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歴史探訪
 

開町400年の歴史が息づく高岡

訪問した人
株式会社ゴールドウイン
管理本部 システム部 
システム二グループ 物流業務チーム
武田 朗さん

[写真]

 富山県高岡市は今年開町400年を迎えます。

 ここを訪れたのは、スポーツウェア、スポーツ用品の製造販売を行う株式会社ゴールドウインの武田朗さん。地元出身の武田さんは「高岡は魚がおいしくて、暮らしやすい町ですよ」と紹介してくれました。

 会社では物流関係のシステム開発を担当しているという武田さん。最近は返品再生品をバーコードで読み取って自動仕分けするシステムや、商品の先入れ・先出しを管理するシステムなどの開発を行っています。職場には元スポーツ選手も多く、明るく活発な雰囲気に満ちているそうです。

 武田さんの休日は、冬場のシーズンはスキーが中心です。また、年に1回、地元で行われる獅子舞には毎年参加していて、地元の家々120軒ほどを舞って回るのだとか。「もう10年以上やっています。体力的にも大変ですが、回った先の家で喜んでもらえるのはうれしいですね」と武田さんは笑顔で語ります。

3つの国宝が並ぶ瑞龍寺

写真 禅堂と法堂とを結ぶ回廊にも静かな雰囲気が漂います

 高岡駅から歩いて10分ほどで瑞龍寺に着きます。寺の前に立つと、山門、仏殿、法堂の3つの国宝が一直線に並んで建ち、荘厳な建築を間近に見ることができます。「以前来たときは、大みそかの夜だったので、暗くてよく見えませんでした」という武田さんですが、今回は建物の隅々まで見て回ることができ、大変印象に残った様子でした。禅堂を見た武田さんは「新人研修のときに座禅をやりました。初心者向けの短時間の座禅でしたが、足がものすごくしびれたのを思い出しました」と語ってくれました。

 
写真 築城時に付けられた印が残る古城公園の石垣

 駅の反対側に移動して、高岡城趾に広がる古城公園を訪れました。ここは今から400年前、前田利長が築城し、町を開く起点となった場所です。城は取り壊されたものの、その後も蔵などを配して使われていたため、今も当時の地形がそのまま残っているのだとか。往時の面影を残す石垣もあり、築城時に付けられたさまざまな印が残されています。武田さんは「古城公園は、桜の季節によく花見に来ます。でも、あらためて本丸跡や二の丸跡などを見て回ると、歴史のある場所なのだということを実感しますね」と語ります。

 

鋳物の歴史を語る金屋町

写真 間口が狭い格子造りの家々が並ぶ金屋町の街並み

 古城公園からしばらく歩いて、金屋町を訪れました。高岡は鋳物が有名ですが、これは前田利長が産業振興を図るために鋳物師を招いて街づくりを行ったからです。その歴史を今に伝える金屋町の家々は、家の裏に蔵があり、中庭があって、さらにその向こうに作業場があるという独特の構造を持っています。鋳物は火を扱うので、防火のためにこんなつくりになったのだそうです。「変わったつくりには、ちゃんと意味があるのですね。昔の人が、よく考えて街づくりを進めたことが分かります」と武田さんも感心していました。

 
写真 重要文化財に指定された豪商の邸宅・菅野家住宅

 金屋町から少し歩くと、山町筋の街並みに出ます。高岡御車山祭りの山車を置いていたので「山町筋」というそうです。ここには、明治後期の大火の後に建てられた、土蔵造りの旧家が立ち並んでいます。その中にある菅野家住宅が一般に公開されています。家の左右にレンガ壁を設けてあったり、火事のときに家の前に鉄扉をはめられるようになっていたりと、明治時代の防火建築がそのまま残っています。数百円で家が建つ時代に、10万円かけて建てられたという豪商の館。「大火の後だけに、当時の技術を総動員して建てたのでしょうね。表通りはよく車で通りますが、ちょっと入るとこんな街並みが残っていたなんて、新鮮な驚きがありました」と武田さん。

 

 近代的な中にも、どこか懐かしい雰囲気の残る高岡の町。いつかもう一度訪ねてみたい、そんな思いを強くした一日でした。

(2009年9月28日掲載)

高岡一口メモ

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 高岡の町を開いたのは、加賀藩二代藩主前田利長です。利長は、織田信長に仕え、加賀百万石の基礎を作った前田利家と妻まつの長男です。二十四歳のとき、利長は越中三郡の領主として高岡に来て、守山城に住みました。これが利長と高岡との出会いでした。1599年、利家の跡を継ぎ二代藩主となった利長は金沢城に入り、翌年の関ヶ原の戦いでの戦功により加賀、越中、能登三国を領有する百二十万石の大大名になりました。
 1605年、四十三歳のとき、利長は弟の利常に代を譲り、富山城に隠居します。しかし、四年後に富山城が焼失したため、利長はかつての居城、守山城に近い関野が原に築城し、この地を高岡と名付けました。地名の由来は、中国の詩経にある「鳳凰鳴けり、かの高き岡に」から来ています。利長は開城後五年で死去し、翌年には幕府の一国一城令で高岡城は廃城となりました。一方、兄をしたう三代藩主利常は、利長にゆかりの深い高岡の地に、菩提寺として瑞龍寺を建立しました。その後、利常は高岡の町を、城下町から商工業都市へと再生させ、以後、高岡は金沢に次ぐ加賀藩第二の都市として繁栄していくことになります。


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