文学散歩

第35回 『広島カープ誕生物語』 ゆかりの地 広島県広島市

広島カープ誕生物語 ゆかりの地を訪ねて。
散歩した人:マツダ株式会社 村中光治さん

戦後の復興期に市民の夢を背負って設立された広島カープ

 原爆投下の4年後に誕生した市民球団、広島カープ(現広島東洋カープ)に夢を託し、たくましく生きる人々の姿を描いた漫画「広島カープ誕生物語」。作者は、「はだしのゲン」を描いた中沢啓治さんです。大のカープファンだった中沢さんは「カープに希望を託し、弱くても応援し続けた人々の姿を記録したかった」と執筆の経緯を話しています。2016年シーズン、25年ぶりにセ・リーグを制覇し、盛り上がりをみせる広島の地を、大のカープファンであるマツダ株式会社の村中光治さんと一緒に歩きました。「私の生まれは山口県の仙崎で、就職のため広島へ越してきたのは1970年でした。広島の野球熱はすごいもので、試合を観戦していると、70歳くらいのおばあちゃんがピッチャーの配球や監督の采配まで解説してくれるほどでした。その熱が伝染し、私もすぐに熱狂的なカープファンになりました」と村中さんは、自身のカープファン歴を話してくれました。

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写真中央:カープの名前の由来となった鯉城(広島城)

失われた時間の重さを感じさせる原爆ドーム

 「広島カープ誕生物語」の主人公である大地進は、原爆で両親をなくした被爆孤児。防空壕跡で暮らしながら、仲間たちと野球を楽しむことを唯一の楽しみとしていました。この物語の背景には、カープ誕生だけではなく、原爆被害からの復興という大きなテーマが流れています。その物語の背景を理解するため、まずは原爆ドームを訪れました。原爆ドームは、もともと1915年にチェコ人の建築家ヤン・レツルにより設計された建物で、正式名称は「広島県物産陳列館」といいます。ギリシャの建築様式や幾何学模様を取り入れたモダンな設計で、水運が活発だった当時の社会環境を反映し、太田川の支流に面する南西側に正面玄関がつくられました。
1945年8月6日、建物の南東160メートルという至近距離で原子爆弾が核分裂を起こしましたが、爆風がほぼ真上から降りそそいだため、建物は奇跡的に全壊をまぬがれました。原爆ドームの歴史に触れた村中さんは、「長く広島に住んでいますが、正面玄関が川沿いにあるとは知りませんでした。水運からモータリゼーションへ社会が変遷する中で、原爆ドームだけが変わらぬ姿をとどめていることに、あらためて感慨を覚えました」と感想を話します。

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1915年に「広島県物産陳列館」として建築され1945年に被爆。現在は平和を願う象徴となっている原爆ドーム

平和を願う新たなランドマーク「おりづるタワー」

続いて、原爆ドームの東側に建つ「おりづるタワー」へ。ここは商業スペースとオフィス、展望台を備える地上14階地下2階の複合ビルです。最上階にある展望台「ひろしまの丘」に立つと、平和記念公園と原爆ドーム、広島城、太田川、晴れた日には宮島の弥山(みせん)まで一望できます。床と柱にヒノキ、天井はスギで構成された開放的なウッドデッキには心地よい風が通り抜けていきます。「ヒノキの柱が立ち並ぶ展望台には、寺社仏閣のような神聖さを感じます。平和記念公園そして原爆ドームを一望し、平和を祈るにふさわしい空間だと思いました。また、カープファンにとっての聖地である旧広島市民球場が望めるのもいいですね」と村中さん。
展望台の1フロア下にある「おりづる広場」は、「おりづる」をテーマにしたアトラクションやギャラリー、おりづるを折るスペースなどがあります。心を込めて折った「おりづる」を、タワーの外壁に面する高さ50メートルのガラス空間へ投入することで、平和への願いがたくさん積み重なり「おりづるの壁」が完成するのだそうです。

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写真左:「おりづるタワー」外観 写真中央:展望台「ひろしまの丘」 右:展望台から望む旧広島市民球場

