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歴史探訪
 

激動の時代を今に伝える歴史の街・長崎 居留地界隈

訪問した人
NBC情報システム株式会社
ソリューション営業本部 営業支援グループ
主任 芦田愛佳さん

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 国宝の大浦天主堂で知られる長崎・大浦周辺。ヨーロッパの港町を思わせるこの地区は居留地界隈とも呼ばれ、かつての外国人居留地の名残りを今なお色濃く残し、ひときわ多くの洋館と石畳の坂道で訪問者を魅了します。

 今回の旅人・芦田愛佳さんは、生まれも育ちもここ居留地界隈。子ども時代に洋館で暮らした経験をお持ちで、現在のお住まいもご近所だとか。勤務するNBC情報システム株式会社は、主に長崎県をはじめとする県市町村の役所や企業へのコンピュータ販売・システム開発・サポート全般を手がけています。芦田さんは営業支援グループの主任として、多忙な毎日を送っています。

 「営業スタッフの動きや日々の成果をしっかりと把握し、発注や納品などの面から営業活動をフォローするのが私の仕事です」。大学時代には野球部マネージャーを務めたほどの野球好きで、ご自身を「面倒見のいいサポータータイプ」と表現してくださいました。「大好きな長崎のなかでも特に愛着のある居留地界隈のよい所を知っていただきたいですね」と芦田さんは足取りも軽やかに、最初の訪問先であるオランダ坂に向かいました。

石畳にコツコツと靴音が響く「オランダ坂・祈念坂」

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東山手の「オランダ坂」周辺は、洋館がいっぱい
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塀に絡まるツタと、天主堂の壁が美しい「祈念坂」

 趣のある居留地界隈・東山手地区の街並みのなか、突然現れる急峻な坂道。「オランダ坂」と呼ばれるこの石畳は、江戸時代後期に敷かれました。名前から「オランダの人ばかりが住んでいた」と思われがちですが、当時はこの界隈に暮らす欧州の人々を総称して「オランダ人」と呼んでいたそうで、これが「オランダ坂」という名の由来だとか。ちなみに石畳の敷石は熊本県天草産のものが多いそうです。

 「子どもの頃は、まさにこの坂が遊び場でした」と、懐かしそうな芦田さん。「住んでいた洋館もすぐそこですよ」。芦田さんが指差す方を見ると、塗り直された水色の外観も清々しい洋館が並んでいます。東山手洋風建築群として保存されるこの中の一軒が、芦田さんの子ども時代の住まいでした。「お風呂が薪だったりして、その頃は不便な家だなあ、と思っていましたが、考えてみれば貴重な経験ですね」。現在は写真展示館やレストランとして、誰でも利用できるようになっています。

 ここから少し歩いて「祈念坂」に。ここも急な石畳の坂道で、坂沿いにお寺や神社、天主堂があることから「祈念坂」と名づけられました。坂の途中には明治中期に活躍したイギリス人実業家のウォーカー住宅跡(住宅はグラバー園内に移築)があり、映画のロケ地としても有名です。天気のいい日には、坂の頂上から紺碧の長崎港が望めます。

 

祈りの丘を見守る「大浦天主堂」「絵本美術館」

写真 「絵本美術館」は、お庭さえもファンタジー

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天主堂正面で参拝客を迎える「日本之聖母像」

 祈念坂から天主堂前へ。天主堂前の坂の途中に「祈りの丘・絵本美術館」があります。洋館に瓦葺きという長崎独特の洋風建築の一階には絵本4000点・子どもの本1万冊がそろい、2階3階には国内外の絵本原画を展示。とくに長崎ゆかりの絵本画家として知られる・太田大八の原画コレクションは充実しており、絵と語りあえる貴重なひと時が過ごせます。「本に興味がないわけではないけれど、今日までここは通り過ぎていました」と笑いながら、はじめて出会う本や絵にじっくりと見入る芦田さん。

