あの日の風景

第7回 ミラノからローマへ 久保田淳(国文学者)

写真

世界遺産の宝庫、イタリア。それぞれの街に、それぞれの表情や雰囲気がある。
上写真、スペイン広場は、現在も世界中から訪れる多くの観光客でにぎわっている。
(写真:©イタリア政府観光局 Fototeca ENIT)

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 羅馬に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殻持てるトリイトンの神の像に造り做したる、美しき噴井ある、大なる広こうぢの名なり。貝殻よりは水湧き出でゝその高さ数尺に及べり

とは、アンデルセン作で森鴎外の名訳をもって知られる『即興詩人』の冒頭である。

書籍表紙

『即興詩人』
アンデルセン作・森 鴎外訳
(岩波文庫)

 鴎外の作品を読み始めたのは中学二、三年の頃だった。その頃『即興詩人』にも確かに触れはしたのだが、読み通せなかったように思う。その頃のイタリアは日本やドイツと同じく第二次世界大戦の敗戦国で、その現実を鋭く捉えた「戦火のかなた」というタイトルの映画が日本でも上映されていた。その画面に映し出されるイタリア各地と『即興詩人』に描かれる「羅馬」や「ヱネチア」とは、余りにも落差があった。萩原朔太郎は、「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し」(旅上)と歌っているが、昭和二十年代初めの中学生にとっては、フランスのみならず、ドイツもイタリアも、余りにも遠い国々であった。これらの国々を旅するようになったのはそれから三十年後のことである。

 昭和五十四年四月から丸一年、在外研究で当時のドイツ連邦共和国(西ドイツ)のルール地方の大学に出張を命じられた。妻と小学生の娘二人の家族ぐるみで、ボーフムという地方都市に住んだのである。デュッセルドルフから急行列車で四十分ほどのこの街の郊外に、外人宿舎があった。日本の古典文学ばかりを学んできた私にとっては、外国の文学・文化を知ることが勉強だったから、この一年間は北欧から南欧まで、ヨーロッパ各国を訪れた。ほとんどがユーレイル・パスを使っての鉄道旅行だった。

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