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高知大学 様

がん治療用ペプチドワクチンの開発・実用化に向けて

NECは医療ヘルスケア分野で、AI技術を活用した創薬事業に取り組んでいます。2016年にはNECが山口大学、高知大学と共同で発見したがん治療用ペプチドワクチンの臨床開発と実用化に向けてベンチャー会社サイトリミック社を設立。NECは今後もサイトリミック社、山口大学、高知大学との共創により、新たながん治療薬の創薬活動を推進していきます。ここでは共創の背景や、意味などを高知大学の宇高恵子教授とNECのHealthTech事業開発室の担当者にうかがいます。

宇高 恵子

宇高 恵子 高知大学医学部教授

主な研究テーマはT細胞認識。T細胞に抗原を提示するMHC分子に結合する抗原ペプチドの同定技術を生かして、
悪性腫瘍の標的免疫療法の開発や、アレルギーの抑制技術の開発を行っている

北村 哲

北村 哲 シニアエキスパート

日本電気株式会社 事業イノベーション戦略本部 HealthTech事業開発室
創薬およびその周辺領域における新事業開発を統括

宮川 知也

宮川 知也 エキスパート 薬学博士

日本電気株式会社 事業イノベーション戦略本部 HealthTech事業開発室
創薬新事業の技術開発責任者

がん細胞を攻撃するT細胞を活性化するぺプチドワクチン

ーNEC、サイトリミック社の共同研究パートナーである、宇高先生の研究の概要を教えてください。

宇高:T細胞というリンパ球の免疫機能を研究しています。T細胞は自分の細胞と、ウイルス感染細胞のように、異常をきたした細胞の違いを見分けて、異物だけを排除するように働きます。隣同士に病気の細胞と健康な細胞がいても、悪い細胞だけを排除して、すぐ隣にいる健康な細胞は痛めないというすごい仕組みを持っているのです。がん細胞は正常な細胞とそっくりの顔をしていますが、それでもT細胞は上手に見分けます。しかし、T細胞がそれらの違いをどうやって見分けているのかは部分的にしか分かっていません。私は、異常をきたした細胞の目印が何であるかを解明し、排除すべきなのに排除できていないがん細胞を征服する技術を開発したいと思っています。がんワクチンを近い将来完成させられればいいなと思っています。

ー宇高先生がNECの共創パートナーになったきっかけを教えてください。

宇高:米国とドイツで10年に渡りT細胞の研究に携わり、1994年に帰国しました。そのとき勤めた順天堂大学の研究室で、当時NECから出向して情報技術を使って医療、バイオに役立てられるテーマを探していた研究者に出会いました。そのころ、ペプチド(※1)が細胞の上にあるMHC分子(※2)と結合し、そのペプチドのアミノ酸配列をT細胞が見分けて、がんかどうかを判断するということがようやく判明してきました。アミノ酸配列は、20種類のアミノ酸を9つ並べたもので数多くの組み合わせがあります。その組み合わせのなかから、抗原となっているものの特徴を抽出するために、情報技術を使えるのではないかと考え、NECとのペプチド予測システムの共同研究が始まりました。

※1 ペプチド
アミノ酸が数個から十数個つながったもの。一般にはタンパク質の分解過程で作られることが多い。

※2 MHC(主要組織適合性複合体)分子
移植などの際に型合わせをする移植抗原のことで、ヒトでは白血球抗原Human Leukocyte Antigen (HLA)と呼ばれる。T細胞は、MHC分子に結合したペプチドの種類や量を見分けて、細胞に起こった異常を察知する。MHCやHLAにはヒトごとに異なる型があり、型ごとに結合するペプチドが異なるため、T細胞が主体となる感染症やがんの制御には、患者さんのHLA型に結合するペプチド抗原の情報が必要である。

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ーNECと宇高先生の共同研究の進展の過程を教えてください。

北村:NECの研究所では1991年から機械学習の基礎研究を始めていまして、宇高先生との出会いによりペプチドの配列予測を研究テーマとし、共同研究を開始しました。2000年代半ばにバイオブームが冷え込んだために、NECも活動を縮小せざるをえなかったのですが、その間も宇高先生はNECとの共同研究成果であるWT1由来ペプチドの臨床研究を継続しておられました。2011年に先生から、患者さんで効果が出ているとの成果を教えていただき、NECのペプチド予測技術の有効性が再評価されたことで、2012年から新事業としてペプチド創薬プロジェクトが立ち上がりました。その後、山口大学、高知大学と肝細胞がんペプチドワクチンの共同研究を開始し、昨年のサイトリミック社設立へとつながりました。宇高先生が臨床研究を継続されていなければ当社の創薬新事業もサイトリミック社も無かったわけで、まさに恩人です。

