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カーボンナノチューブ

飯島 澄男NEC 特別主席研究員
飯島 澄男

NECの飯島特別主席研究員(当時:主席研究員)が1991年に発見した“カーボンナノチューブ”は、今世紀、開花が期待されるナノテクノロジーを支えるキー材料の一つといわれており、全世界でこの材料を使った研究開発、製品開発が積極的に進められています。NECではカーボンナノチューブを使った次世代トランジスタの研究開発を行っています。

自身の研究歴を振り返りつつ、カーボンナノチューブの未来、そして、ナノテクノロジーのもつ夢について、飯島博士が語ります。
(初版:2003年9月、第5版:2009年10月)

1.カーボンナノチューブの発見

きっかけは、1971年、私が米国アリゾナ州立大学で高分解能電子顕微鏡を世界に先駆けて開発したことに始まります。1970年代はいろいろなタイプの炭素物質を調べる機会がありました。そのとき見た、球状グラファイト*については、1980年、炭素物質に関する論文に発表しました。グラファイトの中に、タマネギのような形をした、直径0.8~1ナノメートルほどの粒があることに気づき、「タマネギのような球形グラファイトを説明するには、炭素六員環**のほかに、五員環が12個必要」とまとめたのですが、このタマネギ構造は、1985年に、クロトー、スモーリー、カールらが発見するフラーレン(C60)だったのです。あのときは、その事実を見過ごしてしまいました。

*グラファイトとは、炭素原子が六角形に並んだ平面結晶層で、鉛筆の芯や繊維としてゴルフクラブやテニスラケットに使われています。
**六員環とは、原子が正六角形の各頂点に並んだ状態です。


そんな経緯もあったので、1985年にC60の発見が伝えられたとき、「あのタマネギ構造だったのか!」と残念に思ったと同時に、「C60のようにきれいな対称性を持つ分子構造がどのように作られるのか」に新たな興味が生まれました。
1987年にNECの基礎研究所に移ってからは、5年前の研究を再確認するために、もう一度そのタマネギを調べてみようと考えました。

C60電子顕微鏡写真とそのタマネギの構造モデル

ところが、タマネギ構造の研究を始めて間もなく私の目をひきつけたのは、タマネギ構造のC60ではなく、そのそばに写っていた針状の物質でした。1990年に発表されたC60の大量合成法では、2本の炭素棒電極間の放電(アーク放電)でC60が発生するのですが、私は陰極の炭素棒の上に堆積したススの中に、それまで見たことのない針状の物質を見つけたのです。その針状の物質こそが、後に私が”カーボンナノチューブ”と命名した物質でした。
【命名裏話】

アーク放電の様子。陽極側のカーボンが減り、陰極側にススが積もっていく/電子顕微鏡で見たカーボンナノチューブ

当時、この発見は”偶然の産物”と言われたりもしましたが、偶然というよりむしろ必然であると思います。針状の物質を見てピンと来たのは、私の博士論文のテーマの一部が「銀の針状結晶」であったこと、また、当時同じ研究室の助教授が電子顕微鏡で研究していたアスベストが、チューブ型結晶構造であることを知っていたことが発想につながったのだと思います。すなわち、あの発見は単なる偶然ではなく、「セレンディピティ(serendipity)」の力だったのです。

「セレンディピティ(serendipity)」とは、「うまくものを見つけ出す能力」、「掘り出し上手」といった意味をもちます。私が長年培ってきた電子顕微鏡の技術や、炭素物質を見続けてきた経験、米国では鉱物学についても関わっていたこと、そして何より、「まだ構造が明らかになっていない未知の材料について追究したい」という強い思いから、この能力が自然に身についたのだと思っています。カーボンナノチューブは、一連の真理追究の過程で見つけたひとつなのです。

