文学散歩

第3回

『坂の上の雲』ゆかりの地
愛媛・松山

散歩した人
株式会社インフォコム西日本
乾 梨紗さん

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青雲の志を抱き、三人の若者は三津の海から旅立った

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三人の若者が旅立って行った三津の港

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仲間との別れを詠った子規の句碑

 改札もない小さな駅に降り立ち、時代に取り残されたような家屋が並ぶ小路を進むとその先には、波音さえ聞こえないほど穏やかな瀬戸の海が広がっています。ここ三津浜は、江戸時代から伊予松山の玄関口として栄えた歴史ある港。司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』の主人公秋山好古と真之、そして正岡子規は、青雲の志を抱きこの三津浜から激動の時代に向い櫓をこぎ出したのです。

 「穏やかな内海に立つと、旅立つ彼らの胸には希望だけではなく、故郷を離れる寂しさも詰まっていたのではないかと想像してしまいますね」と話すのは、今回『坂の上の雲』ゆかりの地を一緒に歩いてくれた株式会社インフォコム西日本の乾梨紗さん。インフォコム西日本は、情報システムの企画・開発・コンサルテーションなどのIT ソリューションを提供するシステムインテグレーターです。入社5年目の乾さんは、現在TG システム&サポート部 技術運用グループ 松山運用セクションに属し、グループ企業へのシステムサポートや導入トレーニングなどを担当しています。

 三津浜には、正岡子規が松風会の仲間との別れ際に詠んだ「十一人一人になりて秋の暮」が刻まれた句碑が建てられていました。句碑のある港町から三津駅へ向かう道すがら、好古の書「表忠碑」の文字が刻まれた碑が建つ厳島神社を訪れました。この碑には、地元三津から日露戦争へ送られた従軍者の名前が刻まれています。秋山兄弟らの活躍により日露戦争は勝利したものの、その裏で多くの尊い生命が失われた事実は、碑に刻まれた文字のように風化することはありません。

 

秋山兄弟を育んだ松山の街を歩く

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壁一面を覆う「坂の上の雲」新聞連載の紙面

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貴重な資料が展示されている秋山兄弟生家跡

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お囲い池跡地を示す案内板

 伊予鉄高浜線に乗り松山市へ到着、路面電車に乗り換えて大街道へ。松山城の天守をいただく城山(勝山)南麓にある坂の上の雲ミュージアムを訪れました。安藤忠雄氏が設計したガラス張りのモダンな建物に、『坂の上の雲』の世界とその時代を紹介する資料がわかりやすく展示されています。圧巻は、巨大な壁一面に貼られた新聞連載の展示。4年にわたり連載された1296回分の小説が壁を覆い尽くし、物語の壮大さを肌で感じられます。「これを機に、この長大な作品をじっくり味わってみたいと思いました」と乾さん。

 次に向かったのは、秋山兄弟生誕地。好古16歳、真之15歳まで暮らした秋山兄弟の生家は、城山の東に位置する歩行町(かちまち)にありました。しかし、第二次世界大戦の空襲を受けて焼失。現在、同地には復元された生家が建ち、兄弟に関する貴重な資料が展示されています。たくさんの資料や写真に触れ、彼らの人となりを知った乾さんは「武力ではなく戦略で日露戦争の勝利に貢献されたお二人は、兄弟そろってとても賢い方たちだったのですね」と感想を話してくれました。

 秋山兄弟生誕地から歩いて約20分、着いた場所はお囲い池跡地。お囲い池とは旧藩時代のプールのこと。作品では、褌を締めずに泳いでいた軍人を、真之が手ぬぐい一本で追い払う場面が登場します。真之は警察に訴えられますが、父八十九翁の計らいで談判になります。この挿話には、真之の豪傑ぶりや父親の優しい人柄が描かれています。現在、この地には松山市青少年センターが建っており、当時の面影はありませんが、お囲い池跡を示す案内板が残っています。

 