宇高:昔はがん免疫治療についての有効性が確定しておらず製薬会社もずっと遠巻きに眺めているだけで、ちゃんと投資してワクチンを作ろうというところまで動いていませんでした。最近は抑制性免疫機能を解除するオプジーボ(※3)などのがん治療薬も登場し、時代も肯定的になってきました。このオプジーボの投薬効果があるケースと、ないケースの差は、患者さんのT細胞が自然に増加しているかどうかが、大きな要因のひとつであることも判明してきました。効果のない患者さんでも腫瘍細胞を認識して殺すT細胞をペプチドワクチンで増やせば効く可能性が高まります。こうして、ペプチドワクチンの効果が再認識され、製薬業界も積極的な開発へと向きました。

※3 オプジーボ
免疫機能を高める薬剤として、2014年7月に承認認可された抗PD-1抗体。

機械学習により約5000億通りの配列から結果を予測

ー大学での研究と比較して、NECとの共同研究のメリットは何ですか?

宇高:情報技術を使って効率よく、任意のアミノ酸配列のペプチドについて、HLA分子への結合能を予測できることです。人間が使うアミノ酸は20種類で、キラーT細胞が認識するペプチドはアミノ酸9個分の長さがあり、キラーT細胞を活性化するヘルパーT細胞が認識するペプチドは、アミノ酸11個か、それ以上で構成されます。アミノ酸9個の場合、約5000億通りの組み合わせがあります。このなかからHLA分子に結合するペプチドを探すのは大変です。たとえば唯一無二の組合せを探す実験方法はあったのですが、HLA結合性ペプチドの場合は、約5000億種類の中の100個に1個くらいはHLA結合するという選択性に遊びのある組合せなのです。遊びのある組合せを見つける方法論自体が無かったので、これは機械学習で探すのが効率的でした。

ーNECが創薬に取り組むにあたって必要としたパートナーは?

宮川:私は製薬会社から2002年にNECに移り、NECが持つIT技術を利用した創薬分野で新事業の開発に取り組みました。共創にあたっては基礎研究から臨床開発まで、幅広い領域での知識と経験を持った専門家とのパートナーシップが必要であることはもちろんですが、ITの活用に関心があり、NECの技術を理解してくださる方を探すことが必要です。

北村:工業製品と生物では実験に対する考え方が全く異なります。工業製品は同じものを何度でも作れますが、生物では同じ実験でも実験者により結果が異なることが多くあります。専門技術と品質の高い実験経験がないとできません。NECの機械学習技術と、宇高先生のような専門家が出会えたことが重要でした。

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ーどのように機械学習を活用したのですか?

宇高:私の研究は地味な作業の繰り返しです。ペプチド結合実験を何回もやってきました。実験では正確な値を得ることが重要です。世界の誰にも負けないくらい正確な値を出したいというこだわりをもっています。これまでの累計で1000個近くのペプチドを合成しています。集中して年間500個近く合成したこともありました。HLA結合ペプチドについては、海外のデータベースにもこれほどの数の情報はありませんでした。

宮川:機械学習はデータが重要ですが、海外のデータベースのデータは論文からの寄せ集めが多いなかで、宇高先生に安定した質の高いデータを提供していただけました。そのため、信頼性のあるデータセットをもとに機械学習が行えました。

宇高:最初の共同研究のときは、乱数表から得られたアミノ酸配列のペプチドについて、HLA結合能を当てさせるという課題を10万題与えることから始めて、機械学習を繰り返しました。上手に当てられる配列となかなか当てられない配列が出てきて、そのなかなか当てられない配列は結合に関する情報が欠けているものです。そこで、その最も当てにくい配列のペプチドを私が合成して結合値を計り、データベースに補いました。すると、みるみる学習が進んで、任意のアミノ酸配列のペプチドについて、HLA結合能を当てられるようになりました。当時の海外の公共データベースの配列予測では正解率は3~4割、私たちが当時開発したペプチドライブラリー法でも5〜6割程度でしたが、NECの正解率は93%に達し、世界をリードする結果が出せました。

宮川:現在完成している予測システムを用いれば、一瞬でペプチドを特定できます。こうなるまでには、ルールを作って機械学習と先生の実験を交互に繰り返すため、ひとつのHLA型について、一年くらいかかりました。今後、予測の範囲を異なる型のHLA分子についても広げていこうと先生とお話ししています。

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臨床研究の成果を元に、新しい治療法の提供へ

ー現在までの成果はどのようなものですか?

