サイト内の現在位置

NECの歩み

1948年
新技術誌「NEC」創刊
1950年
トランジスタの研究開発に着手
1952年
通信工業界初のデミング賞受賞
1953年
マイクロ波PTM多重通信装置を東北電力に納入(日本初の無人化マイクロ波中継回線)
1953年
ラジオ事業部を分離し、新日本電気を設立
1954年
テレビ放送装置の国産化に成功、大阪テレビと中部日本放送から受注
1954年
コンピュータの研究開発に着手
1956年
局用クロスバ自動交換機国産第一号を完成、栃木県三和局に納入

技術の粋を集め、実用化された国産交換機

この時期、急拡大する電話網において、自動局化を進めるためにクロスバ交換機の導入が急務となっていました。当時の日本電信電話公社は、国産クロスバ交換機の共同研究パートナーとして、NECを指名。1954年一次試作機の電気通信研究所実験局納入を経て、国産初の実用化を果たしました。

このクロスバ交換機は、日本で初めて国産技術によって方式・回路・部品などを独自に開発した交換機であり、世界的に見ても高い性能レベルにありました。その後、輸出事業でも多大な成果を挙げました。

市内クロスバ交換機の一次試作機
1958年
パラメトロン式電子計算機を完成、東北大学に納入
1958年
国産初のトランジスタ式電子計算機「NEAC-2201」を完成

NEC初の商用コンピュータとトランジスタ式コンピュータ

東北大学の計算機プロジェクトと共同開発した「NEAC-1102」は、NECが出荷した第1号の電子計算機。日本で生まれた高信頼性、長寿命の「パラメトロン素子」を採用し、浮動小数点演算と固定小数点演算方式を命令によって切り換えられる、1,024語の大容量記憶装置、などの特徴を持ちました。
一方、「NEAC-2201」はゲルマニウム合金型高速トランジスタを回路素子とし、完全に国産部品によって製作された点に特徴がありました。1959年パリの展示会に出品、世界初の実演を行い、国際的な注目を集めました。

初のトランジスタ式コンピュータ「NEAC-2201」
1960年
集積回路(IC)の開発を開始
1960年
日本で初めての商用電子交換機を完成、三越に納入
1961年
事業部制を採用、5事業部体制に(通信機、電波機器、電子機器、電子部品、商品)
1962年
相模原工場を開設
1963年
ニッポンエレクトリック・ニューヨーク(のちのNECアメリカ)設立
1963年
ADR(米国預託証券)を発行
1964年
府中事業所を開設
1964年
東京オリンピックの実況テレビ国際衛星中継で、NECの衛星通信機器が活躍

世界初の独自技術で140カ国に輸出

マイクロ波によるテレビの無線中継の研究に着手した森田正典は、発振増幅共用方式や高感度受信方式を次々と実用化。この方式はその後、見通し外通信や衛星通信で大きく開花し、衛星通信地球局において圧倒的な世界第一位の地位を築きました。
1963年開設された日本初の衛星通信地球局、KDD茨城宇宙通信実験所に、NECは高感度受信装置を納入。日米間初のテレビ中継実験成功時にケネディ大統領暗殺という衝撃的なニュースが飛び込んできたことはよく知られています。
さらに、64年10月に開催された東京オリンピックの国際テレビ中継においても、NECが郵政省電波研究所鹿島実験局に納めた送信装置やパラボラアンテナなどが活躍しました。

電波研究所鹿島実験局の送信用アンテナ
1965年
ZD(Zero Defects)運動を開始、産業界への普及の先駆けに
1965年
日本初のPCM(パルス符号変調)通信装置を完成
1968年
144ビットnチャネルMOS(Metal Oxide Semiconductor)メモリの開発に成功

世界初144ビットnチャネルMOSメモリ

当時の半導体業界では、MOSメモリはpチャネルが世界的に主流であり、「nチャネルは技術的に量産は不可能」が通説でした。そのような中でNECメモリ開発陣は、画期的な絶縁技術を確立し、1968年、ついに144ビットnチャネルMOSメモリを完成させました。その成果は1969年の国際固体回路会議(ISSCC)で発表され、会場は通路まで聴衆で埋まる好評ぶりでした。その後、nチャネルが世界標準となったのです。

世界初の144ビットnチャネルMOSメモリ
1968年
カラーテレビ第1号「オートカラー太陽」発売
1969年
横浜事業場を開設
1969年
鹿児島日本電気設立、以後「地方分身会社」を各地に設立
1970年
日本初の人工衛星「おおすみ」を東京大学宇宙航空研究所に納入
1970年
「公害防止環境管理部」を設置、公害防止活動の運用管理体制を構築
1971年
全自動郵便処理システム「NS-100」を開発
1972年
クオリティ作戦(Q作戦)を開始
1974年
新コンピュータシリーズ「ACOSシリーズ77」を発売
1975年
新中央研究所を川崎市に開設
1975年
日本電気ソフトウェア設立、以後「分身ソフトウェア会社」を各地に設立
1976年
4ビットマイコン新ファミリー「μCOM-41」を発売
1977年
デジタル電子交換機「NEAX61」を米国で発表
1977年
インテルコム77(米国アトランタ)でC&Cを提唱

C&C ~コンピュータと通信の融合~

1977年10月10日、アメリカではじめての大規模総合通信展「インテルコム77」で、小林宏治(当時会長)が基調講演を行いました。「変化する社会ニーズへの通信企業の対応」と題したこの講演が、その後のC&C戦略につながりました。
「21世紀の初めには、『いつでも、どこででも、誰とでもお互いに顔を見ながら話ができる』というところまで広がります。・・・そのときはすべての技術、つまり通信、コンピュータおよびテレビジョンは、このようなニーズに対して統合されるでしょうし、またそうあるべきです。」

「インテルコム77」で講演を行う小林宏治
1979年
「C&C元年宣言」朝日新聞に初めての全面4頁の元旦広告
1979年
パーソナルコンピュータ「PC-8001」を発売

パソコンシェアNo.1に繋がったマイコン販売戦略

渡辺和也率いるマイコン販売部は、1976年8月マイコントレーニングキット「TK-80」を発売。秋葉原にサポートセンター「Bit-INN」を開設しました。「Bit-INN」は連日大盛況、マイコンを個人用のコンピュータとして使いたいというユーザ熱は高まりました。この熱気は本物だと肌で感じた担当者たちは、ユーザのニーズに応える形で、NEC初のパーソナルコンピュータ「PC-8001」を製品化。発売当初から予約が殺到し、NECは国内パソコンシェアNo.1を獲得。パソコン事業において一気に優位に立ちました。

「Bit-INN」でのデモの様子