 

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写真左:原爆ドームを上から望めるスポット 写真中央・右:折った「おりづる」に願いを込めて「おりづるの壁」に投入できる

 

カープと共に歩んだ道のりに思いを馳せて

 続いては、旧広島市民球場跡地の近くにある「勝鯉(しょうり)の森」にあるカープの優勝記念碑を見学しました。この碑には、セントラル・リーグと日本シリーズで優勝した年と戦績が刻まれています。
 「初優勝した1975年のことは、今も覚えています。ちょうど会社で残業しているときに、カープ優勝の社内放送が流れたのです。悲願の優勝を果たし、社員の中には目頭を押さえている人もたくさんいました」と村中さんは当時を振り返ります。
 次に向かったのは、現在の本拠地「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」です。スタジアムのレフト側、屋内練習場近くにある「広島カープ誕生物語」の主人公たちをモチーフにした像を見学しました。主人公たちの像だけではなく、被爆レンガや被爆瓦、被爆の3日後に運転を再開した広島電鉄の被爆敷石・レールを使って装飾が施された貴重な展示物です。
 「我々マツダも戦後の焼け野原の中から必死に復興してきました。その道のりの中でカープは、マツダの社員はもちろん地元の人々にとっても希望の星でした。だから、当時のカープの“勝った”“負けた”には、野球の勝敗を超えた何か特別な重みがありましたね」

最後に、「広島カープ誕生物語」ゆかりの地を歩いた感想を伺うと「原爆投下から復興、カープの誕生から優勝、そして歩みを同じくしたマツダの道のりにも思いを馳せる貴重な時間を過ごすことができました。あらためて、過去はメモリーではなく、現在まで途切れることなくつながっているのだと気付かされました」と村中さんは話してくれました。

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写真左:カープ日本シリーズ優勝記念碑 写真中央:現在の本拠地「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」、写真右:「広島カープ誕生物語」の像

 

(2016年11月1日掲載)

作品紹介

中沢啓治著作集1『広島カープ誕生物語』中沢啓治著(垣内出版)

原爆で孤児となった野球少年を主人公に、カープ創設から1975年の初優勝までの道のりと、仲間と野球に打ち込みながら、被爆地を生き抜く人々を描いた作品。カープ草創期の往年の名選手や市民の力で経営危機を救った「たる募金」などの逸話も描かれている。

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今回の散歩道

原爆ドーム→おりづるタワー→MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島

<所要時間:約2時間>

原爆ドーム

1915年、広島県物産陳列館として完成。その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し1944年からは官公庁等の事務所として使用されていた。1945年、爆心地から約160メートルの至近距離で被爆して大破。その残骸は頂上の円盤鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになった。被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、核兵器の廃絶と平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑とされ、1996年には世界文化遺産に登録された。

おりづるタワー

2016年9月23日にグランドオープンした商業・観光施設およびオフィステナントフロアからなる複合ビル。原爆ドームと広島市最大の繁華街に隣接した場所に位置する。自然に調和する色彩を選び、原爆ドームが引き立つ色合いで統一するなど、世界文化遺産との調和を意識したデザインとなっている。平和記念公園一帯や広島城、遠くは宮島までを見渡すことができる展望台、広島の隠れた逸品や旬の味覚を楽しむことセレクトショップや飲食店、高さ約50mのガラス張りの壁面に展望台から投函した折り鶴が壁を彩る「おりづるの壁」など見どころが満載。広島の新しい観光スポットとして注目を集めている。

MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島

以前の広島市民球場が老朽化したことで、広島市の呼びかけにより、鉄道貨物ヤード跡地に新球場建設を決定。2007年11月26日工事が着手され、2009年3月28日に竣工した。右翼100メートル 左翼101メートル 中堅122メートルという規模で、観客席数は30,350席。グラウンドの開放感、通風、街との一体感を確保するため、球場を北側のJR側へ大きく開く形態とし、新幹線などJR車窓からも球場の楽しさを感じることができる。

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原爆ドーム

おりづるタワー

MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島

 

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