講演録
和の心
高橋 克彦氏 作家

写真:高橋 克彦氏

東北の人々は、千数百年前から「和の心」を根底に据え、暮らし続けてきました。「和の心」とは何か、どのように生まれ、どのように日本人のDNAとして息づいているのか。「和の心」を原動力として必ず復興を成し遂げられると信じる高橋克彦氏にお話しいただきました。

2000年を経ても心の中に生きている「和の心」

日本人には相手の言うことを聞き、理解を示し、国際的にも相手の立場をおもんばかる優しさがあります。いわば「和の心」と言えるものです。私がこのことに気づいたのは何年も前のことでした。

あるとき若者たちと超常現象について話をする機会があり、たまたま「黄泉(よみ)の国」の話になりました。黄泉の国について説明するうちに、なぜ黄色い泉と漢字で表記するのかと、ふと思ったのです。

文字のなかった日本は、大陸から漢字を取り入れ、言葉の発音に漢字をあてはめました。古事記や日本書紀では「夜見」のように、単純に漢字をあてはめていましたが、同じ読みの漢字がたくさんあり、統一できず不便でした。そこで、渡来人に「死んだ人間の魂が行く世界を中国ではどういう漢字で表しているのか」を聞くと、「それは黄泉(こうせん)です」と言ったのでしょう。ほぼ同じ意味の「黄泉(こうせん)」を「よみ」にあてはめるようになりました。訓読みの読み方と漢字の読み方が極端に違う場合は、このようにして誕生した経緯があります。

これを念頭に日本語を読み解いていくと、古い時代の日本人の考え方や価値観が見えてきます。

戦艦大和、大和盆地の「大和」を「やまと」と読むのは常識ですが、なぜ大和(たいわ)としか読まない字を「やまと」と読み“大きな和”と書くのでしょうか。

これは仮説ですが、かつて大国主命(おおくにぬしのみこと)が支配する、九州を含む山陰から畿内にかけて先住民が暮らす国がありました。それが「和」でした。その後、畿内を征服したのが大和(やまと)民族の大和朝廷です。古事記や日本書紀には、国譲り神話として紹介されていますが、これは大和朝廷側がつくった歴史書で、実際には先住民たちは滅ぼされ、辺境の地に追いやられたのです。

それを裏付けているのが出雲大社です。出雲大社は大国主命が国譲りをしたとき「私は出雲の国に高い社を造ってくれれば満足」と言い、建立されましたが、それは40mもの高い柱の上に社が載っている構造でした。滅ぼされた側の王が、高い塔に幽閉されるのは全世界共通です。民衆の抵抗心を萎えさせ、クーデターを防ぐためです。出雲大社の神々の配置は、中央の大国主命を大和朝廷が持ち込んだ天照大神系の神々が包囲しています。また大国主命を祭神とする神社は山陰・山陽にはほとんどありません。約1万の大国主命に縁のある神社のうち約8,500が東北にあります。

日本を支配した大和朝廷は、大陸との交流の中で支配王朝として警戒されるのを恐れ、自分たちが和の国を譲られ、統合した“大和(たいわ)”であるとアピールしたのです。しかも、大陸には大和と伝えながら、自分たちはヤマト民族ですから読み方を“やまと”としたのです。それが、大和(やまと)イコール大和(たいわ)が成立した背景です。

ところが、我々のDNAの中には、祖先が「和の国」の民であったことが受け継がれているのです。証拠は日本語の中に残っています。日本独特のものを表すときは、「和」をつけます。「和室」「和風」「和食」など。一方、大和のDNAは「大和魂」「大和男」など、荒々しいイメージを持つ言葉に受け継がれています。我々の大半の中に潜み、何千年と伝えられてきたのが「和」です。「和」とは、訓読みでは「和(なご)む」「和(あ)える」「和(やわ)らぐ」、歌舞伎の荒事(あらごと)に対する「和事(わごと)」などの意味があります。和んで皆が楽しんでいる様子を表す「和気藹々」がその意味を最もよく伝えています。

自分たちが「和の民」であると大陸に伝えたとき、大陸側が怒ったのは無理もありません。中国でも平和、親和、共和、和解など、調和とバランスが取れた状態を表す言葉に「和」を使っていたからです。海の向こうの小さな島国が「和」とは尊大である、と考えたのでしょう。そこで別の漢字をあて「倭国」と呼んだのです。

