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NEC技報の歩み

激動の時代を経て、現在へとつながる『NEC』の創刊へ

戦時色が強まるなか、『日電月報』とは別に1941年7月にはNECの研究成果発表を主とした『日本電気研究季報』が創刊されました。
常務取締役 丹羽保次郎は、『日本電気研究季報』発刊の言葉のなかで、学会への論文発表にとどまらずNECとして研究成果を広く社会へ発表することの重要性を語っています。

そして太平洋戦争の勃発後、1943年2月にNECは社名を「住友通信工業株式会社」に変更。それに伴い同年『日電月報』は『住友通信機彙報』に、『日本電気研究季報』は『住友通信研究季報』にそれぞれ誌名を変更しました。
その後、ますます厳しくなる戦況のなか、両冊子は徐々に発行回数を減らし、やむなく休刊となります。

『NEC』創刊号の表紙
(写真は金属真空管MB-850)

終戦を迎え、戦後の混乱と復興のなか、3年余りを経た1948年10月、『住友通信機彙報』と『住友通信研究季報』が統合され、現『NEC技報』の通巻第1号となる電気通信総合技術雑誌『NEC』が創刊されました。

取締役技師長の島津保次郎は、巻頭で『日電月報』からの歴史を振り返りながら、戦後の電気通信の復興の重要性を説き、科学技術の振興に向けた強い決意を語っています。

復刊のことば(『NEC』創刊号より抜粋)

終戦後、ものいわざること茲に三年、我等の腹も些か膨れたが、我等も亦現在に於ける斯界の要望に応えて、何等かの寄與をなすべき時であることを切に感ずる。電気通信総合技術雑誌「NEC」を発刊せんと企画せられた所以である。蓋し我々が意図するものは、日電月報の復刊であり、日本電気研究季報の再出発である。

取締役技師長 島津保次郎

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創刊当初は「海外ニュース」や丹羽保次郎による連載「写真電送二十年」など、論文以外の記事が紙面に並びましたが、戦後の復興が進み研究開発が活発になると、研究成果や新製品を発表する論文で占められるようになりました。
民間放送やテレビ放映の開始を迎えた1950年代には、電気通信業界の活況を反映するように掲載論文数が増え、充実の技術論文雑誌となります。

高度経済成長の時代とともに躍進する技術

1964年の第18回オリンピック東京大会、1970年の日本万国博覧会(EXPO‘70)を控え、新しい技術の発展はめざましいものがありました。『NEC』では「トランジスタ特集号」(通巻39号 1958年10月)、「新しいNEAC電子計算機シリーズ特集号」(通巻64号 1964年3月)などの特集を組み、NECが取り組む研究開発を紹介しています。

通巻63号の表紙

現在も続くNECの宇宙事業の躍進が見られるのも、この時代です。通巻63号(1964年2月)では、郵政省電波研究所(当時)に納入した直径30mパラボラアンテナが表紙を飾り、通巻68号の巻頭写真では、オリンピック東京大会におけるテレビ世界中継成功への貢献が大きく取り上げられました。
なお、通巻68号は「東海道新幹線エレクトロニクス特集」として、NECが納入した通信設備などが紹介されています。まさに、日本の成長を象徴するイベントの陰にNECの技術あり、といえるでしょう。

通巻100号の表紙
(写真は住友童話館)

そうしたNECの幅広い分野の技術を、広く一般に紹介する場となったのが1970年の「日本万国博覧会(EXPO‘70)」です。通巻100号(1970年11月)は「日本万国博特集号」として、この世紀の祭典で活躍したNECの製品・システムを紹介しました。
テレビ電話、ビデオシステム、ワイヤレステレホンなど、最先端をいく製品で“技術のNEC”をアピールしています。なかには、映像情報処理と性格診断を結びつけた「コンピュータの天眼鏡」というユニークな企画に用いられた、映像情報処理技術も取り上げられています。

『日本電気技報』
通巻103号の表紙

そして1972年5月、通巻103号より誌名を『日本電気技報』に変更。同号は「宇宙開発特集号 その1」として、前年の東京大学の第1号科学衛星「しんせい」打ち上げ成功を記念するとともに、人工衛星「おおすみ」にはじまる日本の宇宙開発に、NECの技術が貢献していることを紹介するものでした。

その後、幾度かの表紙変更を経ながらも、NECの技術を伝える役割を果たしていきます。

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