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第一原理計算による物質科学:入門編

気象や海流を長期にわたって予測したり自動車やロケット等の風洞実験を数値計算で代行したり、様々な分野でスーパーコンピュータが使われている。スーパーコンピュータは不可欠な道具としてじわじわと社会に浸透している。次は材料設計に革命をもたらすものと期待されているが実際のところどの程度まで実用に迫っているのだろうか。研究の成果をシリーズで紹介することによりそれを探ってみたい。
第二回 炭素系新素材と混成軌道
カーボンナノチューブ(CNT)やフラーレン(C60)などが発見されたのはおよそ20年前である。これら炭素系新物質は以来、新たな産業を支える基盤材料としての期待がどんどん高まり、20世紀のエレクトロニクスを支えたシリコン材料にも比較して語られるようになった。今回はこれら炭素系物質の構造を例にとりながら第一原理計算の重要な側面(運動エネルギー)について解説する。
混成軌道と重なり

カーボンナノチューブ(左図)は下図左のような蜂の巣構造を持つシート状の炭素(グラフェン)を筒状に丸めたものであり、C60はそれを球状に丸めたものである。炭素原子はいずれも三配位構造をとって(ほぼ)平面状に配置している。この配置が安定なのは炭素原子がsp2混成軌道(下図右)をとるからだと高校の理科で習った方も多いのではないか。教科書ではsp2混成軌道どうしが重なり合うように炭素原子が配置するとエネルギーが下がるため、結果的に蜂の巣構造をとるといった説明が与えられている。ではどうして重なり合うとエネルギーが下がるのであろうか。そこまで掘り下げて学んだ方は案外少ないかもしれない。

運動エネルギーとクーロンエネルギー
その理由は電子が波としての性質を持ち、一点に留まっていることができないことにある。これは、もし電子を狭い空間に閉じ込めようとすると、それを嫌うかのように速度を増して運動するという基本性質であり、その結果エネルギーが高くなってしまうのである。この性質は不確定性原理とよばれるものであり、ミクロの世界ではどの粒子も免れることができない基本的原理である。
不確定性原理
狭い所に閉じ込められるほど速く動こうとする

広い所ではゆったりと動ける

炭素原子に束縛されている時、電子は比較的激しく運動する。運動エネルギーは大きい。しかし、もし隣の炭素原子に通じる軌道(すなわち重なり)があったとしよう。その場合、それを伝って電子が行き来できるため閉じ込めの度合いが弱くなり、その結果運動エネルギーが低下するのである。これが「重なりが増すと安定化する」という機構である。

もちろん重なりが増すということはそこでの電子密度が高まるということなので電子どうしの反発が強まる。また、電子が行き来するということは必然的に原子核から遠く位置することになるため原子核からの引力が弱まる。その結果クーロンエネルギー的には損である。しかしそれを上回る程、運動エネルギーが下がるということであり、総合的には安定化につながるというからくりである。この不確定性原理は直感には反する面があるかもしれないがミクロの世界ではそんなことが起こっている。

このようにミクロの世界では運動エネルギーの効果は極めて重要である。これは古典力学の世界と非常に異なるところである。第一原理計算はこの運動エネルギーを精密にかつ効率的に計算しなければならないためその算法は複雑なものになる。運動エネルギーの計算の詳細については紙面の関係で次回以降の説明にゆずるが、今回は炭素原子の特殊性について一言付け加えておきたい。

炭素原子の混成軌道
炭素原子の芯はプラス6価の原子核でありその周りを6つの電子が周回している。上記の運動エネルギーの効果のため、電子は原子核にくっついてしまうことなく、クーロン引力と遠心力が釣り合ったところで最安定軌道をとる。複数の電子は同じ軌道を周回できないという原理(パウリの排他律)のため電子は1s, 2s, 2p軌道の順に収容される[※]。二つの電子は原子核にかなり近い1s軌道に収容され化学結合などには寄与しないが、残りの四つの電子は原子核から程よく離れた2s,2p軌道に収容される。それが混成軌道を含めてさまざまな組み合わせでおこるため、多様な化学結合が出現する。

2sと 2px, 2py, 2pzの4つの軌道が混成するsp3軌道(左上図)に電子が収容されると三次元のダイアモンド構造が形成される。これに対してsp混成軌道(左下図)に収容されると一次元の鎖状構造が形成される。炭素原子はこれら三、二、一次元構造のエネルギーが拮抗しているため、実に多彩な構造を柔軟にとることができる。これは他の元素にはない炭素の特徴である。ナノテクノロジーを駆使すれば色々な構造を実際に作れるはずで、素材としての可能性は無限に広い。ナノテクの申し子のような元素である。

[※]電子にはスピン自由度(上向きと下向き)があるため、各軌道に二電子まで収容できる。


参考文献 カーボンナノチューブに関しては、たとえば東北大学理学部齋藤理一郎先生のホームページ(http://flex.phys.tohoku.ac.jp/~rsaito/)に先生の書かれた解説が多数リンクされている。また炭素の様々な構造に関しては、たとえばWikipediaに解説されている。
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