文学散歩

第13回 『鬼平犯科帳』ゆかりの地 東京都・墨田区

『鬼平犯科帳』の舞台となった江戸の風情を残す下町を訪ねて 散歩した人:カゴメ株式会社 志村桂一さん

鬼平が青春時代を過ごした江戸の下町鬼平が青春時代を過ごした江戸の下町

 天明の大飢饉により米価や諸物価が高騰し、治安が乱れた江戸時代後期。切り捨て御免の火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためがた)に就き、悪党から“鬼の平蔵”と恐れられた長谷川平蔵を描いた傑作時代小説『鬼平犯科帳』。今回は、鬼平が活躍した東京の下町を、カゴメ株式会社の志村桂一さんと歩きました。志村さんは、経営管理本部情報システム部に所属し、業務システムの企画開発に携わっています。「子どものころ祖父と一緒にテレビで『鬼平犯科帳』を見ていました。すぐ人を斬る鬼平が当時はきらいでしたが、大人になって小説を読んでから、悪党には厳しいけれど人情に厚い鬼平の魅力が分かりました」と志村さん。作中では、江戸の各所が舞台になりますが、今回は鬼平の家があり、青春時代を過ごした墨田区を中心に歩きました。「自宅が近いので町並みは見慣れていますが、小説をテーマに歩くのは初めてなので楽しみです」と文学散歩への期待を話してくれました。

写真

古地図を手に、江戸の町並みを思い描きながら歩く

 最初に向かったのは、鳥料理の「かど家」です。文久二年(1862年)に創業した同店は、作中に登場する軍鶏なべ屋「五鉄」のモデルになったことで知られています。八丁味噌仕立てのスープで、新鮮な鶏肉やモツを煮込んだ味噌鍋は、まさに絶品。「濃厚なスープとモツがご飯に合いますね。鬼平もこれを食べて精をつけたんでしょうね」と、おいしそうにご飯をほおばる志村さん。ちなみに同店一階には、池波正太郎が好んで利用した掘りごたつの和室が今も残っています。たっぷり精をつけてお店を出た後、「五鉄」があったとされる二之橋を目指しました。現地には、ぶらり両国街かど展実行委員会が設置した「五鉄」と「二之橋」の立て札が立っています。「古地図と比較しながら歩いてみると、路地の多くが堀だったことが分かりました。人や物を運ぶ水路は、当時の生活に欠かせなかったんでしょう。今では水路が道路になっていますが、その役割は変わっていないんですね。そう考えると、江戸から現代まで時間は続いているんだなぁと実感しました」

 二之橋を越え、清澄通りを渡り弥勒寺へ。真言宗豊山派で江戸市中十二薬師の第六番、川上薬師として有名な寺院は、作品に何度も登場します。こちらのご住職は、なんと五十七代目。想像を超える歴史の深さに、志村さんも感嘆の声を上げていました。当時、この周辺には五間掘と六間掘があり、その名残は今も五間掘公園として残っています。

写真

濃厚でクリーミーなスープがおいしい「かど家」の鳥鍋。写真中央は池波正太郎が好んで利用した和室

写真

密偵との会合場所として頻繁に登場する軍鶏なべ屋「五鉄」と「二之橋」を紹介する立て看板

作品に登場する真言宗豊山派の寺院、弥勒寺

 

