NUA WORLDトップ > 歴史探訪 >  第18回 日本近代史をギュッと封じ込めた街・小樽
歴史探訪
 

日本近代史をギュッと封じ込めた街・小樽

訪問した人
株式会社あらた
システム本部 統合システム部 開発課 
マネージャー 宮崎慎治さん

[写真]

 小樽と言えば、運河のある風景で知られる、北海道でも屈指の歴史ある街。明治時代の銀行や倉庫などの石造り建築、運河沿いのガス灯が煌めくロマンチックな風景が、数多くの訪問者を惹きつけています。

 生まれも育ちも小樽という宮崎慎治さんが今回の旅人。現在は石狩市で暮らし、市内に出勤しています。勤務する株式会社あらたは、日用雑貨や化粧品などを幅広く扱う総合卸商社。宮崎さんは統合システム部のマネージャーとして、自社システムの開発をリードしながら、ときに日本全国を飛びまわる日々を送っています。「株式会社あらたは、8年ほど前に全国各地の卸商社が経営統合したのち5年前に合併して生まれました。統合システム部は、文字通りその各社のシステム統合推進セクション。今、私が携わっているのは全社システムの統合及び、企画開発です」と語る宮崎さん。

 「実は私は小樽の歴史についてはほとんど知りません。小樽の道のことなら熟知していますが。博物館にも行きませんし、建物の由緒について深く考えたこともありません。だから今日はちょっと新鮮な体験ができそう、と楽しみにやってきました」と目を輝かせます。さっそく最初の訪問先である小樽市総合博物館・運河館に向かいました。

小樽のはじまりを知る「小樽市総合博物館・運河館」

写真
博物館屋根に向かい合わせの「しゃちほこ」
写真
ニシン漁で栄えた頃の小樽の様子を描いた日本画

 ほのかな灯りの中、北前船の1/20ディスプレイが来館者を出迎える小樽市総合博物館・運河館は、明治26年(1893年)に建てられた旧小樽倉庫内にあります。小樽が拓かれたのは今から約380年前のこと。その後、ニシンを求めて定着する人が増え、江戸時代の元治2年(1865年)に、集落314戸の漁村「オタルナイ」として幕府に認められたと記録には残されています。

 小樽に最初の繁栄をもたらしたニシン漁と北前船による海運交易、そして近代的な国際港としての繁栄時代…現在の小樽とはまったく異なる経済や生活の展示を眺めているなか、突然、宮崎さんの目は1枚のモノクローム写真に釘付けに。「これは私が子どもの頃に見た小樽運河そのもの。それが今や博物館のなかにあるなんて不思議なものですね」と、少年時代の記憶がすでに展示物になっていることへの驚きに宮崎さんは目をまるくします。

 たしかに今とその頃では景色もかなり変わったことでしょう。小樽運河は大正12年(1923年)に完成し、活況の時代を経て、戦後に衰退。1960年代には埋め立て計画が持ち上がりましたが、「小樽運河を守る会」と行政側との10年にわたる交渉の末、運河と石造り建築は保存されることに。かつての小樽人の心意気を今に伝えます。

 

タイムスリップの出会い「鰊御殿〜小樽市総合博物館」

写真 小樽市祝津の「鰊御殿」。目の前に広がる石狩湾

写真
アメリカ製の機関車「しづか号」とともに

 次の訪問先の鰊御殿(ニシンごてん)は、ニシン漁網元が明治35年(1902年)に建てた大邸宅で、北海道の民家として初の文化財建築物。泊村から移築したもので、漁の最盛期には一度に120人が寝泊まりしていたと言われ、近くには他にもニシン漁網元の大邸宅が堂々たる姿のまま残されています。

 「まさにこの海でニシン漁が栄えていたのですね。時代は違いますが、私の父も漁師でした」と語りながら、石狩湾を眺める宮崎さん。目前の海のひろがりに、かつての活況なニシン漁をイメージを重ねてしまうのは、鰊御殿の存在感がなせる業なのかもしれません。

 場所を移し、小樽市総合博物館へ。宮崎さんが「このSLは初めて見るような気がします」と言う「しづか号」はアメリカ製の蒸気機関車で、大正から昭和にかけて石炭需要に沸く小樽経済を支える輸送機関として大活躍しました。アメリカンな車体に、雅(みやび)なネーミング。機関室や豪華な客車に直に触れられる展示に、宮崎さんは興味津々の様子です。重要文化財に指定される「機関車庫」など見所が多い小樽市総合博物館。当時のモダン小樽にタイムスリップするひと時が過ごせます。

 

観光の小樽をしっかりと支える「石造り建築」

写真 「旧日本郵船小樽支店」。内装も一見の価値あり

写真 アイヌ語のオタルナイは「砂浜の中の川」の意。運河にて

 小樽市総合博物館から徒歩10分で、風格ある明治の石造りの建築・旧日本郵船小樽支店に到着。ここは全長1.3kmに及ぶ小樽運河北の終点でもあります。最盛期の時代には、小樽支店の職員たちは、小樽に集まるあらゆる物資の発送手続きに大わらわの毎日だったのでしょう。

 宮崎さんはここから「北のウォール街」の異名を得た旧銀行街へ。「どの建物もとても立派ですね。子どもの頃はまったく意識していませんでしたが」と宮崎さん。日本銀行、三井銀行、拓殖銀行…重厚な石造り建築が軒を連ねる街並は、まさに繁栄絶頂期の名残りを今に伝えます。

 ほとんどの銀行が業務から撤退してしまった今、建築物はそのままレストランやホテル、資料館として活用されています。それらは観光のお客さまを魅了する色とりどりのお店と軒を連ねながら、日本中を探しても他にはない、まさに今の小樽の景観を作り出しています。

 「今日は歩いてみて、この街の古さを実感しました。子どもの頃には関心なかった歴史に興味がわいてきましたね」と宮崎さん。日本近代史を凝縮した小樽。その魅力を味わい尽くすには、まだまだ時間が必要なようです。

 
(2010年1月12日掲載)

「小樽市総合博物館」一口メモ

写真
「旧小樽倉庫」の瓦屋根、屋上中庭を見る

■ここでチェック

 手宮地区にある「本館」と、運河プラザ観光案内所の隣にある「運河館」の2つに分かれている小樽市総合博物館。「本館」は、鉄道/科学/歴史館、蒸気機関車記念館、鉄道車輌保存館などスケールの大きい展示が特徴。また、屋外展示場には日本最古の機関庫があり、道内の準鉄道記念物8件のうち7件を所蔵するなど、鉄道に関してはナンバーワンの内容を誇ります。
 一方の「運河館」では、小樽発祥からの歴史・文化、そして自然に、約2,000点の多彩な展示で親しむことができます。とくに漁の解説展示や漁民の生活を描いた絵画などには、ニシン漁活況に沸く初期の小樽の様子がリアルに描き出されています。「運河館」がある石造り建築は、明治26年(1893年)に建てられた歴史的建築物「旧小樽倉庫」であり、その名の通り運河に面した平たく巨大な建築物。屋根の上で踊る「しゃちほこ」には火事よけの意味があり、全8匹は一つの建物としては異例の多さだとか。そもそも強い風が吹く小樽では、一度火がでると大火になったようで、しゃちほこ8匹は一丸となって「旧小樽倉庫」を守っていたのでしょう。また、「財力の誇示」を目的に数多く置かれていたという異説もあるようです。ロマンチックな運河沿いを散策の途中に立ち寄れば、小樽の歴史に深く触れることができます。


pagetop