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NECの歩みNECの歩み

100年以上、イノベーションの歴史を築いてきました。

  • 1899
  • 1928
  • 1956
  • 1958
  • 1964
  • 1968
  • 1977
  • 1979
  • 2002

1899年

日本電気株式会社設立(7月17日)

岩垂邦彦(いわだれくにひこ)は、1857年福岡県に生まれ、工部大学校電信科(現・東大工学部の前身の一つ)を卒業。工部省に勤めた後、渡米し、エジソン・マシン・ワークス(現・GE社の前身の一つ)に入社。エジソンと共に働いた、数少ない日本人として知られています。
帰国後、大阪電燈(現・関西電力の前身の一つ)初代技師長を経て、1899年、42歳でウェスタン・エレクトリック社との合弁会社「日本電気株式会社」を創業。日本初の外資系企業の代表者として、事業発展を牽引しました。

1928年

NE式写真電送装置(国産第一号)を完成、
昭和天皇即位の大典で写真電送に成功

丹羽保次郎は、現在のFAXの基礎となる独自方式の「NE式写真電送装置」を発明。1928年11月に執り行われた昭和天皇即位式の写真を、いかに早く新聞に掲載し全国の読者に報道するかを考えていた新聞社が、この写真電送装置を採用し、大成功を収めました。
当時、欧米からの技術導入が中心であった先端分野の電気技術に対し、写真電送の分野は純国産技術によって確立され、その後の日本のFAX技術の発展に大きく貢献しました。
(出典『日本の十大発明家 偉大な発明の数々』特許庁)

丹羽保次郎(発明当初の写真電送装置を前に)

1956年

局用クロスバ自動交換機国産第一号を完成、
栃木県三和局に納入

この時期、急拡大する電話網において、自動局化を進めるためにクロスバ交換機の導入が急務となっていました。当時の日本電信電話公社は、国産クロスバ交換機の共同研究パートナーとして、NECを指名。1954年一次試作機の電気通信研究所実験局納入を経て、国産初の実用化を果たしました。
このクロスバ交換機は、日本で初めて国産技術によって方式・回路・部品などを独自に開発した交換機であり、世界的に見ても高い性能レベルにありました。その後、輸出事業でも多大な成果を挙げました。

市内クロスバ交換機の一次試作機

1958年

国産初のトランジスタ式電子計算機「NEAC-2201」を完成

東北大学の計算機プロジェクトと共同開発した「NEAC-1102」は、NECが出荷した第1号の電子計算機。日本で生まれた高信頼性、長寿命の「パラメトロン素子」を採用し、浮動小数点演算と固定小数点演算方式を命令によって切り換えられる、1,024語の大容量記憶装置、などの特徴を持ちました。
一方、「NEAC-2201」はゲルマニウム合金型高速トランジスタを回路素子とし、完全に国産部品によって製作された点に特徴がありました。1959年パリの展示会に出品、世界初の実演を行い、国際的な注目を集めました。

初のトランジスタ式コンピュータ
「NEAC-2201」

1964年

東京オリンピックの実況テレビ国際衛星中継で、
NECの衛星通信機器が活躍

マイクロ波によるテレビの無線中継の研究に着手した森田正典は、発振増幅共用方式や高感度受信方式を次々と実用化。この方式はその後、見通し外通信や衛星通信で大きく開花し、衛星通信地球局において圧倒的な世界第一位の地位を築きました。
1963年開設された日本初の衛星通信地球局、KDD茨城宇宙通信実験所に、NECは高感度受信装置を納入。日米間初のテレビ中継実験成功時にケネディ大統領暗殺という衝撃的なニュースが飛び込んできたことはよく知られています。
さらに、64年10月に開催された東京オリンピックの国際テレビ中継においても、NECが郵政省電波研究所鹿島実験局に納めた送信装置やパラボラアンテナなどが活躍しました。

電波研究所鹿島実験局の送信用アンテナ

1968年

144ビットnチャネルMOS(Metal Oxide Semiconductor)メモリの開発に成功

当時の半導体業界では、MOSメモリはpチャネルが世界的に主流であり、「nチャネルは技術的に量産は不可能」が通説でした。そのような中でNECメモリ開発陣は、画期的な絶縁技術を確立し、1968年、ついに144ビットnチャネルMOSメモリを完成させました。その成果は1969年の国際固体回路会議(ISSCC)で発表され、会場は通路まで聴衆で埋まる好評ぶりでした。その後、nチャネルが世界標準となったのです。

