あの日の風景

第4回 手取川を渡る 久保田淳(国文学者)

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写真:書籍表紙

「鏡花全集」巻八・巻二十七(岩波書店

写真:書籍表紙

岩波文庫「芭蕉おくのほそ道」(岩波書店)

 「風流線」は鉄道敷設工事を機にさまざまな事件が起こり、大勢の人々が入り乱れ、愛憎が交錯する、水滸伝ばりの物語である。

 金沢生まれの工学士水上規矩夫は、心を通わしあった竪川美樹子が親子ほど年の違う巨山五太夫の妻となったことを恨み、因循姑息な郷里の人々を憎んで、復讐の心から、美しい故郷の自然を切り裂く鉄道線路敷設の設計技師として、工夫集団の風流組を率い、沈着かつ正確に工事を進める。慈善家として徳望高い巨山はじつは官憲と結んで貧乏人を搾取する大悪人で、風流組に入っている無頼の徒が次々に偽善者の仮面を暴いてゆく。水上の旧友で、華厳の滝に入水したと世を欺いて身を隠した元学生の村岡不二太と、その恋人の竜子じつは旧藩主の三女が、無頼の徒の所行を助ける。手取川の洪水で流されかかった建設中の鉄橋も危機を免れ、冷静な水上の指揮の下、北陸線は開通し、一番列車は白山の雪に覆われた美樹子のなきがらを納めた棺を載せて、金沢駅に入線した。

中学生の頃から明治・大正期の小説のたぐいを読み始めて、いわゆる「鏡花世界」の魅力というか、むしろ魔力にとりつかれたきっかけが、この「風流線」だった。美川の友人が松任の摩耶夫人像のあるお寺に案内してくれたのも、私のそんな鏡花への耽溺を知ってのことだった。鏡花はその像に若くしてなくなった母の面影を見ていたのである。

 この最初の北陸への旅の三、四年後、団体で金沢を訪れる機会があった。研究室旅行と称するもので、高山から高山本線経由で金沢へ出、市中を見物し、県内の蔵書家のお宅で古典籍を見学したのだった。私にとっては五年間の助手生活をしめくくる旅でもあった。蔵書家のお宅は市中の野町から出る北陸鉄道で行く辰口温泉にあった。造り酒屋の旧家で、万葉歌人大伴家持の署名のある古文書とか、西行自筆と伝える歌集などの貴重な本が並べられていた。

 やはり縁というものはあるのだろう。その数年後、研究室旅行の折に拝見した西行の歌集『山家心中集』を複製するという仕事に関わることとなった。この時はかつて助手として勤務した大学の新米の助教授だった。

 複製本を作るためには原本の調査が必要だし、撮影にも立ち合うことになる。それで北陸鉄道には何度か乗った。この私鉄の鶴来と新寺井を結ぶ能美線は、鶴来を出るとまもなく手取川を渡る。河口を渡る北陸本線よりは遥か上流を渡ることになる。そのあたりの景色はよかった。調査の帰り、一駅手前で降りて、川を眺めながら歩いてみたこともある。辰口温泉へ行く途中には、「灯台笹」というおもしろい名の駅もあった。辰口温泉も鶴来も、金沢物と呼ばれる鏡花の作品に登場する土地である。

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