「和」を象徴するストーンサークル

具体的な「和」を表すものに、追いやられた先住民のシンボルで、今も遺跡として残るストーンサークルがあります。古代人の墓と言われてきましたが、学術調査をしても死者を葬った痕跡が見つけられません。真ん中の立石という尖った岩を軸とし、放射線状に棒状の岩が時計の針のように並び円を形作っています。その周辺に大きな丸い岩が時計の文字盤のように並べてあります。立石には川から拾ってきた柱状節理を使い、地面に置く細長い岩や文字盤の数字のような岩には山から採った大地の石を使います。つまり、空と大地、山と川、円と直線のように二元論で構成されているのがストーンサークルです。

対立するものを封じ込めていくと、そこに力が生じると考えられたのでしょう。これが「結界」です。ストーンサークルは、古代の集落のはずれに2つつくられています。集落を両側から2つの力で守ることで、魔物を入れないようにしたのがストーンサークルなのです。集落の「和」を保つためにつくられたのです。

江戸時代には、大規模なストーンサークルはつくられず、代わりに集落の入口に道祖神、お地蔵様がつくられます。お地蔵様は人々の幸せを願って、地上に降りて身近にいてくれる和の心を持つ神様です。ストーンサークルがその原型だったとすると、映画「ロード・オブ・ザ・リング」に見られる和の思想も、全世界共通であり、人類は古い時代から「和」を尊んできた生き物だということが分かります。火を囲んで輪をつくり外敵から守り、仲間の絆を強めながら「和の心」を形成していったのです。それが今も日本人の心の中にあるのです。

これからの地球を救えるのは日本人の「和の心」

平泉は「仏国土(浄土思想)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界文化遺産に登録されています。浄土思想は神様の下に人類や獣、鳥や魚など、すべてが平等に助け合う社会を目指します。日本人は浄土思想に馴染みがあり、あまり抵抗がありません。ところが、藤原清衡が中尊寺や宗教都市を建設したときは、全国から浄土思想が消えていた時代だったのです。浄土思想はどんな人間でも極楽へ行けるとしていますが、死なないと行けないので、いったん廃れ、大日如来あるいは菩薩の指導により、現世に極楽を再現しようという現世浄土という考え方が生まれました。清衡がつくろうとしたのが現世浄土ですが、時は戦乱の時代でした。人を殺した人間は極楽に行けません。

そこで、第三の浄土が生まれました。本当の極楽は自分たちの心の中にあるというもので、これが禅宗へ発展していったのです。武士である清衡は、本当は極楽を信じていなかったはずですが、浄土思想による国づくりを唱えました。平泉は中央政権からにらまれていたので、忠実に朝廷に仕える意思表示をしながら、国土を豊かにしていくために宗教を持ち出したのです。「国家鎮護」、つまり朝廷の安泰をお守りするお寺ですと了承を得て、平泉に寺を建立し、大陸から砂金と交換で何万巻という経典を輸入しました。寺の建立には当時の最先端科学技術が注がれます。京都のどの寺よりも多い経典があれば、僧侶たちは京都から移住してきます。最盛期には8千人の僧侶が都からきていたという資料があります。このように浄土思想という宗教を隠れ蓑に先端技術と頭脳を平泉に集約したのです。

世界遺産登録の決定が下される日が近づいた3月11日、東日本大震災が襲いました。未曾有の大災害に世界のメディアが取材に来ました。ある中学生の男の子は、津波で両親、兄弟、祖父母を失い、ただ一人残されました。その子が「僕よりつらい人がいるから頑張る」と言ったのです。その子よりつらい人は世界中にいないはずなのに、その子は僕よりつらい人たちのために頑張ると言うのです。これこそ「和の心」を端的に表す言葉ではないでしょうか。

最終的に世界遺産委員会で審議され、6月25日に世界遺産リストへの平泉の登録が決議されました。被災者をはじめとする東北の人々の長年の想いがかなったのです。私たちは代々受け継ぐDNA「和の心」でスクラムを組み、互いに助け合いながら前へ進んでいます。恐らくこれからの地球は悪い方向へと向かって行きます。そんな時代だからこそ、日本人の「和の心」が世界を救えるのではないでしょうか。

 

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