文学散歩

第25回 「小説横井小楠」 ゆかりの地 熊本県熊本市

幕末の知られざる偉人、横井小楠ゆかりの地を訪ねて。
散歩した人:九州日誠電氣株式会社 河原康文さん

歴史を動かした稀代の思想家、横井小楠の故郷へ。

 維新という革命の礎を築いた希代の思想家、横井小楠(よこい しょうなん)。維新の英傑である坂本龍馬や勝海舟、木戸孝允、高杉晋作らに多大な影響を与え、明治政府の基本方針となる「五箇条の御誓文」の原案「国是七条」を建議した偉人であるにもかかわらず、歴史の表舞台ではあまり知られていません。特に、地元熊本では、先鋭的過ぎる思想ゆえに熊本藩から危険人物とみなされたことや、酒癖が悪く失態を繰り返したことから、あまり良い印象を持たれていないそうです。そんな、知る人ぞ知る幕末の偉人、小楠ゆかりの地を一緒に歩いてくれたのは、九州日誠電氣の河原康文さんです。半導体製造を担当する生産推進事業部で事業部長を務める河原さんは、佐渡の出身ですが熊本に転居してから15年が経過しており、今では日本酒より焼酎がおいしいと感じるほど熊本になじんでいます。「熊本での生活もだいぶ長くなりますが、今まで横井小楠のことは知りませんでした」と今回の文学散歩のテーマについて話してくれました。

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小楠が惚れ込んだ美しい景色が今も広がる

 最初に訪れたのは、熊本城から東南に二里(約7.9q)ほど離れた横井小楠記念館です。ここでは小楠に関する歴史的資料と、旧居であり私塾としても使用されていた「四時軒(しじけん)」を見学することができます。

 さほど大きな建物ではありませんが、南方には、清らかな秋津川が流れ、その先に飯田山や木原山の峰々が屏風を立てたように並んでおり、小楠は、ここから望む四季折々の美しい景色が大変気に入り、ここを四時軒と名付けました。

 四時軒には、幕末の志士として名高い龍馬をはじめ、「五箇条の御誓文」を起草した由利公正(ゆりきみまさ)、「教育勅語」の起草に尽力した元田永孚(もとだながざね)、「大日本帝国憲法」の草案をつくった井上毅(いのうえこわし)らも訪れたと記録されています。なお、四時軒は明治期の火災で大部分を消失し、現在の建物も大半は復元されたものですが、龍馬が訪れた客間は幸いにも火災を逃れたため、今も残されています。

 四時軒の縁側に腰掛け、小楠が惚れ込んだという美しい風景を眺めていた河原さんは、「私が生まれ育った佐渡の家も、目の前に川が流れ、その向こうに山々を望むことができました。この縁側に座ると故郷の風景が思い出されます。こういう心和む美しい風景をいつまでも残していきたいですね」と話していました。

 次に向かったのは小楠公園です。背の高い木々に囲まれた緑深い公園の中ほどに、裃(かみしも)姿に大小の刀を携えた小楠の銅像と、徳富蘇峰の撰で横井時敬(東京帝国大学教授・東京農業大学初代学長であり父時教は小楠の弟)の書による頌徳碑が並び立ち、その脇に小さなお墓があります。明治元年(1868年)、小楠は新政府の参与に迎えられますが、その翌年、宮中からの帰途を刺客に襲われ、志半ばで暗殺されてしまいます。小楠の遺体は、京都の南禅寺天授庵に手厚く葬られましたが、弟子が遺髪を熊本に持ち帰り、現在の小楠公園内のお墓に埋葬したそうです。

 「記念館で館長さんの解説を伺い、資料を拝見し、小楠がとても偉大な人物だったことがわかりました。大変興味をひかれましたので、小説もぜひ読んでみたいと思いました」と河原さん。

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写真左:縁側から四季折々の美しい風景が楽しめる。写真中央:龍馬も訪れた四時軒の客間。写真右:記念館内には歴史的資料が展示されている

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写真左:小楠没後50年を記念して建てられた頌徳碑。写真中央:左側に立つのが小楠の銅像。写真右:小楠の遺髪を葬ったお墓

