あの日の風景

第12回 御茶ノ水・万世橋旧駅 (最終回) 久保田淳(国文学者)

写真

中央線の神田~御茶ノ水間に、明治45(1912)年に開業した「万世橋駅」。
昭和18年に休止になったが、現在は、駅の遺構を再生した施設になっておりカフェなども誕生している。
(写真提供:千代田区広報広聴課)

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 カルチェ・ラタンといえば、学生が多くたむろするパリのセーヌ川左岸の一地区だが、東京でそれに匹敵するのは御茶ノ水界隈、駿河台から神保町にかけてであろう。セーヌ川に相当するのは、それより遥かに細い流れだが、本郷台地と駿河台を切り裂いて流れる神田川である。

 この川の右岸にへばりつくように作られた、JR中央・総武線の御茶ノ水駅のホームから階段を上って、川に架けられたお茶の水橋から東を望むと、水面に影を映して眼鏡の片方のような聖橋、ほとんど水面すれすれに架けられた東京メトロ丸ノ内線の平たい鉄橋、彼方には秋葉原へ向かう総武線が川をまたぐアーチ形の鉄橋と、三つの橋が見渡される。吉野の山人であった歌よみ前登志夫が

地下鉄の赤き電車は露出して東京の眠りしたしかりけり

(『子午線の繭』)

と歌ったのは、この風景であるという。この界隈は都市景観としても捨てがたいものがある。

 御茶ノ水駅を出た上り中央線は秋葉原へ向かう総武線の線路をくぐり抜け、右に大きくカーブしつつ高架となって、神田へ向かう。その途中、上下の線路の間に、春ともなれば草が茂り、茅花がなびく、細長い空地がある。明治四十五年(一九一二)四月営業を開始し、昭和十八年(一九四三)十一月休止した万世橋駅のホームの跡である。

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