あの日の風景

第8回 筑紫へ 久保田淳(国文学者)

写真

1864年に建てられた大浦天主堂は、公開が始まった後に、
浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げたことでも知られている。
原爆の被害を受けるも、1953年再び国宝に指定されている。
また、長崎は外国への玄関口として古くから異文化に触れ、発展してきた街。
多様な文化が折り重なるこの地では、多くの文学作品や舞台、映画などが生まれている。
(写真提供:長崎県観光連盟)

1/3

 半世紀ほど前のJRならぬ国鉄には、長距離を走る普通列車がかなりあったように思う。卒業論文を書くための調査旅行で関西を旅した時も、特急などには乗らずによくそんな列車を利用したものだが、助手になった後も、九州へ行くのに大阪から博多まで普通列車に乗ったことがある。東海道新幹線が開通した翌年の昭和四十年の夏だった。多分大阪までは新幹線で行ったのだろう。前の年に結婚した妻と一緒だった。

 夕方近く、大阪から鳥栖行の電車に乗った。薄給の身の上だから二人分の特急券の節約をしたことも確かだが、それよりも知らない駅を一つ一つ停まってゆく電車に乗ってみたいという気持ちが強かったのである。西明石―ここまでは新婚旅行で知っていた―の先は未知の路線なので、和気などという駅に停まると、「あ、和気清麻呂ゆかりの地だな」などと、一人で嬉しがっていた。

1/3
  • ←
  • 1
  • 2
  • 3
  • →
 

このページの先頭へ