 さて、「絵本美術館」を後にして、いよいよ国宝「大浦天主堂」へ。急な階段を一歩一歩踏みしめながら登ると「日本之聖母像」が参拝者を迎えます。このブロンズ製の聖母像は、永らく続いたキリシタン禁教の時代を乗り越えて復活した日本のカトリック教会へのお祝いのしるしとして、1866年にフランスから贈られたもの。ゴシック様式の聖堂内はステンドグラスの色彩が美しく、祈りの空間らしい凛とした空気に満たされています。芦田さんのように居留地界隈で生まれ育った人ならば、誰もが毎日のように目にする天主堂の尖塔。気がつくと言葉数が少なくなってしまうような荘厳な静けさのなかで、祭壇に向かって祈る人の姿が目に映ります。

 

近代化を象徴する洋風建築の見事さにため息「グラバー園」

写真 旧オルト住宅にて。天草石の列柱が美しい

写真旧グラバー住宅内のダイニングルームにて

 キリシタン資料室をまわってから、天主堂裏の近道をとおり「グラバー園」へ向かいます。1859年、スコットランド人のトーマス・グラバーは長崎の開港と同時に来日し、グラバー商会を設立。事業のかたわら幕末の志士たちを陰から支え、明治になってからは造船、採鉱、製茶貿易業などを通じて日本の近代化に貢献しました。

 「グラバー園」内にある「旧グラバー住宅」は、トーマス・グラバーが1863年に建てた日本最初の洋風建築。南国のバンガローを思わせる開放的な造りのなかに、幕末の志士たちの密談場所に使われた隠し部屋があるなど、見所がたっぷり。「こんな家に住んでみたいですね」と芦田さんもお気に入りの様子です。

 さらに園内では、英国人実業家のリンガーやオルトの住宅をはじめ、明治初期のもっとも重要な洋風建築に数多く出会えます。江戸時代、西洋に向かって最初に開かれた港となった長崎。幕末から明治への激動の時代に刻まれた歴史は、長崎の坂道に、天主堂に、洋館に、格別な重みを与えているのです。

 「いつもの街を、いつもとはすこし違う角度で歩いてみて、ますますこの街が好きになりました」と芦田さん。もっともっとたくさんの人に長崎を知ってほしいと、その真剣なまなざしが印象的でした。

 
(2010年1月25日掲載)

「大浦天主堂」「グラバー園」「祈りの丘・絵本美術館」一口メモ

 長崎・居留地界隈を歩くには、路面電車を利用し「大浦天主堂下」停留所での下車が便利です。「大浦天主堂」は、1864年に竣工した本格的なカトリック聖堂で、正式な名称は「日本26聖殉教者聖堂」。名の由来は、1597年に豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって捕縛・処刑された26聖殉教者によるものです。1933年に国宝指定され、その後、投下された原爆によって大きな被害を受けましたが、その後5年間にわたる修復を経て再生し、1953年ふたたび国宝に指定されました。ゴシック洋式の堂内や、見事なステンドグラスなど、日本を代表する最初期の洋風建築として知られています。
 隣接する「グラバー園」は広い敷地のなかに、グラバー住宅やリンガー住宅など国の重要文化財を含む9つの洋館があり、どれも館内を見学することができます。洋風の構造と壁面を持ちながらも屋根は瓦葺き、という長崎独特の建物はどれも保存状態がよく、調度品が充実しており、当時の長崎が文明開化の先進地であったことを強く実感させてくれます。その他、明治時代の長崎にまつわるさまざまな展示物が園内に散らばっており、見所がいっぱい。日本最初の洋食店「旧自由邸」も保存され、店内2階で喫茶も楽しめます。
 「祈りの丘・絵本美術館」は、民間の書店が設立運営する美術館で、長崎ゆかりの絵本作家の原画を所蔵・展示を行っています。「大浦天主堂」「グラバー園」に向かう坂の途中にあり、気軽に立ち寄ることができます。


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