あの日の風景

第4回 手取川を渡る 久保田淳(国文学者)

写真

洪水や氾濫を繰り返してきた手取川は、歴史や文学の舞台にもなった。
中流域には美しい手取峡谷が広がっている。
(写真提供:白山市役所観光推進部)

1/3

 初めて当時の国鉄北陸本線の旅をしたのは半世紀くらい前のことである。奈良での関係学会に出席した帰り、京都へ出て、米原経由で北陸路に入った覚えがある。秋も深まった頃で、沢山赤い実をつけた柿の木を沿線のそこここで目にした。

 この線に乗ったのは、石川県のとある町に住む友人を訪れる予定があったからである。当時私は大学の研究室の助手で、友人は大学院にいた二つほど年少の男だったが、健康を損ねて帰郷していた。それで見舞いかたがた訪れようと思った。

 美川という下車駅が近くなる頃、短い秋の日は暮れていた。駅に着く直前に鉄橋を渡った。白山に発して日本海に注ぐ手取川河口に架かる鉄橋である。

 暗い川面に波頭が白くきらめいて、荒々しい感じだった。駅からタクシーで友人の家である浄土真宗のお寺へと向かった。車はさっき渡った手取川を再び渡った。お寺はそのすぐ先だった。

 友人は思ったよりは元気だった。初めて鶫と鮴を御馳走になった。一晩ぼそぼそと近況を話し合い、翌日は松任の摩耶夫人像のあるお寺に案内してくれた。その他のことは、今はほとんど覚えていない。ただ、美川駅に着く前に見た、手取川の河口に立つ白い波頭だけが網膜に残っている。この川の流域は泉鏡花の長篇小説「風流線」、「続風流線」(明治三十六年十月〜三十七年十月、国民新聞)の重要な舞台なのである。

1/3
  • ←
  • 1
  • 2
  • 3
  • →
 

このページの先頭へ