【セレンディビティの語源】

命名秘話

飯島博士

発見後、しばらくは、生物の中の微小管をさすことばである「マイクロチューブル」という言葉を使い、Natureにも2回、“micro- tubules”、 “ microtubule”という表現で掲載されたのですが、当時基礎研究所所長だった覧具博義さん(現、東京農工大学教授)から、「世界的に注目される名 前をつけておいたほうがいいのではないか?命名は大切だよ。」と言われ、「それもそうだ」といきついた名前が「カーボンナノチューブ」です。
「フ ラーレン」は人の名前をとってつけられた名前ですが、「カーボンナノチューブ」の命名にあたっては、いろいろな候補名がでたものです。 最初の論文で書いた「マイクロチューブル」以外にも、タンパクの名前をとった「チューブリン」、「NECチューブ」、「飯島チューブ」などなどです。 「ナノのサイズなのに“マイクロ”とはおかしい」という意見があり、「マイクロチューブル」はやめ、「飯島チューブ」というのも、恥ずかしいのでやめまし た。
「カーボン」の一種で、「ナノ」サイズ。そして「チューブ状」であることで、“カーボン・ナノ・チューブ”に落ち着いたのです。

セレンディピティの語源

セイロンの王子たちが偶然にも予期せぬ宝を見つける、というストーリーの「セレンティップの三人の王子(Three Princes of Serendip)」という古代スリランカの寓話を読んだ、イギリスのホーレス・ウォルポール(Horace Walpole、1717-1797)が、1754年に友人向けの手紙に、思わぬ掘り出し物を指す言葉として用いた造語といわれています。

2.カーボンナノチューブとは?

ところで、この“カーボンナノチューブ”とは、「カーボン(炭素)」でできた、直径が「ナノ」メートル (1ナノメートルは、10億分の1メートル、人間の髪の毛の1万分の1くらい)の「チューブ(筒)」状の物質です。網目が六角形の金網を丸めたように、六角形の頂点に炭素原子が位置したグラファイト層が、継目なく繋がり、その六角形がらせん状に並ぶ場合もあり、ちょうど、日本の伝統工芸品である竹篭の形状に似ています。

カーボンナノチューブ様式図

固体状炭素物質には、「ダイヤモンド構造」、「グラファイト構造」、炭のような「非結晶質構造」のもの、そして、1985年に発見された、サッカーボールのように炭素原子60個が結合したC60に代表される一連のフラーレン分子の4種類が従来知られていました。したがって、私が発見したカーボンナノチューブは、5番目の固体状炭素物質ということになります。

1991年に見つけたカーボンナノチューブは、多層でしたが、その後、1993年には、太さ1ナノメートル、長さ数10ナノメートルの単層カーボンナノチューブを発見しました。(IBMでもほぼ同時期に別々に発見されました。) その後、私たちのグループは、計算物理による物性研究や製造方法の研究を進め、カーボンナノチュ-ブ研究のさきがけとなりました。1996年には、NEC北米研究所のエブソンらが、カーボンナノチューブ一本の電気的性質の測定に成功しています。

また、1998年には、科学技術振興事業団(JST)・国際共同研究事業“ナノチューブ状物質プロジェクト”で、後にカーボンナノホーンと命名した、チューブの先が閉じた単層のグラファイトを発見しました。まるで、牛の角(つの)のような単層グラファイトが、いが栗のように集まっている物質です。カーボンナノホーンは、その形態から、カーボンナノホーン集合体とも言われています。さらに、2015年には後輩である研究員が繊維状カーボンナノホーンの集合体である「カーボンナノブラシ」を発見しました。

カーボンナノホーン様式図

カーボンナノチューブには、長さ、太さ、らせんの状態、層の数などによって、多様な構造が存在し、同じグラファイトシートからできていても、これらのバリエーションに応じて、電気的性質が金属にも、また、半導体にもなります。

3.カーボンナノチューブの応用例

このようなユニークな電気的性質と、ナノメートルスケールというレベルの微細構造をもつこと、軽量で、機械的強度も極めて高いこと(鉄より高い引っ張り強度をもつ)、酸素がなければ2000℃という超高温にも耐えうること、電圧をかけると効率よく電子を放出することなど優れた性質があるので、カーボンナノチューブは将来の超微細デバイスを構成する材料としての期待が寄せられています。今日では、私たちが取り組んでいるトランジスタや燃料電池に加えて、大型テレビ画面、超高感度分子センサー、高分解能STMプローブ、スーパーキャパシタ、透明導電膜、薬物搬送、触媒、複合材料として、実用を目指し、世界中で研究が盛んに行われています。