『鬼平犯科帳』名シーンの舞台を訪れて

 「森下」駅から電車を乗り継ぎ「錦糸町」駅へ。京葉道路に沿って歩き、大横川親水公園を通り、鬼平邸があったとされる地へ向かいました。作中には『横川河岸・入江町の鐘楼の前が、むかしの長谷川邸』と書かれています。当時の面影はありませんが、鐘楼があったことを示す記念碑が設置されていました。その先へ進むと、法恩寺橋が見えてきます。鬼平が剣術を習った高杉銀平道場が、この橋の袂にあったとされています。同じ道場に通う岸井左馬之助と鬼平は、道場主の孫娘おふさに恋心を抱き、「おふささんに手を出したら斬る」とお互いに誓い合った仲です。後に、おふさは豪商・近江屋へ嫁ぐわけですが、船で嫁入りする際、法恩寺橋のたもとから青ざめた顔で「いいさ、おふささんがしあわせになるのなら・・・」とつぶやく二人の姿が印象的に描かれています。しかし、物語は暗転。おふさは盗賊となって二人の前に現れます。このほろ苦く、切ない想いを描いた『本所・桜屋敷(第一巻)』は、数ある作品の中でも名作として鬼平ファンに愛されています。

 続いて、長禄2年(1458年)に江戸城を築いた太田道灌が建立し、豊臣秀吉や徳川家康も参詣したという法恩寺を訪れました。作中に何度も登場するゆかりの地で、境内には「尻毛の長右衛門(第十四巻)」で、法恩寺が登場するシーンを抜粋した立て札が立てられています。「今も残る参道に立ち、脇に並ぶ寺院や家々を眺めていると、江戸の街並みが想像できる気がします。境内には緑が茂り、花が咲き、心地よい空間があり、当時から癒やしの地だったのでしょうね」

 志村さんに鬼平ゆかりの地を歩いた感想を伺いました。「弥勒寺や法恩寺の住職さん、かど屋のおかみさんたちとお話しし、みなさんに共通する気質のようなものを感じました。きっと、時代を越えて伝わってきたものなのでしょうね。今回の散歩を通じて、時代は変わっても、人の心や町並みに変わらないものがたくさんあることに気付き、とても楽しかったです」

写真

史実上の鬼平邸(後の遠山金四郎邸)があった地に立つ記念碑(写真左)と鐘楼があったことを示す記念碑(写真右)

写真

作品の舞台となった法恩寺と法恩寺橋

 

(2012年6月25日掲載)

作品紹介

『鬼平犯科帳』 池波正太郎/著

切り捨て御免の権限を持つ火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵。その剣術と剛腕な取り締まりで、悪党からは“鬼の平蔵”と恐れられている。しかし、その素顔は義理人情に厚く人間味にあふれる熱血漢。勧善懲悪ではなく、人の世の機微に触れ、江戸の暮らしを生き生きと描いた傑作時代小説。

写真

『鬼平犯科帳』 文春文庫刊

 

今回の散歩道

かど屋→弥勒寺→鬼平旧居跡→法恩寺橋→法恩寺

<所要時間:約3時間>

かど屋

創業文久二年(1862年)の老舗鳥料理店。作品にたびたび登場する軍鶏鍋家「五鉄」のモデルになったといわれる。

弥勒寺

墨田区立川にある真言宗豊山派の寺院。万徳山徳宝院と号し、かつて京都醍醐寺三宝院末であった。
慶長15年(1610年)、小石川鷹匠町に創建され、何度か移転の後、元禄2年(1689年)、現在地に移った。

鬼平旧居跡

長谷川平蔵は明和元年(1764年)、父親の屋敷替えによって築地からこの地に移り住んだとされ、当時の敷地面積は1,238坪(4,085m2)におよんだと言われる。都営地下鉄新宿線菊川駅の入口に史跡説明版が、旧居跡の東端にあたる歯科医院前には記念碑が立っている。

法恩寺橋

墨田区と江東区を南北に流れる大横川にかかる橋。橋の袂に鬼平が通った高杉銀平道場があったとされる。現在は「大横川親水公園」として整備され、東京スカイツリーも望める区民の憩いの場となっている。

法恩寺

太田道灌が江戸城築城に当たり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立、孫の資高の代に法恩寺と改称した。秀吉、家康共に小憩され、朱印地も与えられた。江戸開府以来、数度の移転を経て元禄元年(1688年)に現在地に寺地を定めた。

■ここでチェック

法恩寺

 

このページの先頭へ