文学散歩

第29回 『挽歌』 ゆかりの地 北海道釧路市

『挽歌』ゆかりの地
霧の町釧路を訪ねて。
散歩した人:株式会社ポータス 岡田 正紀さん

小説・映画の舞台となった霧と湿原の港町

幻想的な海霧が町を包む釧路を舞台に、自由奔放なヒロインの怜子と妻子ある建築家桂木との不条理な愛を描いた『挽歌』。この作品は1956年に出版されるや72万部を超えるベストセラーとなり、翌年には人気女優久我美子主演で映画化され、全国に挽歌ブームを巻き起こしました。小説の舞台であるとともに映画のロケ地でもある釧路の町を、株式会社ポータス代表取締役社長の岡田正紀さんと一緒に歩きました。

釧路で生まれ育った岡田さんは小学校1年生の頃、『挽歌』のロケを見学していたそうです。「当時、私が住んでいた家の近くで映画の撮影が行われていました。母親が映画好きだったこともあり、手を引かれて撮影現場を見に行った記憶があります」と当時の思い出を話してくれました。

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釧路市内に点在する『挽歌』ゆかりの地

作品の前半で、ヒロインの怜子が桂木の愛犬に掌を咬まれるシーンがあります。この出来事がきっかけとなり、物語は大きく動き出します。映画でこのシーンの撮影場所となったのが、現在の浦見町と南大通りを結ぶ相生坂でした。丘の上から続くなだらかな坂は突き当たりで左右に分かれるT字路となります。“相生”は二つの道が合流する場所などに使われる言葉で、その語源は「出会う」だといわれています。主人公二人の運命的な出会いを描くため、ここがロケ地として選ばれたのかもしれません。「当時の記憶はほとんど残っていませんが、この坂道で母と一緒に撮影を見学したことだけは、今も鮮明に覚えています」と岡田さん。

続いて訪れたのは幣舞(ぬさまい)公園です。公園の一角に「高台から見降すと下町には明りがともっていた。しかし町の明りの果ては、広い真暗な湿原地に呑みこまれているのだった」という『挽歌』の一節が刻まれた文学碑が立っています。物語の内容もさることながら、原田康子のこうした文学的な描写は、この作品のもうひとつの魅力といえます。

公園に隣接する市立釧路図書館は、作者である原田康子ゆかりの地です。当時、図書館裏にあった白樺林で撮影された原田康子の写真が著者近影として小説に掲載されたそうです。館内にある郷土行政資料室には、貴重な『挽歌』の直筆原稿や初版本、関連資料などが展示されており、無料で見学できます。「『挽歌』は自らの感性に従って自由に積極的に行動する女性像を描いた作品ですね」と岡田さんは小説を読んだ感想を話してくれました。

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写真左:映画のロケが行われた相生坂 写真中央:幣舞公園の文学碑 写真右:資料を展示している市立釧路図書館

細岡展望台から雄大な釧路湿原を眺める

釧路の中心部を離れて摩周国道を北上し、川上郡標茶(しべちゃ)町にある塘路(とうろ)を目指しました。釧路湿原を流れる釧路川と、塘路湖から流れるアレキナイ川の合流地点にある二股と呼ばれる場所で、映画『挽歌』の撮影が行われました。映画が撮影された1957年当時、ここには木造の大きな橋がかかっており、そこで桂木の妻と愛人が密会するシーンが撮影されたことから「挽歌橋」と呼ばれるようになりました。残念ながら橋は取り壊されて、橋げたの跡がわずかに残るのみですが、今も『挽歌』に魅せられたファンがこの地を訪れているそうです。

次に、作品で印象的に描かれている釧路湿原を見学するため細岡展望台を訪れました。展望台からは、地平線に連なる雄大な阿寒岳、毛足の長い絨毯(じゅうたん)のような美しい緑の湿原、横たわる大蛇のごとく生命力あふれる釧路川を一望できます。人工物が一切ない自然の風景は、眺めているだけで心が洗われます。「湿原は、地元にとっては当たり前の存在ですが、いつ眺めても心が落ち着きますね」と岡田さん。

最後に、文学散歩で釧路を歩いた感想を伺うと「釧路には、湿原をはじめ美しい自然や海霧が漂う独特の風情、おいしい海の幸、そして心に訴える文学などさまざまな魅力があります。こうした釧路の魅力をもっと多くの人に伝えていきたいですね」と話してくれました。

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写真左・中央:かつて挽歌橋がかかっていた二股 写真右:釧路湿原を望む細岡展望台

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手付かずの自然が残る日本最大の湿原、釧路湿原

 

(2015年9月8日掲載)

作品紹介

『挽歌』 原田康子著

我が儘で感情的でロマンチストの兵藤怜子は、妻子を持つ建築家の桂木との恋に落ちる。一方で桂木夫人の不倫を目撃した怜子は、夫人にも近づき関係は複雑化していく。やがて夫妻の心の奥深くに踏み入った怜子の行動が悲劇を招く。若さの持つ脆さ、奔放さ、残酷さを描いた傑作。

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発行元:新潮文庫刊

 

今回の散歩道

相生坂→幣舞公園→市立釧路図書館→ 塘路(挽歌橋跡地)→細岡展望台

<所要時間:約3時間>

相生(あいおい)坂

『挽歌』の映画では、主人公・兵藤怜子の実家がこの坂を登りきった丘の上にあるという設定だったようだ。坂の名前は「相生坂」だが、映画にちなんで「挽歌坂」ともいわれている。
南大通を進むと米町公園が見えてくる。ここでは、石川啄木の「しらしらと氷かがやき千鳥なく 釧路の海の冬の月かな」という歌碑を見ることができる。

幣舞(ぬさまい)公園

園内の展望台からは、釧路港や釧路川に架かる幣舞橋、北大通のロータリーを一望できる。天気の良い日には北西方向に遥か阿寒連山も見ることができる。
園内には『挽歌』の碑のほかに、松浦武四郎蝦夷地探検像などが立つ。

市立釧路図書館 作者ゆかりの地

市立釧路図書館にある郷土行政資料館では、北海道や釧路地方の地域資料を収集・保存している。主に釧路の歴史、産業、釧路ゆかりの人物についての資料が所蔵されている。

塘路

日本最大の湿地・釧路湿原。湿地東部の塘路は、塘路湖を中心に大小5つの湖沼が点在する。かつて挽歌橋がかかっていた二股は塘路駅から徒歩10分程度だ。 サルボ展望台、三角点、二本松などの展望ポイントでは、それぞれ違った湿原の表情を見ることができる。

細岡展望台(釧路湿原)

釧路湿原駅から徒歩10分程度の細岡展望台は、釧路湿原の中でも人気のある展望台の1つ。「大展望」と呼ばれる第2展望台からは、湿原の中を蛇行する釧路川と、雌阿寒岳(めあかんだけ)・雄阿寒岳(おあかんだけ)を望む壮大なパノラマが開ける。

■ここでチェック

市立釧路図書館 細岡展望台(釧路湿原国立公園)

 

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