私たちのグループでは、1999年、JSTと共同で、固体化学反応を利用して異物質材料にカーボンナノチューブを接合することに成功し、カーボンナノチューブをナノメートルレベルの電子デバイスに応用する道を拓いています。 2001年には、JSTと財団法人産業創造研究所とともに、カーボンナノチューブを電極に用いた携帯機器用の小型燃料電池の開発に世界で初めて成功しました。また、2002年には、集積回路にも適用できる高性能カーボンナノチューブ・トランジスタの開発にも成功し、2003年9月には、シリコンMOSトランジスタの10倍以上の相互コンダクタンス(高速動作の可能性を示す指標)のカーボンナノチューブ・トランジスタを試作しました。

2004年9月には、カーボンナノチューブの位置と直径をナノメートルレベルで制御して成長させる技術を開発しました。これまで位置と直径をともに制御することが困難でしたが、今回の技術を用いると、意図した場所に、デバイス特性の揃ったトランジスタを形成できるようになります。2008年2月には、塗布プロセスを用いたカーボンナノチューブトランジスタを作製。2009年には、カーボンナノチューブトランジスタの全ての構成要素を印刷により形成する技術を開発したことを発表しました。そして、2013年には、印刷CNTトランジスタで世界最高の動作速度を実証したことを発表しました。

今後引き続き、カーボンナノチューブの高品質化、インク技術、印刷回路製造プロセス技術を高度化させることで、2015年頃にカーボンナノチューブ・トランジスタを実用化したいと考えています。

なお、2005年には、JST、財団法人癌研究会癌研究所との共同研究により、バイオテクノロジー分野において、カーボンナノホーンの薬物搬送担体への応用の可能性を実証し、現在、独立行政法人産業技術総合研究所にて実用化に向けた研究が進められています。

4.カーボンナノチューブがもたらす未来とは?夢とは?

今では、カーボンナノチューブの電気的性質は、理論的にも実験的にも明らかになっています。

また、製造方法の研究も進んでいますが、これまで、六員環を基本として形成されているカーボンナノチューブは、その生成過程で五員環や七員環ができてしまい、チューブの先が閉じたり、広がったりするため、長いチューブを作ることは難しいと言われていました。しかしながら、2003年4月に、米国の研究者が、「長さ6ミリのカーボンナノチューブを生成した」と発表するなど、長いチューブを生成する技術も進歩しています。私たちのグループでも、カーボンナノホーンの大量合成に目処をつけて、その多様な応用の可能性を追及しています。

しかし、今なお課題はあります。例えば、電気特性に影響を与えるチューブの螺旋の巻き方を自由に制御することはまだできていません。また、水素吸蔵材料に使えないだろうかという話もありましたが、メタンはよく吸うものの、水素は難しいことがわかってきています。

私たちは、先にご紹介したカーボンナノチューブ・トランジスタ、モバイル機器向けの燃料電池の応用の他、ナノバイオテクノロジー分野にも、カーボンナノチューブが使えないか研究しています。カーボンは、もともと人間の身体への親和性が高いことから、DNAなどの分子認識材料に適しているのではないかと考えているからです。

今後、カーボンナノチューブの大量合成の確立とともにその応用研究が加速され、将来の電子部品や電子機器、さらには、バイオ分野にブレークスルーをもたらすことと期待しています。

5.研究者の素顔

飯島 澄男

研究者の素顔では、NEC第一線の研究者の生い立ちや研究活動の変遷などをご紹介します。日本では、「理科離れ」、「もの作りの空洞化」の危機が叫ばれて久しいですが、研究者のメッセージを通じて、科学技術を身近に感じていただき、興味を深めていただければ幸いです。今回は、飯島博士からのメッセージです。

少年時代

皆さんによく、「どんな子供でしたか?」と聞かれます。一言で言うと、"自然児"でした。小さい頃は、植物採集、昆虫採集、魚釣り、小動物(はと、うさぎ、へび、かえる、かに等々)の飼育など、自然と触れ合うことは何でもやりました。自然を体験することからさまざまなものを学び取ってきたことで、感性や洞察力が養われたと思っています。高校と大学では山岳部と音楽部に属し自然探索と創造的挑戦で青年期を満喫しました。

電子顕微鏡との出会い、専門性の獲得

電気通信大学の通信学科を卒業するにあたり、エンジニアリングの分野ではなく、サイエンスの分野に方向転換。無事東北大学の大学院物理学科に合格したものの、他大学からの合格のため事情が分からず、研究室への配属は面接のときに即決しました。そこがたまたま電子顕微鏡研究のパイオニアである日比忠俊教授の研究室でした。