世界初の144ビットnチャネルMOSメモリ

1977年

インテルコム77(米国アトランタ)でC&Cを提唱

1977年10月10日、アメリカではじめての大規模総合通信展「インテルコム77」で、小林宏治(当時会長)が基調講演を行いました。「変化する社会ニーズへの通信企業の対応」と題したこの講演が、その後のC&C戦略につながりました。
「21世紀の初めには、『いつでも、どこででも、誰とでもお互いに顔を見ながら話ができる』というところまで広がります。・・・そのときはすべての技術、つまり通信、コンピュータおよびテレビジョンは、このようなニーズに対して統合されるでしょうし、またそうあるべきです。」

「インテルコム77」で講演を行う小林宏治

1979年

パーソナルコンピュータ「PC-8001」を発売

渡辺和也率いるマイコン販売部は、1976年8月マイコントレーニングキット「TK-80」を発売。秋葉原にサポートセンター「Bit-INN」を開設しました。「Bit-INN」は連日大盛況、マイコンを個人用のコンピュータとして使いたいというユーザ熱は高まりました。この熱気は本物だと肌で感じた担当者たちは、ユーザのニーズに応える形で、NEC初のパーソナルコンピュータ「PC-8001」を製品化。発売当初から予約が殺到し、NECは国内パソコンシェアNo.1を獲得。パソコン事業において一気に優位に立ちました。

「Bit-INN」でのデモの様子

2002年

世界最高速のスーパーコンピュータ、
超高速ベクトル並列計算機「地球シミュレータ」を完成

地球規模の気候変動予測を行うために1997年に計画された「地球シミュレータ」、要求される性能は当時のスパコンの1000倍という破格のレベルでした。NECはのべ1000人を投入、NECグループの最先端技術の粋を結集して、目標性能をクリア。2002年3月に当初の予定通り運用を開始しました。
「地球シミュレータ」は2002年6月のスパコン性能ランキング「TOP500」で他機種に圧倒的な差をつけて1位を獲得し、2年半にわたってトップの座を守りました。

「地球シミュレータ」の俯瞰図

NECの歩みNECの歩み

100年以上、イノベーションの歴史を築いてきました。

1899

日本電気株式会社設立(7月17日)

岩垂邦彦(いわだれくにひこ)は、1857年福岡県に生まれ、工部大学校電信科(現・東大工学部の前身の一つ)を卒業。工部省に勤めた後、渡米し、エジソン・マシン・ワークス(現・GE社の前身の一つ)に入社。エジソンと共に働いた、数少ない日本人として知られています。
帰国後、大阪電燈(現・関西電力の前身の一つ)初代技師長を経て、1899年、42歳でウェスタン・エレクトリック社との合弁会社「日本電気株式会社」を創業。日本初の外資系企業の代表者として、事業発展を牽引しました。

1928

NE式写真電送装置(国産第一号)を完成、昭和天皇即位の大典で写真電送に成功

丹羽保次郎(発明当初の写真電送装置を前に)

丹羽保次郎は、現在のFAXの基礎となる独自方式の「NE式写真電送装置」を発明。1928年11月に執り行われた昭和天皇即位式の写真を、いかに早く新聞に掲載し全国の読者に報道するかを考えていた新聞社が、この写真電送装置を採用し、大成功を収めました。
当時、欧米からの技術導入が中心であった先端分野の電気技術に対し、写真電送の分野は純国産技術によって確立され、その後の日本のFAX技術の発展に大きく貢献しました。
(出典『日本の十大発明家 偉大な発明の数々』特許庁)

1956

局用クロスバ自動交換機国産第一号を完成、栃木県三和局に納入

市内クロスバ交換機の一次試作機

この時期、急拡大する電話網において、自動局化を進めるためにクロスバ交換機の導入が急務となっていました。当時の日本電信電話公社は、国産クロスバ交換機の共同研究パートナーとして、NECを指名。1954年一次試作機の電気通信研究所実験局納入を経て、国産初の実用化を果たしました。
このクロスバ交換機は、日本で初めて国産技術によって方式・回路・部品などを独自に開発した交換機であり、世界的に見ても高い性能レベルにありました。その後、輸出事業でも多大な成果を挙げました。

