あの日の風景

第10回 冬の福岡・太宰府 久保田淳(国文学者)

2/3

 けれども四十年前の私は、節の小説『土』には親しんでいたが、その歌集を深く読んではいなかった。だから病院の中を歩いてみることもせずに、授業をおえて宿舎に戻ると、福岡の女子大に赴任していた友人のS君やT君が誘い出してくれるままに、街に出て飲み屋をはしごしたりしていた。いわゆる割烹店でない、そういった手軽な店でも河豚刺しが出た。福岡では「ふぐ」ではなく、「ふく」と発音することをこの時はじめて知った。辞書によれば、「ふく」は古語であるという。

 集中講義に来いと言って下さったのは、大先輩のI教授であった。香椎にお住まいで、助教授のH君(私と旧知の間柄)や女子大のS君、T君ともども、私を連れて行かれ、御馳走して下さった。いずれも同窓で、時代や対象は違うものの、日本文学の研究に関わっている仲間という気安さから、歓談に夜を更かし、宿舎の門限を超えてしまったので、私はそのまま泊めて頂いた。

 香椎の近く、香椎宮、そして香椎潟は古歌に歌われた歌枕であり、この海岸は近くは松本清張の推理小説『点と線』の事件現場にも選ばれている。

鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。
前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島の山が海に浮び、その左の方には残の島がかすむ眺望のきれいなところである。

(『点と線』二、情死体)

 しかし、この時は『点と線』の舞台を確かめる時間的余裕はなかった。タクシーで大学まで送って頂いて、教室に入った。

 五日間の講義がおわった翌日、助教授のN氏と大学院生のW嬢が太宰府を案内して下さるというので、いつもの路面電車で天神へ出て、西鉄福岡から待ち合わせの場所の二日市へ向かう。雪が舞っていた。玄界灘を越えてくる冬の風のつめたさが身にしみた。

 
2/3
  • ←
  • 1
  • 2
  • 3
  • →
 

このページの先頭へ