もともと特に電子顕微鏡の研究をやりたいと思っていたわけではなかったのですが、この分野の研究が肌にぴったり合ったようです。博士課程を終え、東北大学科学計測研究所の助手として2年、米国アリゾナ州立大学の研究員として12年間を過ごし、その間に、物質構造を原子レベルで解明する高分解能電子顕微鏡技術を世界に先駆けて開発しました。こうして飛び込んだ分野「電子顕微鏡を使った物質のナノメートルレベルの構造や物理現象の探求」が私の専門となりました。

電子顕微鏡と出会ったことが、私の研究の道を決めたわけですが、これは、"セレンディピティ"というよりは、偶然の出会いだったのかもしれません。しかし、進路変更し、新たな分野に自ら飛び込んでいった、という点からは、何かを求める意思が働いていたことは事実であり、単なる偶然ではなかったようにも思います。

アメリカ時代

1970年から1982年までアメリカのアリゾナ州立大学で過ごしました。 (1979年は英国ケンブリッジ大学客員研究員としてイギリスに滞在していました。)  一言でいうと修業時代です。アメリカ時代に学んだことは、「人のやったことはやらない」ということでした。

その結果として、1971年、高分解能電子顕微鏡を開発し、ニオブ酸化物結晶中の金属原子の直接観察に世界で初めて成功、1973年には、同じく高分解能電子顕微鏡を使って、結晶中の点欠陥を原子レベルの分解能で撮影することに成功しました。そして、1977年には、孤立タングステン原子の撮影に成功し、1932年に電子顕微鏡が発明されて以来、研究者が抱いていた「原子1個を見てみたい」という夢が実現したと言われました。

帰国後、NECに入社したわけ

1982年に帰国し、新技術開発事業団(後の科学技術振興事業団)の第1回研究プロジェクトに参加して、新しい高分解能電子顕微鏡を開発しました。そして、1984年には、金の原子がアメーバのように動く金超微粒子の“構造ゆらぎ”現象を発見しました。帰国後1982年から1987年の間は、主に微粒子の研究に打ち込みました。

その後、1987年にNECに入社しました。次の研究課題を、高分解能でかつ超高真空で動作する新しい電子顕微鏡の開発をしたいと思っていたところ、NECがその電子顕微鏡開発に同意してくれたというわけです。48才で初めて経験する会社勤めです。企業の基礎研究所に飛び込んだもうひとつの理由は、エレクトロニクスの研究所には大学では作れない高価な装置で作ったユニークな材料があり、それらは電子顕微鏡による格好の研究課題になると睨んだからです。第三の理由は、企業の研究所でも基礎研究ができるはずだ、という密かな自分への挑戦もありました。大学と企業の研究所が基礎研究で競い合い、切磋琢磨することは、基礎研究が多様な研究者に支えられることになり、これは健全だと信じるからです。もっとも、経済的環境が許される範囲内で行わなければなりませんが。NECの経営方針に「広く科学・技術を追及し、新しい価値を創造する」、「社会への還元を図る」と言っているのも気に入りました。

入社の年から2年を要しましたが、待ち望んでいた顕微鏡を世界に先駆けて開発することに成功しました。今思い起こしてみると、入社後初めて書いた論文はC60に関するものでした。何か縁を感じます。

金曜講話について

金曜講話

カーボンナノチューブを発見してからも、特別、私の生活や研究スタイルが変わったということはありません。強いて言えば、忙しくて自分の時間がなくなったことくらいです。研究の方向性だとか、物事に対する好奇心は、今も昔と何ら変わりない、と信じていますが(?)

1997年の5月に、英国王立研究所で行った「金曜講話」は、これまでいろいろ講演してきましたが、特別、英国の科学の伝統を感じる貴重な経験でした。

講話は、司会者によるイントロダクションや紹介は一切なく、いきなり午後8時の鐘の合図で始まります。1時間後にはまた鐘がなって、途中でも厳格に講話を終了させなければならないという伝統的スタイルになっているのですが、私の場合は、3秒前に講演が終わり、呼吸を整えたその瞬間に鐘がなりました。これは、ギネスもののタイミングだったとのこと。会場は大いに盛り上がりました。

また、講演では、「カーボンナノチューブの実用的な価値について聞かれるとしたら、電気を発見した、イギリス人の偉大な科学者、ファラデーが、当時の大蔵大臣に問われたときの返答”One day, Sir, you may tax it.”と答えます。」と話しましたが、このコメントにも会場が沸きました。これは、いつかこの発見で税収があがるほど、カーボンナノチューブには多くの魅力があるという比喩だったのですが、今では、そのとき感じていたよりもさらに意を強くしています。

金曜講話とは?

