期機能確認期間が終了した
Q:「はやぶさ2」地球帰還の2020年へ向けての想いは?
何といっても「はやぶさ2」の運用完遂です。「はやぶさ2」は「はやぶさ」のような工学実証ではなく、「動いて当然」を求められているので、それがしっかりと達成されるように、運用にも取り組んでいきたいと思います。
また今後は私が引き継がなくてはいけない立場なので、そこをうまくやっていきたいなと思っています。イオンエンジンの技術継承だけでなく、マネジメントの面も含めて。
エピローグ
今「はやぶさ2」は一路2015年末の地球スイングバイを目指して、太陽系の空間をイオンエンジンの青いきらめきに押されるように飛行している。
2020年、地球にカプセルが無事戻ってくる、その時まで碓井の目はイオンエンジンのきらめきを見つめ続けることだろう。彼女を導いてくれた多くの人とともに。
2015年1月27日 取材
(取材・執筆 小笠原 雅弘)
碓井 美由紀(うすい みゆき)
NEC宇宙システム事業部 主任
2008年入社。
研究開発を経て、入社3年目で「はやぶさ2」のイオンエンジンの担当に。