あの日の風景

第1回 碓氷峠越え 久保田淳(国文学者)

2/3

写真

ED42形。信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)の急勾配区間用アプト式電気機関車。(昭和9年〜昭和38年)

 信越本線も高崎あたりまではすでにおなじみの風景だが、その先、安中・磯部・松井田などは初めて見る土地である。そして汽車は横川に到着し、ここで蒸気機関車が電気機関車に付け替えられる。ここからアプト式の軌条でゆっくりゆっくり碓氷峠を登っていくのだ。鉄道好きの子供だから、アプト式のことは一応知ってはいた。昔万世橋にあった鉄道博物館に何度も通って、一通りの知識は身につけていたのである。しかし、今その特別な線路を登っているのだと思うと、ひどく感動した。新緑が目の前に迫っていた。
 峠を登りきると、軽井沢からは再びSLが引っぱって、列車は小諸・大屋を経て上田に着いた。当時の上田丸子電鉄に乗り換えて真田に向かって走り、殿城口という小さな駅で降り、急坂を登ると、山がちな村の高い所にお寺があった。山門に着いた時はもはや薄暗かった。急に家に帰りたくなった。修学旅行をしているような浮き立った心はどこかへけし飛んで、だまされてここまで連れてこられたような気がした。
 それから半年、十一月初めまで、本堂の屋根に六文銭の紋がついている、真田家ゆかりのこのお寺での生活が始まった。
 上田丸子電鉄は谷間を走っているから、お寺からは遠く小さく、その姿が見える。それを見ると、無性にあれに乗って上田へ出て、上田からは汽車で東京へ帰りたいと思う。せめてもの気慰めに、汽車の絵を描いていた。
 これを初めての体験として、その後も何度か信越本線で碓氷峠を越えた。二十年前の秋魚津まで行く時も、(この時すでにアプト式は廃されていたらしいが)往きは信越本線経由の特急白山に乗った。軽井沢は美しく紅葉していた。直江津で列車の進行方向は変わることをこの時知った。
 平成九年長野新幹線の開通に伴って、上野発の信越本線は横川で打ち切られ、軽井沢から上田を経て篠ノ井まではしなの鉄道、篠ノ井から新潟までが信越本線ということになった。新幹線は安中榛名駅を出るとすぐに地中に潜り込み、軽井沢まで急勾配のトンネルで一気に碓氷峠を駆け抜ける。技術の進歩はめざましいものがあるが、いささかあじけない。そんな感じを抱くのは、大正時代のある小説を思い出すからである。

2/3
  • ←
  • 1
  • 2
  • 3
  • →
 

このページの先頭へ