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インタビュー007 僕は映像という立体作品を作っている

西郡 勲

映像作家・CG作家。1975年生まれ。文化学院高等部美術科在学中に、CGを駆使したVJを始める。
卒業後はCGプロダクションに在籍、95’MTV Station-IDコンテストグランプリ受賞をきっかけにMTV JAPAN入社、後にMV・CM等の映像作家として、クリエイティブプロダクションP.I.C.S.所属?2006年6月独立。(P.I.C.S.management所属
Siggraph、PROMAX&BDA、等多数受賞。2004年 エジンバラ国際映画祭、世界最大のデジタル映像フェスティバル onedotzeroやResfestによる作品招待、 文化庁メディア芸術祭 アニメーション部門 優秀賞受賞。2006年Anifest(チェコアニメーションfestival) 審査員特別賞受賞等。

「自分にとってCGっていうのはモノをリアルにつくる道具では決してない。(CGで)リアルにつくるならジュラシックパークのように現実にはいないものがそこにいる、というような使い方が一番良いと思います。僕にとってのCGはそうじゃない。自分の作風は言葉で言うと、ヒトの持っているイメージを飛躍させる“感覚を刺激する映像”だと、説明しています。すごく小さなことをよく見て観察するとこれだけ世界がある、ということを自分が勉強してきたこと、自分のフィルターを通して、色を付けて時間軸に乗せて伝える道具がコンピュータであり、CGです」
映像作家、CG作家の西郡勲氏はクルクルのカーリーヘアの頭を揺らせて、にこやかに話を進める。そのサイケでアシッディなミュージッククリップの作風からこちらが勝手に想像した奇才のイメージとは異なる柔和なキャラクターは、彼の作品のベースにある映像の心地よさと通底していることに話すほどに気付かされる。
「MV(ミュージック・ヴィデオ)を作るとき、僕はミュージシャンと対等だと思っています。最初に音を聞いた時に頭に浮かんだモチーフに動きを付け、カメラワークでいろんな形に見せていく。3Dの奥行きのある動きというのは、音楽と非常に通じていてそれを生かすことを常に考えています。だから作品はフルコーラス見てほしい。1コーラス目は自分でも抑えて作っています。2コーラス、3コーラス目でその世界を発展させていく。MVって音と絵がバーンと合えばイイってものじゃない。音と音の間に何か動いてたりするから、音と映像の両者にグルーヴが生まれ、ある時に自分でも気持ちの良い瞬間が生まれ、それが見ている人も伝わる。グルーヴの話は話すと一晩中になってしまいますが(笑)、その感覚を作品にするという思いは、高校1年生の時にクラブで初めてVJ(ヴィデオ・ジョッキー)を観た体験から変わってないし、実際に数えきれないほどプレイしたVJとしての体験から生まれてきていると思います」

CGアーティストを目指すきっかけとなったのは中学3年の時に部活のサッカーで挫折して、将来の進路を考えたのが始まり。親の影響もあって設計士を目指すべく文化学院の高等部に進み、高校1年の時に友達と行った王子のクラブ(「3Dクラブバース」)でVJを見た衝撃だったと言う。
「見たこともない動く映像を見て、何だこれは!と衝撃を受けて(笑)。当時はまだVJという呼称もなかったのですが。すぐにその場でそれが独のA社のコンピュータを使って作っている映像だと教えてもらって、当時モニター含めて60万円位したその機材を親に借金して買いました。コンピュータはそれまでファミコンに触れた程度。学校にPCも無い時代で、macもやっとカラーになった頃。先生にCGのことを話すと『コンピュータで何でも出来ると思うなよ』と言われましたね。英語の分厚くて重いチュートリアルと辞書を片手に使い方を覚えました。それですぐにモーションロゴなどを作り始めて、しばらくするとクラブでVJをしてました」
当時、クラブミュージックはリミックスという手法が登場し、米国がハウス、英国が「808ステイト」「ハッピーマンデーズ」らのマンチェスター系で盛り上がりを見せていた頃。そのうねりはアシッドハウスからレイブへと、ライブでの視覚効果を巻き込んでムーブメントとして発展していく。時代はまさにVJ黎明期で、日本でもヴィデオ『ヴァーチャルドラッグ』シリーズが92年に発売され、音楽とCG映像がシンクロし始めた時代。16歳の西郡少年はCD・ヴィデオレンタル店でバイトをしながら、SIM2というテクノバンドの一員として活動。「アナーキック・アジャストメント」のTシャツを着て、ニック・フィリップのアートワークに感化されつつ、高校卒業するときには、既に番組のオープニングCGなどを作品として納品していたという。自らの進む道の決まっていた彼は、大学進学の道を選ばず映像プロダクションにCG担当として入社し、よりハイスペックなマシンで技術をマスターしていく。
「VJは下北沢のzoo(後のスリッツ)、yellow、クラブチッタなど、ケンイシイさんや田中フミヤさんなど、いろんな場所、いろんな人達とやりました。でもVJ では食えない(笑)。機材運搬費も出ない奉仕活動のようなものですから。VJに未来があることは分かっていたけれど、現実としてCGアーティストとVJの活動は分けて考えてました」
20歳の時(1995年)に応募した『karate boy』が第1回MTVステーションIDコンテストのグランプリを受賞。同作品は97年のニューヨークフィルムフェスティバルのファイナリストにも選出され、同年、Siggraphでは『kutchae!』が入選。CGアーティスト、映像作家としてその才能は早くに評価されていたが、本人はそれでも「受賞はまぐれだと思っていた」と笑う。
「CM制作とMV制作という仕事の性質は違っても、自分の中では一緒です。VJもそうなんですが、すべて間に立っているというのが好きなんですね。映像を作っているということ、自分の付けた動きで時間軸が埋まっていく、ということが好き。CM、MVそれぞれの仕事がクロスオーバーして、それが発展して面白くなっていく。ビジネスとアート、どちらを取る?と、よく聞かれるんですが、僕は両方と答えます」と笑う。NEXT

 

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