あの日の風景

第7回 ミラノからローマへ 久保田淳(国文学者)

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 初めてイタリアの土を踏んだのは、その年の六月末である。家族四人でボーフム中央駅からまずDB(西ドイツ国鉄)で、スイスのバーゼルを目指す。列車はケルン・ボン・マインツと、ライン川西岸をひたすら南下する。ローレライの絶壁がそそり立ち、中世の古城が次々と現れる、人気の観光スポットだが、この旅の少し前ミュンヘンやハイデルベルクを訪れていたので、これらはおなじみの風景だった。バーデン・バーデンなど黒い森地帯を抜け、ライン川を渡ってバーゼルに着いた時は、夏の日も暮れていた。駅構内で簡単な夕食を摂り、ミラノ行の夜行列車に乗り込む。四人が一つのコンパートメントに収まることができた。

写真

ヴィットリオ・エマヌエル二世のガレリア
イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名づけられたミラノにあるアーケードの名称。ミラノドゥオーモ広場の北に位置し、ミラノスカラ広場へ通じている。高級ファッションブランド店、レストラン、カフェ、バーなどが立ち並び、観光客だけでなく、地元の人たちにとっても人気のスポットとなっている。

 夜行だからアルプス越えの景観などは見るよしもない。明け方の車窓からぼんやりとしたコモ湖は見えた。早暁ミラノ中央駅着。

 寝不足なので駅近くのホテルに飛び込んで仮眠してから街に出た。地図を片手に闇雲に歩いていると、建物の蔭から突如大聖堂の尖塔がのぞいた。一三八六年着工、ファサードはナポレオンの命によってやっと一九世紀初頭に成ったという、ホワイトマーブルの奇しき大伽藍である。正面に立って眺める。これまでに見ていたドイツのケルンの大聖堂とも、またパリのノートルダム寺院とも全く違った印象である。どっしりとした質感があるが、威圧される感じはしない。明るい階調に統一されている。

 ミラノには二泊した。ヴィットリオ・エマヌエル二世のガレリアで食事を摂り、ブレラ絵画館でラファエロなど名匠の絵を見たが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のある教会には入れなかった。この名画は修復中らしかった。イタリアの人並みにホテルへ戻って昼寝をしては、大聖堂広場に出かけた。

 
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