「金曜講話」は、1825年に電磁気学の創始者ファラデー(M.Faraday)により、先端科学を一般の聴衆にわかりやすく紹介することを目的として創設されたもので、以来、当時と同じ場所である、ロンドンの英国王立研究所で続けられている権威ある講演会です。
年に20回、金曜日の夜に、世界の一流の研究者が、専門家だけでなく王室関係者や医者、弁護士といったその専門外の知識人に対し、最近の成果を、実験を中心に、わかりやすく講演します。講師、聴衆ともブラックタイ着用を求められるほど格式も高く、講演会の様子は、現在の英国紙幣のデザインにも用いられているほどです。
この講演会には、これまでマックスウェル、レーリー卿、デュワー、フレミング、J.J.トンプソン、P.キュリー、ラングミュラー、クロトー等、ノーベル賞クラスの科学者も講演しています。飯島博士は、日本人として、菊池誠氏(ソニー 1984年)、藤正巌氏(東大1994年)、外村彰氏(日立1994年)、永山国昭氏(東大1997年)に続き5人目の講演者となりました。

若い人たちに

私はよく"セレンディピティ"という言葉を使います。偶然をもたらすには、そこに至る過程が大事だと思っているからです。物事を正しく見る目というのは、日頃の観察から養われると思います。昨今の凶悪犯罪のニュースを見るにつけ、小さい頃から、自分で考えて正しく行動する訓練ができていないことが原因なのではないかと感じます。今の日本は過剰なサービスが横行しています。例えば、駅のホームのアナウンスです。「危険ですから白線の内側まで下がってお待ちください」と、親切にアナウンスしてくれますが、そんなことは乗客が自分自身で判断すべき問題です。このように、自分で考えなくても誰かが答えを言ってくれる世の中で育ってしまうと、独りで生きる術を習得できません。最近の日本の子供たちに「サバイバルゲーム」をさせたとしたら、きっと誰も生き残れないのではないでしょうか。これは大人の責任です。もっと自然に触れ合い、自分で考えて行動する生活をしてほしいなと感じています。

ここ何年も言われつづけている「理科離れ」についても、自然との触れ合いから習得する観察力、感性が欠如していることに起因するのではないかと思います。研究というのは、興味があれば、どのような環境下でもできるものです。興味をもたせるように育てるのが教育だと思います。

科学を志す人たちに

先にも述べましたが、「人のやったことはやらない」というのがポイントだと思います。でも、「人のやっていないことをやる」というのは、強いモチベーションに裏付けられなくてはなりません。その裏付けは何かと問われると、難しい問題です。広い視野で本物を見抜く訓練かもしれません。限られた時間ですからインパクトのある研究テーマを探したいものです。収益を重視する企業では、基礎研究の継続は難しいと思われるかもしれません。しかし、芽があると見込まれる研究なら、企業でも支持されると思います。要は、その研究者に先を読む力があるか、そのマネージャーに見る目があるかにかかっています。ただし、いつまでも芽のままならやめる勇気も必要です。多額の投資をした研究だと、やめるのは大変難しいものなのですが。

日本の若い皆さんにお願いしたいことは、企業で研究しようと、大学等で研究しようと、そういう枠にこだわらず、日本に誇れる研究成果を生み出して欲しいということです。誇れるものがないことは、世界の中で伍していくとき、精神的ゆとりができません。日本の文化を創造するんだ、というぐらいの自負が必要です。例えば、私の専門である電子顕微鏡による研究や製造技術は、世界に誇れる技術だと思っています。ぜひ、皆さんも世界に誇れる科学・技術を創造してください。

飯島特別主席研究員 参考資料

  1. 略歴
  2. 論文リスト(2016年6月更新,PDF形式)
  3. 参考図書「カーボンナノチューブの挑戦」飯島澄男著 岩波書店 1999年1月発行
  4. 名城大学 大学院理工学研究科 NANOTUBULITESサイト
  5. 産業技術総合研究所ホームページ(カーボンナノチューブの説明)

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