文学に命を捧げた子規の生涯に思いを馳せて

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松山市内を走る路面電車

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直筆原稿などが展示されている松山市立子規記念博物館

 ふたたび路面電車に乗り道後温泉へ。日本最古の名湯として知られる道後温泉は、聖徳太子、額田王、小林一茶、夏目漱石、明治天皇や昭和天皇も訪れた由緒ある地です。温泉のシンボルとなっている道後温泉本館は、映画「千と千尋の神隠し」に出てきた油屋のモデルになったともいわれています。松山市立子規記念博物館はそんな道後温泉の隣に建っています。博物館には、子規の直筆原稿、書簡、書画、愛用品など豊富な資料と松山の歴史資料が展示されています。慶応3年に生まれ、真之や漱石と青春時代を過ごし、喀血しながらも文学の革新に挑み、35歳の若さで世を去った子規。その生涯を辿る展示を追ううちに乾さんの表情が少しずつ変わっていきました。「結核を病む自分を、血を吐くまで啼くホトトギスになぞらえ、絶命の数時間前まで句を詠んだ子規を思い、展示を見ているだけで切なくなってしまいました」

 『坂の上の雲』ゆかりの地を歩いた感想を乾さんに伺いました。「歴史に名を残す3人の足跡を追い、あらためて小説への興味がわいてきました。松山市周辺には、他にもたくさんゆかりの地があるので、小説を読んでからじっくり訪ねてみようと思います」

 

(2010年11月25日掲載)

作品紹介

『坂の上の雲』 司馬遼太郎著

 近代国家への一歩を踏み出した日本は、国のアイデンティティーを模索しながら日清戦争、日露戦争へ突き進んでいく。エネルギーに満ちたこの時代のうねりを、同郷の秋山好古、真之、正岡子規という傑出した3人を軸に描き出す司馬遼太郎の代表作。「日本騎兵の父」と呼ばれ、大胆で実行力ある好古、本質を見極める感性に秀で、海軍作戦参謀としてバルチック艦隊を迎撃した真之、死と向き合いながら俳句・短歌の革新を成し遂げた正岡子規。この物語は、主人公を含む同時代の人々が、坂の上の青空に輝く一朶(いちだ)の白い雲だけを見つめ一途に坂をのぼってゆく姿を描いた歴史小説です。

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『坂の上の雲』 文春文庫 刊

 

今回の散歩道

三津浜→厳島神社→三津駅→大街道駅→坂の上の雲ミュージアム→秋山兄弟生誕地→お囲い池跡→松山市立子規記念博物館

<所要時間:約4時間、電車・徒歩での移動時間含む>

三津浜

三津浜は松山市の西部にあり、昔から漁業と商業で栄えた港町である。江戸時代から伊予松山の玄関口は三津浜であり、秋山兄弟、正岡子規もここから旅立った。

厳島神社

創設は大和朝廷が栄えた600年代。江戸時代には歴代の松山藩主が参勤交代の都度、藩内平和と道中の無事を祈願した。現在は除災招福の神として、松山を代表する神社である。境内には好古の書「表忠碑」の文字が刻まれた碑が建つ。

坂の上の雲ミュージアム

平成18年11月30日に竣工。周囲の環境と調和した地下1階、地上4階建てのミュージアムは建築家・安藤忠雄氏の設計による。『坂の上の雲』まちづくりの中核施設として、ゆかりの資料がわかりやすく展示されている。

秋山兄弟生誕地

好古16歳、真之15歳まで暮らした生家は、藁屋根、木造平屋建ての質素なつくりで、典型的な下級武士の住まいであった。第二次世界大戦で消失し、現在の建物は、子孫への聞き取りや、当時の写真を検証して復元された。

お囲い池跡

石手川の伏流水を利用した灌漑池。『坂の上の雲』のなかでは、秋山真之が泳ぎにいく場面で登場する。藩政時代には水練場であり、明治30年以降は松山高等小学校の水泳場として利用された。現在は埋め立てられ青少年センターとなっている。

松山市立子規記念博物館

正岡子規の世界をとおして、松山や文学について親しみ、理解を深めてもらうことを目的に開設された文学系の博物館。子規の生い立ちや松山の歴史的背景を学ぶことができ、近代俳句の貴重な資料が収蔵されている。

■ここでチェック

三津浜 厳島神社 坂の上の雲ミュージアム 秋山兄弟生誕地
松山市立子規記念博物館

 

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