あの日の風景

第10回 冬の福岡・太宰府 久保田淳(国文学者)

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学問の神様「菅原道真公」が祀られていることで有名な太宰府天満宮。
かつて、「遠の朝廷」と称され、「大宰府政庁」が置かれていた大宰府の地は、
九州の政治・外交を司る役所として、大きな役割を果たしていた。

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 年の瀬もおしつまってきた十二月の半ば、一週間余り福岡に滞在したことがある。九州大学で冬休みに入る直前に集中講義を行なうためだった。四十年前のことである。

 福岡は初めてではなかった。学会で二度訪れたことがあった。最初は志賀島の国民宿舎に泊まった。二度目は友人と共に中洲に宿を取った。今度大学で世話してくれた宿舎は医学部キャンパスの一角にある、外人宿舎と称するものだった。寝泊まりするだけの建物で、食事は付いていない。食事は病院内の食堂か街へ出て摂るのである。久しぶりに独り身になったような気分で、それはそれでおもしろかった。

 医学部キャンパスは博多駅の北、出講する文学部キャンパスはさらにその先北東に位置する。その頃は福岡市中に西鉄福岡市内線という路面電車が走りまわっていた。この一週間はしばしばこの路面電車で移動した。東京では早稲田・三ノ輪橋間の王子線以外は廃止されてしまっていたので、なつかしいような感じもあって、電車で博多駅前まで出てお茶を飲んだり、繁華街の天神へ行ったりした。距離にかかわらず、一回の乗車券は三十五円だったと思う。

 別に風情のあるわけでもない九州大学病院は、じつは近代短歌史の上では大事な歌人、長塚節が喉頭結核を病み、数え年三十七歳の若さでなくなった場所である。大正四年(一九一五)二月八日のことであった。節晩年の連作「鍼の如く」其一から其五までは闘病生活の中で詠まれたものだが、そこでは九大病院の風景も歌われている。

此のごろは浅蜊浅蜊と呼ぶ声もすずしく朝の
嗽ひせりけり
山茶花は
さけばすなはちこぼれつつ幾ばく久に
あらむとすらむ

(長塚節歌集)

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