あの日の風景

第2回 遠州・二俣まで 久保田淳(国文学者)

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 太平洋戦争が終わった翌年、旧制最後の中学に入った。二年になった年の夏、旧制高校にいっていた上の兄が死んだ。突然の死であった。

 そのことがあった後、Iと友達になった。彼にも私と同様二人の兄がいて、上の兄さんが私の死んだ兄と中学・高等学校を通じて友人だったという縁があることを知ったのだ。彼のお陰で引込み思案の私の行動範囲は急に拡がった。

 大学に入った年の夏、Iに、静岡県の西部、天竜川に面した二俣(現、浜松市天竜区)に遊びに行こうと誘われた。二俣はI家の本貫の地であるらしかった。その頃の私は、東海道本線というと、高校の修学旅行で日本平に登った折に降りた草薙までしか知らなかったから、浜松の先、遠江の奥までの旅は大層魅力的だった。

 八月半ばの朝、まずIの家に行き、浜松まで同行するH老人(I家の知人)と三人で、東京駅へ向かった。この頃の東海道線は蜜柑をイメージしたとかいう、緑と橙色に塗り分けられた湘南電車だった。
 もの珍しそうに車窓の景色を眺めている私に、Hさんはあれこれ沿線の名所を説明してくれる。用宗を過ぎたあたりでトンネルを抜けると、北をさして、
 「この向こうが宇津ノ谷峠。業平の歌に、“駿河なる宇津の山辺のうつつにも”とあるでしょう」
と、私が国文学をやろうとしていると聞いて、教えてくれた。『伊勢物語』の東下りに出てくる宇津山のことを思い出させてくれたのだった。

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