宇高:10年前から臨床研究を行っています。前立腺がんでは、がん細胞の目印となるHLA結合性ペプチドを免疫源として投与することで腫瘍マーカーが低下したり、がんの縮小や進行が抑えられたりする症例が4割程度出るなど良好な成果が得られています。開発の過程では、免疫に使えるペプチドはたくさん候補として出てくるのですが、そのなかでまれに見つかる、日本人が持つHLA型(※2)の、主だったいくつかの型に共通に結合するペプチドを使えば、1種類のペプチドで日本人の大半を免疫できます。そこで、次のがんワクチンの開発に活かしていく予定です。そのほかに脳腫瘍でも成果が出ています。また、耳鼻科領域のがんと、整形外科の肉腫や骨のがんにも取り組んでいます。今、標的としているWT1というがん抗原は7~8割方の固形腫瘍に共通に発現していて、白血病のほとんどにも発現しています。今年度中には次世代の前立腺がんワクチンの臨床試験の準備を終えたいと思っています。

ー今後の展望についてお聞かせください。

北村:サイトリミック社は設立後2年かけて治験の準備を行い、その後の3年で治験のフェーズIIを終わらせるスケジュールを立てています。サイトリミック社の出資者であるNECとしてもそれが重要目標です。宇高先生にはサイトリミック社の科学顧問もお引受けいただいています。さらにNECはサイトリミックと併走する形で免疫治療領域における新たな取り組みを推進していきたいと考えています。

宇高:次世代のペプチドワクチンを早く提供したいと思っています。前立腺がんでは、ホルモン治療が効かなくなった患者さんは、他に治療法がなくなってしまいます。臨床の先生からは新薬を必要とする患者さんのために新しい治療法を提供できるよう期待していただいており、それに応えていきたいと思います。

ー共創パートナーとして、今後お互いに期待することはなんですか?

宇高:まずは、がんや難治性ウイルス感染症に対するペプチドワクチンを開発することと、スギ花粉や食物に対するアレルギー反応や自己免疫反応は抑える一方、感染症に対する免疫反応は抑制しない、抗原特異的な免疫抑制の方法を開発したいです。現在は免疫反応全体を高めたり、抑えたりする治療法しかありませんが、今後は特定の抗原に対する免疫反応だけを高めたり抑えたりする技術の開発が要となります。HLA結合性ペプチドがわかれば、それに対する免疫反応だけを高めたり、抑えたりする免疫方法の工夫が可能になります。 その他、NECのIT技術を使えば可能になる将来の夢として、日本の医療情報の充実に向けて一緒に協力していきたいです。HLA遺伝子型の情報は、一度調べれば、感染症やがんの治療に利用できますし、アレルギーや自己免疫疾患にも関連します。医療情報が充実すれば、たとえば移植時に必要となるHLAの型合わせも短時間で可能になります。現在はドナー登録をすると、その方の遺伝子型・HLA型が調べられ、移植ネットのデータベースに保存されるのですが、ドナー本人が病気になった時にその情報をペプチドワクチンなどの治療に使えるようにはなっていません。患者さん自身によるHLA型の申告だと信頼性に問題があるため、たとえドナー登録をした方であっても患者さんになった場合は毎回本人の遺伝子を、費用をかけて調べなおしています。一度調べた遺伝子の情報を利用できるようになれば、コストを抑えつつ医療の品質とスピードが向上します。国の後押しをうけながら、治療をする側からも、患者さんからもアクセスできる医療に役立つ遺伝子情報のデータベースの仕組みがあればいいと思います。そのような仕組みをNECと一緒に考えていけたら良いなと思います。

北村:今後も引き続き、免疫学の深い知識、人脈、実験などの観点からNECのAI創薬事業の立ち上げを宇高先生に支えていただきたいと願っています。また、さらに踏み込んだ医療情報活用の取り組みも共同検討していきたいと思います。

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