維新の志士たちに思いを馳せて

 続いて、熊本城下の高橋公園へ向かいました。ここには小楠と親交の深かった維新の志士たちの銅像が並んでいます。小楠の像の向かって左側には、維新を牽引した龍馬と勝海舟の子弟コンビ、右側には、小楠を顧問に迎えて幕政改革に手腕を振るった福井藩の松平春嶽(しゅんがく)と、熊本藩の知事だった細川護久(もりひさ)の像が並んでいます。ここに並ぶ像の中でも、幕末維新の歴史舞台でひときわ脚光を浴びた海舟は、談話集「氷川清話(ひかわせいわ)」の中で「おれは、今までに天下でおそろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲(隆盛)とだ」と、小楠のおそろしいまでの知力に脱帽し、最大限の賛辞を贈っています。

 最後に訪問したのは熊本城です。慶長12年(1607年)に名将加藤清正が築いた熊本城は、日本三大名城のひとつとして全国にその名を轟かせています。城郭周囲は約5.3km、面積は約98万u、連立式の大天守閣と小天守閣のほか、多数の櫓、櫓門、城門を備えた堂々たる城は見ごたえ満点です。特に印象的なのが、鋭利な刃のごとく美しい曲線を描き、そそり立つ石垣です。この石垣は上部へ向かうほど傾斜がきつく反り返っており、敵の武者の侵入を防ぎ返すことから「武者返し」と呼ばれています。

「私は城が好きなので、これまで各地のお城を訪ねましたが、やはり熊本城は別格です。特に、桜の時期は格別に美しい景色になりますので、多くの方に見ていただきたいですね」

 最後に、小楠ゆかりの地を歩いた感想を伺うと「今回文学散歩という企画に沿って歩いたことで、今まで知らなかった熊本の魅力を発見でき、とても楽しかったです」と話してくれました。

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写真左:高橋公園の横井小楠と維新群像。写真中央・右:難攻不落の巨大要塞といわれた熊本城内

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写真左:天に伸びる曲線が美しい「武者返し」の石垣。写真中央:本丸御殿の地下通路「闇り(くらがり)通路」。写真右:連立式の大天守閣と小天守閣

 

(2014年10月xx日掲載)

作品紹介

『小説横井小楠』 小島英記/著

幕末維新期に歴史の裏舞台で革命の礎を築いた横井小楠。熊本藩士の二男に生まれ、儒学を学び、自らの思想を昇華させて実学を生み、さらに独自の公共思想で理想の国家観を説いた天才思想家。知る人ぞ知る偉人が時代に翻弄されながらも歴史を動かしていく姿を描いた長編歴史小説。

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発行元:藤原書店

 

今回の散歩道

横井小楠記念館→小楠公園→横井小楠と維新群像→熊本城

<所要時間:約3時間>

横井小楠記念館

内坪井(現在の熊本市坪井)に生まれ、安政2(1855)年に沼山津に移り住んだ横井小楠は、家塾「四時軒」を開き、多くの門弟を養成しました。坂本龍馬や井上毅など多くの著名人が「四時軒」を訪れています。隣に建てられた横井小楠記念館には小楠に関する資料のほか、勝海舟、吉田松陰、西郷隆盛など小楠にゆかりのある人々の書が展示されています。

小楠公園

明治2年(1869年)、小楠は京都で暗殺されます。このとき刺客が小楠の首を取り、持ち帰ろうとしたのを警護の者が取り返し、門人の岩倉俊貞が遺髪を熊本に持ち帰ったと言われています。遺髪は現在の小楠公園に埋葬され、毎年2月15日には墓前祭が行われています。小楠の墓は京都の南禅寺天授庵に手厚く葬られています。

横井小楠と維新群像

熊本城を囲むように流れる坪井川沿いに位置する高橋公園の中に、小楠、坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久の5人の銅像が維新の群像として立てられています。これは小楠と幕末の志士たちの功績を讃えたものです。

熊本城

54万石の城下町・熊本のシンボルであり、日本三名城のひとつである熊本城は1607年、茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正が当時の最先端の技術を投じて築城したものです。以後、400年にわたって中世から近代の日本の様々な歴史の重要な舞台となっていきます。城郭の周囲は5.3km、面積98万m2、大小の天守をもつ複合天守閣、長さ約240mもの長塀をはじめ、櫓49、櫓門29を数え、美しいカーブを描く武者返しの石垣に立つ黒く雄々しい城は、堂々たる偉容を誇っています。

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