あの日の風景

第7回 ミラノからローマへ 久保田淳(国文学者)

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写真

ミラノ発ローマ・テルミニ行きの列車。「疾走する亀」が描かれた機関車は何とも愛らしい。現在は高速鉄道で同区間を約3時間で結ぶが、車窓を味わいながらのゆったりとした鉄道の旅もまた味わいがある。イタリアのみならずヨーロッパを鉄道で巡る度は今も人気だ。
(写真は筆者・久保田淳氏撮影)

 旅に出て四日目の朝、八時二五分ミラノ発ローマ・テルミニ行の列車でローマに向かう。側面に疾走するユーモラスな亀を描いた機関車に牽引され、およそ七時間の鉄道の旅である。沿線の原野には明るい光が溢れ、ひなげしが赤かった。ところどころ小高い丘の上に黄褐色の建物がかたまって見える。

トリニタ寺院を後にして下りるとスペイン広場である。浅い船形になった噴水とともに名物となっている花の露店が、ここにはいつも四、五軒見出される。

(野上弥生子『欧米の旅』(上)花のローマ)

 ローマの宿はドイツで予約していた。スペイン広場もほど遠からぬ、ロンバルディア通りにあるホテルで、部屋はけっこう豪華だった。このホテルに四泊してローマ市中を見て歩き、その間一泊のバス・ツアーでソレント、カプリ島に遊んだ。

 六月末のイタリアはひどい暑さだった。アイスクリームをなめたり、カットされた西瓜を食べたりしながら、コロッセオやフォロ・ロマーノを歩いた。サンピエトロ寺院でキリスト教文化の重さに圧倒され、ボルゲーゼ美術館で大理石の彫像の繊細優美さに感嘆した。全くの東方粟散国からのお上りさんであった。

書籍表紙

野上弥生子『欧米の旅(上)』
(岩波文庫、平成十三年刊)

 昭和十三年の十一月半ばから一ヵ月余り、野上弥生子は夫豊一郎と共に、ムッソリーニの肖像が至る所に掲げられている、第二次大戦前夜のローマに滞在した。その紀行文『欧米の旅』には、ヴァチカンやボルゲーゼ美術館を訪れた時の印象がくわしく語られている。私はそのことを後に知った。既に名画の誉れ高かったオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」もまだ見ていない世間知らずだった。しかしそれだけにかえって、見るものすべてが新鮮だったのかもしれない。

 この旅を皮切りに、その後三度ローマを訪れた。ローマに入るのはいつも鉄道である。一番新しく行ったのは八年前の夏、この時『即興詩人』の冒頭に登場するバルベリーニ広場で憩うた。しかし、トレヴィの泉でいつもする、後向きになって小銭を投げるおまじないを怠ったから、もうローマを訪れる機会はないのかもしれない。

 

筆者プロフィール

久保田 淳(くぼた じゅん)

昭和8年東京生まれ。東京大学名誉教授・日本学士院会員。著作に『山家集』『藤原定家』『野あるき花ものがたり』など多数。鉄道の旅をこよなく愛し、現在も鉄道の旅を続けている。

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