文学散歩

第4回

『琉球の風』 ゆかりの地
沖縄・那覇

散歩した人
ホテル日航那覇グランドキャッスル
宮里 朋子さん

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誇り高き龍が棲む朱塗りの城

 艶やかな朱塗りの正殿を護るように真っ直ぐ向き合って立つ一対の龍柱。今にも唸りを上げんばかりの迫力ですが、その眼差しは湖水のような穏やかさに満ちています。琉球王国において龍は国王の象徴とされていました。首里城のいたる所に棲みつく龍たちは、そこを訪れる人々に、誇り高き王国の魂は今も失われてはいないことを教えてくれます。

 「本土のお城には城郭が築かれますが、首里城には低い城壁しかありません。なぜなら、首里城は守るための城ではなく、歓迎するための城だからです。争いを好まず、人を信じ、“おもてなし”を大切にする島人の心は、琉球の時代も今も変わっていないのですね」と話してくれたのは、今回『琉球の風』ゆかりの地を一緒に歩いてくれた宮里朋子さんです。宮里さんは、首里城近くにあるホテル日航那覇グランドキャッスルの総務部長として、主に対外交渉などの業務を担当しています。沖縄本島で生まれ育った宮里さんですが、『琉球の風』というテーマのもとで、あらためて琉球王国の歴史を遡るのは今回がはじめてとのことでした。

 

華やかなりし琉球の世をしのぶ

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二千円札にも描かれた「守礼門」

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門の手前から清涼な水が今も湧き続ける「瑞泉門」

 最初に訪れたのは、首里城を代表する門として知られる守礼門です。「守礼」は「礼節を守る」という意味で、門の上部に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。これは「琉球は礼節を重んずる国である」という意味を表わしたものです。作品中では、中国からの冊封使(さっぽうし)滞在中に限って普段かかっている「首里」の額を「守礼之邦」に変えたと書かれています。そもそも琉球は、中国王朝の君臣関係の秩序下にあり、王位につくには中国皇帝の詔勅を受けなくてはならなりませんでした。この詔勅を中国から携えてくるのが冊封使です。作品中では、第七代国王尚寧(しょうねい)が冊封使を招き入れ、正式な王位につく挿話から物語がはじまります。

 守礼門を抜けて石段敷きの坂道を登り、歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)を抜けると、下之御庭(しちゃぬうなー)という広場に出ます。さらに、その先にある木造の真っ赤な広福門(こうふくもん)を抜けると、目の前に敷瓦で色分けされた広大な御庭(うなー)が広がり、正面に首里城正殿、右手に南殿、左手に北殿が現れます。琉球では、この御庭でさまざまな儀式が行われました。特に、冊封使を迎えた際には、王位を任命する「冊封の儀」にはじまり、奏楽のもと舞い踊る「第二の宴」が盛大に行われ、冊封使帰国の際には北殿で「餞別の宴」「拝辞の宴」、「望舟の宴」がひらかれます。この場所で舞い踊られたのが、今に伝わる琉球舞踊のルーツです。

 「中国や日本、東南アジアの国々からさまざまな文化が伝わる中、それらを融合しつつ独自の琉球文化を育んでいったのですね。小さな島国ながら大国に併呑されることなく、独立国家として自らの文化を築き上げた先人を誇りに思います」。宮里さんは、琉球王国の歴史に触れることで自身の沖縄への愛情を再確認していました。

 

ロマンに満ちた琉球の歴史遺産

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琉球の菩提寺だった円覚寺の総門

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竜舟を浮かべて冊封使を歓待したという人工池「龍潭」

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世界遺産となっている陵墓「玉陵」

 首里城を後にして向ったのは、首里城公園内にある円覚寺跡です。円覚寺は、沖縄における臨済宗(りんざいしゅう)の総本山で、第二尚氏王統歴代国王の菩提寺です。作品中では、円覚寺の菊陰禅師(きくいんぜんじ)が、薩摩との和睦交渉にあたった様子が描かれています。円覚寺は琉球建築の粋を集めた建築物でしたが、沖縄戦で破壊されてしまいました。現在は復元作業が行われており、総門と放生池、国指定重要文化財である放生橋を観覧することができます。

 続いて訪れたのは、同じく首里城公園内にある龍潭(りゅうたん)です。ここは1427年に中国の造園技術を取り入れてつくられた人工池です。太平の世のシンボルとして造営され当時から名勝として知られていました。作品中では、冊封使を歓待するため、船首に龍の飾りをつけた華麗な舟の上で歌を唄ったり、竜舟のレースを行った様子が描かれています。宮里さんは「舟を浮かべながらの宴なんてロマンがあって素敵ですね」と感想を話してくれました。