1958

国産初のトランジスタ式電子計算機「NEAC-2201」を完成

初のトランジスタ式コンピュータ
「NEAC-2201」

東北大学の計算機プロジェクトと共同開発した「NEAC-1102」は、NECが出荷した第1号の電子計算機。日本で生まれた高信頼性、長寿命の「パラメトロン素子」を採用し、浮動小数点演算と固定小数点演算方式を命令によって切り換えられる、1,024語の大容量記憶装置、などの特徴を持ちました。
一方、「NEAC-2201」はゲルマニウム合金型高速トランジスタを回路素子とし、完全に国産部品によって製作された点に特徴がありました。1959年パリの展示会に出品、世界初の実演を行い、国際的な注目を集めました。

1964

東京オリンピックの実況テレビ国際衛星中継で、NECの衛星通信機器が活躍

日本初の衛星通信地球局・KDD茨城宇宙通信実験所

マイクロ波によるテレビの無線中継の研究に着手した森田正典は、発振増幅共用方式や高感度受信方式を次々と実用化。この方式はその後、見通し外通信や衛星通信で大きく開花し、衛星通信地球局において圧倒的な世界第一位の地位を築きました。
1963年開設された日本初の衛星通信地球局、KDD茨城宇宙通信実験所に、NECは高感度受信装置を納入。日米間初のテレビ中継実験成功時にケネディ大統領暗殺という衝撃的なニュースが飛び込んできたことはよく知られています。

1968

144ビットnチャネルMOS(Metal Oxide Semiconductor)メモリの開発に成功

世界初の144ビットnチャネルMOSメモリ

当時の半導体業界では、MOSメモリはpチャネルが世界的に主流であり、「nチャネルは技術的に量産は不可能」が通説でした。そのような中でNECメモリ開発陣は、画期的な絶縁技術を確立し、1968年、ついに144ビットnチャネルMOSメモリを完成させました。その成果は1969年の国際固体回路会議(ISSCC)で発表され、会場は通路まで聴衆で埋まる好評ぶりでした。その後、nチャネルが世界標準となったのです。

1977

インテルコム77(米国アトランタ)で
C&Cを提唱

「インテルコム77」で講演を行う小林宏治

1977年10月10日、アメリカではじめての大規模総合通信展「インテルコム77」で、小林宏治(当時会長)が基調講演を行いました。「変化する社会ニーズへの通信企業の対応」と題したこの講演が、その後のC&C戦略につながりました。
「21世紀の初めには、『いつでも、どこででも、誰とでもお互いに顔を見ながら話ができる』というところまで広がります。・・・そのときはすべての技術、つまり通信、コンピュータおよびテレビジョンは、このようなニーズに対して統合されるでしょうし、またそうあるべきです。」

1979

パーソナルコンピュータ
「PC-8001」を発売

「Bit-INN」でのデモの様子

渡辺和也率いるマイコン販売部は、1976年8月マイコントレーニングキット「TK-80」を発売。秋葉原にサポートセンター「Bit-INN」を開設しました。「Bit-INN」は連日大盛況、マイコンを個人用のコンピュータとして使いたいというユーザ熱は高まりました。この熱気は本物だと肌で感じた担当者たちは、ユーザのニーズに応える形で、NEC初のパーソナルコンピュータ「PC-8001」を製品化。発売当初から予約が殺到し、NECは国内パソコンシェアNo.1を獲得。パソコン事業において一気に優位に立ちました。

2002

世界最高速のスーパーコンピュータ、
超高速ベクトル並列計算機
「地球シミュレータ」を完成

「地球シミュレータ」の俯瞰図

地球規模の気候変動予測を行うために1997年に計画された「地球シミュレータ」、要求される性能は当時のスパコンの1000倍という破格のレベルでした。NECはのべ1000人を投入、NECグループの最先端技術の粋を結集して、目標性能をクリア。2002年3月に当初の予定通り運用を開始しました。
「地球シミュレータ」は2002年6月のスパコン性能ランキング「TOP500」で他機種に圧倒的な差をつけて1位を獲得し、2年半にわたってトップの座を守りました。