あの日の風景

第5回 城崎から余部へ 久保田淳(国文学者)

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余部の人たちは、毎日鉄橋を歩いて渡り、4つのトンネルを抜けて鎧駅から列車に乗っていた。写真は強い住民の呼びかけで実現した、鉄橋がそびえ立つ「餘部駅」誕生を祝っている様子。
写真提供:香美町役場 観光商工課

 翌朝は宿の内湯に入ってから朝食。午前十時発の普通列車で余部(駅の表示は「餘部」か)へ向かう。雨催いの空である。竹野を過ぎると、とぎれとぎれに日本海が見えてきた。そして香住、志賀直哉の長篇「暗夜行路」の終わり近くには、主人公の時任謙作が城崎温泉と共に香住の大乗寺(応挙寺)を訪れることが語られている。香住の次が鎧、鎧を出てトンネルを抜けると、余部の鉄橋である。

 進行方向の右側は日本海、左側は但馬山地。真下は国道一七八号線が通るV字谷である。その谷に架せられた長さ三一〇メートル余り、高さ四一メートル余りのトレッスル型鉄橋を、列車はゆっくりゆっくり渡る。渡りおえると餘部駅、降りたのは私達二人の他は、ただの一人だった。

 みぞれ交じりの雨の中、四一メートル下の地表まで、危なっかしい階段状の道を下り、まばらな家並みの中の小さな喫茶店に入った。店の前から鉄橋を仰ぎ見る。櫓状に組まれた橋脚が背後の山々を遮ってそそり立っている。

 昭和五十六年(一九八一)二月から放映され始めたテレビドラマ「夢千代日記」は、兵庫県湯村温泉と覚しき湯の里温泉の芸者置屋「はる家」の女主人で、芸者でもある夢千代、本名永井左千子を女主人公とする。ドラマの冒頭に余部の鉄橋を渡る列車、その中の夢千代の姿が写し出され、その後もさまざまな人物がこの鉄橋を渡る。このドラマも鉄道絶景としてのこの鉄橋を日本国中に知らしめたのであろう。今、それは明治四十五年(一九一二)三月の竣工以来の姿を変えようとしているのだった。

筆者プロフィール

久保田 淳(くぼた じゅん)

昭和8年東京生まれ。東京大学名誉教授・日本学士院会員。著作に『山家集』『藤原定家』『野あるき花ものがたり』など多数。鉄道の旅をこよなく愛し、現在も鉄道の旅を続けている。

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写真提供:豊岡市

1400年もの歴史がある城崎温泉。志賀直哉もこよなく気に入って、生涯に十数回訪れている。現在も、七つの外湯めぐりが楽しめる観光のスポットとなっている。

 
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