 次に、琉球の王族を安置している玉陵(たまうどぅん)へ。ここは世界遺産として登録されている巨大な石造の陵墓です。第二尚氏王統の王族を祭っている陵墓ですが、『琉球の風』の主要登場人物である尚寧王は、自身が傍系の王であるから玉陵に葬られたくないと言い、浦添極楽陵(浦添ようどれ)に葬られたそうです。

 

開国の遥か以前から共存共栄の外交を実践していたグローバルな琉球国

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南国と中国、和の文化が融合した美しい庭園「識名園」

 最後に訪れたのは、首里城から2kmほど離れた識名園です。世界遺産に指定されている識名園は、琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や冊封使をはじめとする外国使臣の接待などに利用されました。春には梅林が咲きその香りが漂い、夏には藤、秋には桔梗が美しい花を咲かせ、常夏の沖縄にありながら四季の移ろいを楽しめる美しい庭園です。「アプローチに多くの木々を配してあえて木陰をつくり、池に着くと同時に陽の光が差し込む心憎い演出を凝らすなど、琉球らしい遊び心が感じられる美しい庭園ですね」と宮里さん。

 『琉球の風』ゆかりの地を歩いた感想を宮里さんに伺いました。

 「琉球王国は、小さな国でありながら多くの国々と交易を行うことで国を潤し、国際的な存在感を示したのですね。今回、あらためて琉球の歴史を振り返ることで、グローバルな視点で物事を考え、独自の文化を築き上げた先人の素晴らしさを再認識することができました」。

 

(2010年12月28日掲載)

作品紹介

『琉球の風』 講談社 刊

 時は17世紀初頭、第七代国王尚寧の王位を詔勅する冊封使を迎え、お祭りムードに沸きかえる琉球から物語ははじまります。主人公は若き兄弟、啓泰(けいたい)と啓山(けいざん)。彼らは、琉球の歴史を塗り変えた薩摩藩の侵略という時代の荒波に翻弄されながら、琉球人として政治や芸事の道で頭角を現していきます。華やかな琉球文化の裏側で葛藤を繰り返しながらも、決して誇りを失うことのない琉球人の姿を描いた歴史小説。1993年1月から6月にかけて第31作目のNHK大河ドラマとして放映されました。

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『琉球の風』 講談社 刊

 

今回の散歩道

首里城→円覚寺跡→龍潭→玉陵→識名園

<所要時間:約3時間、タクシー・徒歩での移動時間含む>

首里城

14世紀末に創建された首里城は沖縄の歴史・文化を象徴する城である。政治の場としてだけでなく、グスクと呼ばれた信仰上の聖地でもあった。城は内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。1879年に国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校などに使われた。1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、大学移転後に復元事業が推進され現在に及んでいる。2000年には世界遺産に登録された。

円覚寺跡

かつて首里城周辺に多数あった仏教の寺院や御殿の中でも代表的な寺院である。創建は1494年、臨済宗の総本山で第二尚氏王統歴代国王の菩提寺であった。禅宗の「七堂伽藍」の形式で建造され、境内には多くの建物が配置されていた。仏殿は琉球建築の粋を集めた建築物であり、1933年に総門、山門、仏殿等計9件が旧国宝に指定されたが、すべて沖縄戦で破壊。1968年より復元が進められ、現在総門と石垣、右脇門、放生池が復元されている。池にかかる放生橋は往時のもので、国指定重要文化財である。

龍潭

1427年に造られた竜の頭のようなカタチの人工池。碑文には「安国山に龍潭を掘り、香りのする木や花を植え、万人が利用できるようにして太平の世のシンボルとして永遠の記念とした」などと記され、庶民がくつろいでいた名勝であったことがうかがえる。かつて冊封使を招きハーリー船競漕で歓待した。

玉陵

1501年に築かれた県内最大の陵墓。尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となった。
堅牢な石造りの墓は洗骨前の遺骸を安置する中室、国王、王妃遺骨を安置する東室、それ以外の王族の遺骨を納める西室の三つの墓室で構成されている。墓域は2.442m²。沖縄戦で大きな被害を受けたが、1974年から修復工事が行われ、現在は往時の姿を取り戻している。

識名園

世界遺産、特別名勝である識名園は琉球王家最大の別邸。1799年につくられ国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用された。池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園」である。「心」の字をくずした池を中心に、池に浮かぶ島には中国風あずまやの六角堂や大小のアーチが配され、池の周囲には琉球石灰岩を積みまわすなど、随所に琉球独特の工夫が見られる。指定面積は41,997平方メートル。かつて、春は梅林、夏には中島や泉のほとりの藤、秋には池のほとりの桔梗が美しい花を咲かせるなど、常夏の沖縄で四季の移ろいが楽しめる配慮がなされていた。

■ここでチェック

首里城/円覚寺跡/龍潭 玉陵/識名園

 

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