あの日の風景

第1回 碓氷峠越え 久保田淳(国文学者)

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 三人兄弟の末子に生まれたので、今振り返ってみるとやはり兄たちの影響は少なくないような気がする。鉄道好きもその一つの現れなのかもしれない。貧乏公務員だった父も子供たちにとっては優しい親で、夏にはよく山や海へ連れていってくれた。その時はふだんは乗る機会のない小田急や京成などの電車に乗ることになる。そんなことも子供たちの電車好きを助長したのであろう。
 ただ小学校に入学したのが昭和十五年で、その翌年春には小学校が国民学校と改称され、その年の十二月には太平洋戦争が始まったのだから、兄たちと違って、私には少年時代に修学旅行で長距離の鉄道に乗るという体験はなかった。汽車(今は死語に近い言葉だが)に乗るといったら、せいぜい両親の郷里である埼玉の北の端まで、たまに高崎線に乗る程度だった。だから兄たちが鉄道旅行のおもしろさ、関西圏の私鉄のすばらしさなどを話すのを聞くと、羨ましかった。
 そのうちに戦争が激しくなって、学童集団疎開が始まった。通っていた東京杉並の国民学校では、何度かに分けて疎開した。私たちは一番遅く、昭和二十年の五月初め、長野県小県郡殿城村という山間のお寺に疎開することになった。
 出発した時の気持ちは今でも覚えている。これでようやく兄たちと同じように、知らない遠い所へ行けるのだと、心は浮き立っていたのである。

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