あの日の風景

第8回 筑紫へ 久保田淳(国文学者)

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書籍表紙

芥川龍之介『奉教人の死』
(『芥川龍之介全集』第三巻、岩波書店、平成八年刊)

 学校帰りの生徒や家路に急ぐ勤め人などを下ろした電車に大阪からずっと乗っている客は、おそらく私達だけだったろう。固い普通の席での眠りは浅かった。夜中になると幾つかの駅は通過したらしかった。夜がしらしら明ける。九州に入ると朝の通勤・通学電車となる。昨日の夕方聞いたのとは違った日本語が耳に飛び込んでくる。

 博多で降りて、ホームの洗面所で顔を洗った。そして長崎行の列車に乗り継いだ。

 長崎には昭和二十年八月九日、原爆が投下されたという悲惨な事実の底に、近世初頭の切支丹弾圧の過去が埋もれている。それは長与善郎の『青銅の基督』や後に遠藤周作の『沈黙』などの歴史小説を生んだが、この時の私を捉えていた作品は弾圧とは直接関わらない、芥川龍之介の『奉教人の死』であった。少年に身をやつして長崎の教会で神に仕えていた若く美しい女「ろおれんぞ」の殉教を語る物語である。彼女は傘張りの娘に思われ、それを受け入れなかったために娘に讒言されて、教会を追われる。しかし娘が隣家の男と密通して産んだ女の子を大火の中から救い出し、自らは焼けただれて死ぬ。

見られい。傘張の翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、火の光を一身に浴びて、声もなく「さんた・るちや」の門に横(よこた)はつた、いみじくも美しい少年の胸には、焦(こ)げ破れた衣のひまから、清らかな二つの乳房が、玉のやうに露(あらは)れて居るではないか。(中略)おう、「ろうれんぞ」は女ぢや。「ろうれんぞ」は女ぢや。

 西暦一五九六年刊行の自身所蔵の切支丹文献を紹介するという偽りの後記を付した、トリッキーな手法のこの短篇小説は、大正七年に発表された。芥川が長崎へ旅したのはその翌年の五月である。

 私達はその長崎で大浦天主堂や中国風の禅寺の崇福寺に詣で、グラバー邸を訪れ、石畳の坂を上り下りして、街中に架かる石造りの橋を眺めた。そこここに夾竹桃の花が咲いていた。

 
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