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歴史探訪
 

天領の面影を今に伝える飛騨高山

訪問した人
日本車輌製造株式会社
情報システム部 管理グループ
澤田 尚実さん

[写真]

 高山は江戸時代、天領(幕府の直轄地)として栄えた土地です。

 「今日は自社で造った『特急ワイドビューひだ』に乗って来ました」と言うのは、新幹線をはじめとする鉄道車両を製造する日本車輌製造株式会社の澤田尚実さん。会社では情報システム部の管理業務を一手に引き受ける、頼れる存在です。澤田さんは「部長が近くにいるので、必要なときはすぐに話せますし、いつも楽しい雰囲気ですよ」と職場を紹介してくれました。休日は「ゲームをしたり、たまに思い立って京都などに遊びに行ったりもします」という過ごし方だそうです。

 澤田さんは、2007年に行われた全NUAの第16回フレッシュセミナーに運営委員として参加されました。「第16回フレッシュセミナーは全NUA40周年記念行事として、ディズニーアンバサダーホテルで開催しました。CSがテーマだったのですが、オリエンタルランド社のCSに対する取り組みや考え方を学ぶことができ、とても勉強になりました」とその時のことを語ってくれました。

静かな時間が過ぎる吉島家住宅

写真 高山祭で使われる壮麗な屋台が見られる屋台会館

 最初に訪れたのは屋台会館です。ここには、秋の高山祭として有名な、桜山八幡宮の八幡祭で使われる屋台が保管されていて、いつでも見ることができます。神楽台、布袋台、仙人台といった、それぞれに趣向を凝らした壮麗な屋台が並ぶ様は圧巻です。「お祭りのときに来て、からくり人形が動くところを見てみたくなりました」と澤田さん。

 
写真 吉島家住宅の内部は、静かな時間が流れる空間

 屋台会館を出て少し歩くと、古い民家が建ち並ぶ一角に来ました。高山には、こうした古い街並みが何か所かに残っています。その中の一軒、重要文化財にも指定されている吉島家住宅に入ってみました。ここは、酒造を営んでいた家で、軒先には酒神を祭る三輪神社の杉玉「酒ばやし」が下げられています。土間の吹き抜けには大黒柱を中心に、梁と束で構成された見事な立体格子が見られます。広々とした居住空間も独自の美意識に貫かれており、ここが豪商の館であったことがうかがわれます。二階の部屋にじっと見入っていた澤田さん。この静かな空間が大いに気に入ったようです。「親せきの家がこんな感じだったので、懐かしい感じがします。私は古い家が大好きなので、いつかこんな家に住んでみたいと思いました」

 

天領時代の役所が残る高山陣屋

写真 上三之町には今も古い街並みが残る

 吉島家住宅を出て、上三之町へとやってきました。ここもまた、古い街並みが大切に保存されている地域です。道の両側に昔ながらの建物が立ち並び、違う時代へ迷い込んだかのような気分にさせられます。何軒もある酒屋や、みそやしょうゆを売る店など、ゆっくり見て歩くと楽しみはつきません。「細かいところまで景観に気を配ってあって、本当にきれいな街並みですね。次は雪景色も見てみたいです」と澤田さん。

 
写真 天領の証、葵の紋が掲げられた高山陣屋

 古い街並みを抜けると、高山陣屋に着きます。ここは高山が天領だった時代に、江戸から派遣された郡代が、行政、財政、警察などの政務を行ったところです。御役所、郡代住宅、御蔵を合わせて「高山陣屋」と呼ばれます。中に入ると、会議などに使われた大広間や、天明年間に造られたという庭園、元禄8年(1695年)に高山城の三の丸から移築されたという御蔵など、当時の様子がそのまま残っています。澤田さんは「一つ一つの部屋に意味があることが分かって、とても勉強になりました。また、私は戦国武将に興味があるのですが、ここ高山は金森氏と関係が深かったのですね」と感慨深げです。

 

 高山は現在、外国人も多く訪れる国際観光都市です。冬の雪景色や、春と秋の高山祭も、ぜひ一度見てみたいと思いながら、高山の町を後にしました。

(2009年9月28日掲載)

飛騨高山一口メモ

 天正14年(1586年)、金森長近が飛騨国3万3千石の国主として入府し、以降、6代107年にわたって高山を治めました。しかし、元禄5年(1692年)に金森氏は出羽国上ノ山に転封となり、この地を去りました。
 その後、高山は天領となります。元禄8年(1695年)には、幕府から高山城破却の命令が出されています。天領は25代、177年間にわたって続き、派遣される役人の役職は11代までは代官、12代からは郡代に昇格しました。
 天領となった高山は、それまでの上方文化に新たな江戸文化が融合して、独特の華やかな文化が栄えました。そうした中、江戸後期には高山祭の屋台が絢爛豪華な美しさを競うようになります。高山の屋台の特徴である均衡の取れた優雅な外観には、「飛騨の匠」の伝統が脈々と息づいています。
 吉島家は、天明8年(1788年)に初代重兵衛が高山に移り住んで以来、代々酒造を家業としてきた家です。現在の建物は、明治38年(1905年)の大火の後に再建されたもので、その棟梁は名工といわれた西田伊三郎です。こちらも「飛騨の匠」の伝統を受けた技が、旦那衆と呼ばれた豪商の財力の元で花開いた、芸術的ともいえる民家建築です。


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